いや、疑ひは人間にあり、天に偽りなきものを。

子供の頃から行き付けの、近所の「神田薮」が燃えてしまった。

「せいろう〜、いちま〜い」の女将の声や、さくさくの「天たね」とも暫しの別れ…あの風情有る仕舞屋建築は、もう見れないのだろうか?

そして此方はと云うと、昨日一昨日と2日間の人間ドックを終えた。

毎年恒例、上から下からの「体内アート」(拙ダイアリー:「『自己体内で見るアート』?」参照)を連日鑑賞したが(笑)、逆流性食道炎や高目のコレステロールとの付き合いは、未だ未だ続きそうだ(涙)。

今回も無料で受診出来ると云う皮膚科では、去年と同じ中々綺麗な女医さんが再びシゲシゲと筆者の生え際を眺め、「桂屋さんは、特に治療をされて無いんですよね…」と呟くので、「いや、自然に任せてるんです」と云ったら、「そうですか…髪型もお似合いですしねぇ…」と白けた感じでカルテに目を落としながら応えたので、「有難うございます」と微笑みながらも、「最近の皮膚科は、ヘア・デザイナーも兼ねるんかぁ?クォラァ!」と心の中で怒鳴る(笑)。

そして全ての検査が終了して待合室で待っていると、この2日間ドックで一緒だった70代後半らしきお婆さんの付き添いで来ていた娘さんが、お婆さんが検査で席を外している間に、徐に筆者に話し掛けて来た。

「あの〜、昨日から母と話してたんですけど、桂屋さんって、『あの』桂屋さんですか?」

この2日間で初めて話し掛けられた訳だが、意味が分からず「『あの』桂屋さんって、『どの』桂屋ですか?」と聞くと、シゲシゲと筆者の顔を見つめて、

「あの、コメディアンの…」

あぁ、またか!…筆者の顔をご存知の方は直ぐお分かりだろうが、筆者は某ビールのCMに出ている関西出身のコメディアンに、顔も体格も顔色もソックリらしいのだ(拙ダイアリー:「そんなに似てるか?」参照)。

「いやぁ、よく似てるって云われるんですが、違うんですよ…」と云うと、見るからに気落ちして居たが、「母が知ったら、残念がると思います…」と仰るので、こんな事でお婆さんが喜んで、元気になるならと思い、「それならお母様には、僕が『ぐっさん』だったと云う事にして置かれたら如何ですか?」と云って置いた。

今頃お婆さんは、近所の友達に「アタシ、『ぐっさん』と人間ドック一緒だったのよ!」と自慢している事だろう(笑)。

さて今日の本題…この前の日曜日には、親孝行も兼ねて母親と共に、クサマヨイの師で有る観世流シテ方関根祥六師の「第四十二回 桃々会」を観に、松濤の観世能楽堂へと足を運んだ。

この日の会では、祥六師の能「盛久」とお孫さんの祥丸君の「羽衣」の能二番がフィーチャーされて居たが、何よりも楽しみなのは、能楽界の若手ホープだった父祥人師を2年前急に喪った祥丸君が、どれ程の成長を見せてくれるか、と云う事だ。

能楽堂に着くと、居らしていた林屋晴三先生や紀伊国屋さん(澤村田之助丈)、演劇評論家藤田洋先生等とご挨拶を交わし、「道明寺」と「笹之段」の仕舞を拝見すると、祥六師の「盛久」が始まった。

一噌庸二師の素晴らしい笛で始まった「盛久」は、世阿弥の子、観世元雅が平家物語から題材を採り、「観音経」(「法華経」の一部)信仰をテーマとして作った「現在能」で有る。

源氏の捕虜と為った、清盛の腹心平盛国の子盛久は、関東に護送され鎌倉に着く。監視役の土屋の前で「観音経」を読む盛久は、その内に微睡み、不思議な瑞夢を見る。そして由比ヶ浜での斬首処刑の日、再び「観音経」を読む盛久の頭上に太刀が振り上げられた瞬間、介錯人は光に目が眩み太刀を落とすと、その大刀は観音経の文言通りに段々に折れて居た。

処刑は中断され、使いが頼朝の元に走るが、頼朝が前夜見た夢も盛久と同じ、「清水の観音が老僧に姿を変え、命乞いをする」と云う霊夢で有った為に、頼朝の特赦が下り盛久の一命は救われ、それも「観音経」の功徳と歓喜の男舞を舞って終わる。

この曲は動きの割に謡の量が多く、「観音経」を読謡する所と最後の舞が見処だが、直面の祥六師の謡と男舞は流石で、実年齢40代中年の盛久を年齢を感じさせない重厚さで演じ、観客を魅了した。

その後休憩を挟み、狂言悪太郎」と仕舞「熊坂」が終わると、愈々祥丸君の「羽衣」だ!

「羽衣」のストーリーは此処に記す迄も無いだろうが、今日のダイアリー・タイトルに有る有名な謡で分かる様に、「羽衣を先に渡すと、舞わずに天に帰って仕舞うのでは無いか」との疑いを持つ、伯龍の人間臭い卑小さに対する天人の曇り無き精神を、祥丸君が何れ位舞台で表現出来るかがポイントに為る。

そして舞台に現れた祥丸君の姿は誠に優美で、その舞も何とも若々しくて柔らかい、如何にも「天女」らしい素晴らしい物で有った!

2年前、父祥人師が急逝した時には、皆祥丸君の将来を心配し、関根家の未来をも危惧した。が、この日の祥丸君の舞台は、「父親亡き後、きちんと成長して呉れるだろうか」と云ったあの時の私達の心配が、全くの杞憂で有った事を証明してくれた…それは、いみじくも「羽衣」の謡に有る様に、

「いや、疑ひは人間にあり、天に偽りなきものを」

と云う事だったのだ。

祥六師の今迄のご指導を称えると共に、関根祥丸君の「能楽師」としてのこれからの活躍を、心から期待したい。