「ホーリー・ミュージシャンズ」に因る極楽感。

ネルソン・マンデラが逝き、秘密保護法案が成立した。

当然時代と云う物は変化して行くが、逆行するのは時に許し難い。その内容に関しては言わずもがなだが、秘密保護法案の成立過程は、恰も戦前の状態に戻るが如きファシズムへの逆行にしか見えない。そして安倍晋三が最も愚かで亡国的なのは、自分が「不死身」の神で有るかの様に振舞って居る事だ。

己が強引に成立させた法案が、いずれ自分や自民党を苦しめる結果に為ると云う事に、何故気付かないのだろう…?一国の宰相は国の未来に対して重大な責任が有るし、千年の計を計らずして安易な悪法を、しかも強引に通す等、愚の骨頂で有る。将来ヒットラーの様な政治家が出て来たら、どうする積りなのだろう?

腐り切った政治はさて置き、筆者の仕事の方はと云うと、ハッキリ云ってかなり忙しい。

オークション・スペシャリストの顧客との付き合いは、作品を前にしての鑑定・査定だけでは無く、将来のビジネスに向けた、例えば食事や打ち合わせ、共に歩く展覧会鑑賞だったりもするのだが、今回の出張はそれ等を含めて文字通りの「時間刻み」で、ぶっちゃけ週末もへったくれも無い。

が、そんな中、来年3月にアジア宗教セールを控えて居る筆者が、頑張って時間を作り観て来たのは、サントリー美術館で開催中の展覧会「天上の舞 飛天の美」。

アメリカ某有名美術館の元学芸員と共に観たこの展覧は、極楽浄土を具現化した平等院鳳凰堂が半世紀振りに修理され(出来るだけオリジナルな色合いに戻すそうだ!)、来年春の落慶を記念する物で、国宝「雲中供養菩薩像」や「阿弥陀如来坐像光背飛天」(寺外初公開)を中心に、「飛天」の美を愛でる企画だ。

展覧会は仏教伝来のルートを辿り、インド・西域の飛天から始まる。

先ず驚くのは、クチャの舎利容器…東博所蔵の7-8世紀の作品だが、こんなに立派な物は見た事が無い。そして中国のパートに出展されて居る、泉屋博古館の「鍍金舎利かく」(「かく」は木偏に「郭」:唐時代)もスゴい作品で、眼を見張る。

が、矢張りワタクシは日本人…どうも「日本製」飛天が好きらしい!

法隆寺金堂の天蓋に付く木造彩色の飛天(7世紀:重文)は、大きな頭に長い子供の様な顔をして居て、愛らしい…その可愛い容姿と美しい光背、そして手に持つ楽器の組み合わせに、何とも云えぬプリミティヴな魅力を感じる。

また芸大所蔵の「楽天刺繍幡残欠」(7世紀:重文)も、必見の逸品!所謂「法隆寺裂」の一つだが、紫地に真っ赤な装束で笙を吹く飛天は、余りに美し過ぎる…風に棚引くドレープの表現等は今観ても全く古臭く無く、元来刺繍作品は弱く痛みや退色が進むのだが、この1300年前の「赤」と「デザイン」は当に驚異だ。

その後の展覧には、個人像の木彫飛天や経巻、クリスティーズが扱った仏画等が所狭しと並ぶが、圧巻だったのは矢張り平等院の国宝「阿弥陀如来坐像光背飛天」と「雲中供養菩薩」…が、個人的にはホーリーなミュージシャン軍団の「雲中供養菩薩」 に軍配を上げたい。

鳳凰堂の中で本尊を取り囲む様に配置された、52体の内の14体が出展されて居るが、その木彫作品としてのクオリティは頗る高く、「仏像荘厳古今無双」と歴史書に記されたのも頷ける。

端的に云ってしまえば、音楽と舞踊に勤しむ飛天達の「全て」が素晴らしいのだが、その中でも筆者のオススメは、かい鼓(「かい」は手偏に「皆」)を鳴らす姿勢を取る、飛天界の亀井広忠師的「北十一」、琵琶を奏でる飛天界の「バタやん(田端義夫:何故なら「ギター」の位置が高いから)」的「北二」、そして華麗なステップを見せる飛天界の「マイケル」的「北九」だろう(笑)。

何れも藤原彫刻の粋を極めて居り、ご尊顔、雲、楽器、体勢迄、その全てが美しい…そして、どんな金持ちにも権力者にも、貧乏人にも奴隷にも、唯一分け隔て無くやって来る「あの日」も、彼等の様な美しいミュージシャンとその音楽に拠って迎えられるのならば、「あの日」を怖れる処か、逆に「あの世」に行って見たくも為ると云う物だ。

其れこそが、正に藤原頼通鳳凰堂の建立思想だったのだろうが、上に述べた徹底的にクソな政治(失礼!)や世の中からの一時避難場所として、和製「ホーリー・ミュージシャンズ」に因る「擬似極楽」感を得られるサントリー美術館を、是非とも訪れて頂きたい。

六本木の極楽を既に経験した筆者は、自分に取って最大の「現世『極楽』」としての祇園、もとい、京都へと再び向かう(勿論、仕事です)。

いや、極楽、極楽…(笑)。