「翁付高砂」@第五回「満次郎の会」。

今、関西に来ている。

来年3月にニューヨークで開催する、「日本・韓国美術セール」とアジア宗教美術の特別セール「The Sublime and the Beautiful: Asian Masterpieces of Devotion」への出品作品を探す出張だが、今回は色々と素晴らしい収穫が有った!

此処で詳しく云えないのが癪だが、アジア宗教美術の名品優品が出品出来そうで嬉しい…折角のスペシャル・セール、頑張って素晴らしいラインナップ、そしてカタログを制作したいと思って居るので、乞うご期待。

さて関西と云えば京都、そして京都と云えば昼は仕事に精を出しながらも、夜は相変わらず顧客とのお仕事…そう、皆さんご想像の通り、「祇園」で有る(笑)。

今回の出張中の一晩も、重要顧客との食事後は連れ立ってお茶屋さんの「M」へ。

この「M」は白洲次郎・正子夫妻がこよなく愛したお茶屋で、聞く処に拠ると「花代」も他店に比べてリーズナブルな事も魅力の一つらしいのだが、それにも況して感じ入るのは、若くて可愛い舞妓に片っ端から手を付けて居た某有名歌舞伎役者を、先代の女将さんが「出入禁止」にした話で、その硬派振りと舞妓・芸妓達に対する優しい眼差しに敬服して居るのだ。

其の晩顧客がそんな「M」に呼んだ舞妓さんは、MRさんとMFさん。しかし、この日の主役は間違い無くMFさんで、それは彼女が未だ16歳、且つ「見世出し」2日目だったからだ!

この「見世出し」とは、新人舞妓が仕込み期間の後、ひと月の間お茶屋で修行するのだが、置屋の女将と茶屋組合の許しを得ると、晴れて舞妓として修行したお茶屋以外の店に出て来る事が可能に為る事…この晩「M」で有ったMFさんは、何とその「見世出し」たった2日目のホヤホヤ舞妓で有ったのだ。

中学卒業後、直ぐに九州から祇園にやって来たMFさんは、とても16歳、そして「見世出し」2日目とは思えない落ち着き振りで、その美貌と共に「将来の大器」を予感させる…ウウム、祇園の懐は深過ぎる(笑)。

そんなMFさんの舞妓為りたての悩みは、幼少期から習って居て、中学生の時に名取を取った踊りが「藤間流」だったと云う事で、舞妓が舞うべき「京舞」の稽古中、ついつい「藤間流」の癖が出て仕舞う事だと云う。

現在の京舞井上流の家元は、五世井上八千代…観世流シテ方能楽師観世銕之丞師の奥様だ。その当代家元の母親も、三世八千代の孫だった観世流シテ方能楽師山九郎右衛門と結婚して四世井上八千代と為り、人間国宝に為った事を考えると、京舞を「踊り」とは呼ばずに「舞」と呼び続けて居るのも何処と無く頷けるが、如何だろう。

そんな「能」繋がりで、此処からが今日の本題。

先週末は、久々のお能鑑賞を楽しんだ…水道橋の宝生能楽堂で開催された、シテ方宝生流辰巳満次郎師の「寿(ことほぎ)祝言歌舞 第五回記念 『満次郎の会』」で有る!

記念すべき5回目と為ったこの「満次郎の会」(拙ダイアリー:「『昼夜アート漬け』の者に必要なのは、時間で有る」、「『凛』とした『第二回満次郎の会』」、「祝!『第一回満次郎の会」参照)、マヨンセが未だニューヨークの為、彼女の後輩で今を時めくイケメン観世流能楽師、坂口貴信師の妹Mさんに付き添って貰い拝見したのは、昼の部「翁付高砂」。

この「翁付高砂」とは、通常の「翁」と「高砂」両曲を連続して舞う物で、「翁」の終了後も立方以外は舞台に残り、其の儘「高砂」が始まると云う囃子方に取っても過酷な、しかし最も正式なる形との事で、筆者も今迄観た事が無かった事も有り、楽しみにして居たのだった。

満員の会場を見渡し座ると、愈々「翁付高砂」が「面箱」が運ばれるのと共に始まった。

聖なる曲「翁」が故に静まり切った能楽堂だったが、ずっと続くカタカタとした音が耳に付く…「面箱」の蓋が、運ぶ「面箱」の手の震えに拠って、運ばれる間中ずっと音を出して居た訳だが、これは興醒めで有ったと云わざるを得ない…手が震えるなら箱蓋が動かない様にすれば良かったのだから、至極残念。

が、満次郎氏の力強くも清らかな翁や、和久荘太郎師の力強い千歳、大倉源次郎師の小鼓や亀井忠雄師の大鼓、藤田六郎兵衛師の笛の囃子方の気合も素晴らしく、その後の「高砂」の姥を舞った山内崇生師も素晴らしい存在感を見せた。

夜は筆者の弟の店、「神田いるさ」で行われた「満次郎の会」の打ち上げに、Mさんと出席。

夜の部「七人猩々」の樽酒も振舞われた今回の打ち上げは、オール・スター・キャスト…こう云う場では神妙な顔をする(笑)マヨンセが居なかった事は熟く残念だったが、満次郎師や源次郎師を始め、近藤乾之介、観世喜正、佐野登、森常好、野村萬斎、一噌幸弘各師、若手の能役者やスタッフの皆さんと共に、非常に楽しい時間を過ごさせて頂いた。

しかし、能役者には「呑兵衛」が多い(笑)…「翁」の為に一週間の「精進潔斎」をした満次郎先生、御目出度う御座いました!