「ユズリハ」。

今日は先ずは目出度いニュースから…「第86回アカデミー賞」のノミネート作品が発表された。

最多ノミネートは、「グラヴィティ」と「アメリカン・ハッスル」で各10部門ずつ。この2作品は筆者も大本命だと思うので何も異論は無いが、それより素晴らしくも嬉しいノミネーションが。

それは「風立ちぬ」…では無く、長編ドキュメンタリー部門にノミネートされた、「キューティー&ボクサー」(拙ダイアリー:「『芸術至上主義』な年の瀬」参照)の事だ!

ニューヨークのアート・シーンで奮闘する日本人の美術家の代表選手の1人、いや2人、ギュウチャンと乃り子さんの生き様を描いた本作は、ドキュメンタリーとしても大変素晴らしい出来なので、受賞のチャンスは充分有ると思う。

そしてハレの授賞式で、タキシードとドレスを着たお2人が受賞の歓びと戸惑い一杯に、ステージ上で「ど突き合う」姿を見てみたい!(笑)今年のアカデミー賞の授賞式は、3月2日…ウーム、今から楽しみだ。

で、此方はと云うと、3月のオークションのカタログ編集作業も酣…アメリカでは連休だった先週末も、小雪が舞う中出勤で有った。

以前にも記したが、今年3月のアジアン・ウィークではレギュラーの「日本・韓国美術セール」以外に、アジア3部門が(「コレクション・セール」以外で)史上初めて共催する宗教美術セール「The Sublime and the Beautiful: Asian Masterpieces of Devotion」が開催される為、2冊分のカタログの為の作品調査や撮影、イヴェントの打合せ等、やる事が非常に多い。

この「Sublime」セールには、かなりクオリティの高い日中韓印西の作品が揃い、日本美術も天平期から南北朝期迄の仏教・神道の彫刻・絵画・経典・工芸作品等が出品される。

しかもこのセールには、実はもう1点、非常に興味深い「お楽しみ」作品が付いて居る…そして、この「お楽しみ」こそがこのセールを特別な物にして居るとも云えるのだが、詳細は未だ教えて上げない(笑)。色々な意味で「史上初」の試みと為るこのセール、乞うご期待!

そんな忙しない毎日だが、17日は亡き父の命日…父が死んで、丸2年が経った。

時は年々速度を増し、その流れは本当に早い。が、その流れに逆らう事にも、死んだ人の年を数える事にも意味は無いし、況してやこの2年間、毎朝欠かさずに父に向かって日々を報告している身としては(生きて居る時よりも、死んでからの方が話すなんて!)、「命日」と云う感覚は正直云って殆ど無い。唯、何時か自分にやって来る「その日」に思いを馳せるだけで有る。

その17日、朝何時もの様に父と話し、その後オフィスで仕事をこなすと、夕方から今年最後の「初釜」にマヨンセと赴いた。場所はアッパー・イーストサイド、亭主は若手(もうお互い、そうは呼べないか…:笑)目利き古美術商、柳孝一氏の初釜で有る。

今年で何と10回目と云う、柳氏の「初釜」。略皆勤賞のワタクシとしても感慨無量だが、良くぞ10年間もこのニューヨークという地に於いて、しかも「初釜」と云う日本文化・美術的に重要なオケージョンに於いて、高質の作品・食事・持て成しを提供して来た柳氏には、本当に頭が下がる。

連休前の大渋滞の中、漸く柳氏のギャラリーに着くと、玄関には狩野派絵師に拠るお目出度い鶴の金地屏風が飾られ、先ずは客を迎える。そして、この日2組目の茶会に出席した我ら地獄夫婦の相客は、正客を務めたイェール大美術館のO女史を始め、コロンビア大のM氏、コレクターN氏夫妻、バーク財団のS女史等の総勢12名。

立礼席に入ると、床には官休庵十一代一指斎に拠る「めでたしめでたし」の軸、南宋期の古銅下蕪花入と古清水の桐紋香合が置かれ、床脇には富士山を象った大きな香炉(中立後には、「噴火」していた!)で、正しくお正月らしい室礼。

客が席に着くと、袴姿の柳氏(「然し、氏は和装が一番似合う!」とはマヨンセの談)の挨拶に続き、ニューヨーク武者小路千家随縁会のTさんのお点前で、お茶が始まった。

宗匠随縁斎好の「天遊卓」に収められた釜は古天明の面取、水指は美濃伊賀、茶杓官休庵五代許由斎作「𣜿葉」(ユズリハ)、茶入は金輪寺、そして主茶碗は楽一入作の赤楽茶碗銘「松」。

お菓子を頂いた後、各々が替茶碗の黒織部、辻村史朗や細川護煕作の茶碗でお茶を頂き、その後は一度中立をしてから、点心を頂く。柳氏の初釜の点心は何時も美味しくて、お菓子共々ダウンタウンの「鹿の山」製なのだが、その食材一つ一つにも柳氏の眼が光って居るのが見て取れるからスゴい。

さて美味しいお茶と点心、気の置けない相客達との会話を楽しんだ新春最後の「初釜」と為ったが、茶会後今回使われた茶杓の銘「𣜿」の事を考えて居た。

ご存知の方も居ると思うが、この「𣜿」(別名「譲り葉」)の名の由来は、春に為って枝先に若葉が出た後、前の年の葉が若葉にその場所を譲る様に落葉する事からで、古人はその様子を親が子を育て、代々家が続いて行く事に見立てて縁起物とした為に、正月の飾りに使われるので有る。

偶然にも父の命日に、この銘を持つ茶杓が使われた事に何とも深い感慨を持った訳だが、筆者と「お茶」には、何故か何時もこの様な事が付いて廻る。

子供の頃強制され、あれだけ嫌って居たお茶やお能、歌舞伎や日本美術も、今はそれ無くしては生きられぬ程に為って仕舞った…「三つ子の魂百まで」とは良く云った物だが、それもこれも父のお陰。

命日、そして初釜の「𣜿」は、それを再認させてくれた。


𣜿の 杓で点てたる一碗の 陶に薫るは 父の俤     孫一