雪の夜長の「続・濫読日誌」。

先ずは嬉しいニュース。田中将大投手が、何と7年1億5500万ドル(約162億円)と云う破格の契約で、ヤンキース入団を決めたとの事。

物凄い金額と思うが、田中投手の実力は認めても、一回も大リーグで投げた事の無い若いピッチャーに、これだけの「投資」が出来る事自体が凄い。

昨年新記録を更新したベーコンの作品が約140億円だったが、このレヴェルでの比較は意味が有る様な、無い様な(笑)…何れにしても、田中投手の勇姿をニューヨークで見られるのが待ち遠しい。

そして今度は残念なニュース。クラウディオ・アバドが亡くなった。

異論反論有ると思うが、アバド亡き後、今の世界のクラシック界でマーラーをキチンと振れる指揮者は、ゲルギエフ位しか居なくなって仕舞ったのでは無いか。残された大御所指揮者と云えば、アバド犬猿の仲だったムーティ、メータ、マゼール、ラトルと云った処かと思うが、指揮者も何と無く小粒に為って来た様な気がする。

さて、寒くなったり暖かく為ったり忙しい気候のニューヨークは、再び零下14度の氷点下の世界へ舞い戻った。その上、火曜日は朝からの猛吹雪で、街は一面の銀世界。

そこで今日は雪の夜長に相応しい、先日此処に記した昨年末来の「濫読日誌」の続編をお届けしよう。


東野芳明著「虚像の時代 東野芳明美術批評選」(河出書房新社

2005年に亡くなった美術批評家、東野芳明に拠る珠玉の美術批評を、芸大の松井茂と国立新美術館の伊村靖子が選び編集した書籍。

本書の魅力は、勿論タイトルに為って居る「虚像の時代」を始めとする、東野の鋭い美術批評もそうだが、時にそれ以上に、例えば「夕方五時、10th streetのデュシャンの家を訪ねる」(1966.2.15 「ニューヨーク/コンバイン日記」)とか、「フォンタナがテーブルを叩かんばかりにして『ジャコメッティなんか、あのひょろ長いすばらしいエトルスク彫刻の亜流だ!』と怒鳴っていたのを思い出す」(「女が彫刻を叩く時」)等、今からすると大巨匠達が実際に製作していた「リアルタイム」を、垣間見るれる事だろう。

東野と共に本書に登場する作家は、一緒に旅をするジャスパー・ジョンズや共に街を歩くサム・フランシスを始め、横尾忠則バックミンスター・フラージョン・ケージ荒川修作ラウシェンバーグ、ジム・ダイン、スーザン・ソンタグ磯崎新ヴェルヴェット・アンダーグラウンド等バラエティに富むが、その「リアルタイム」1960年代を才能溢れる綺羅星の様なアーティスト達と共に過ごした著者が、誠に羨ましい!

60年代のニューヨークと今のニューヨークを較べる事自体が間違って居るかも知れないが、しかし今自分が住むこの街で、作品を観たり、会ったりすれ違ったりしているアーティスト達が「40年後どう為って居るか?」と考えるのが、非常に楽しくなった一冊だ。


中島岳志著「血盟団事件」(文芸春秋

昭和7(1932)年に起きた、民政党幹事長井上準之助、三井合名理事長團琢磨暗殺事件「血盟団事件」をルポする本書は、その首謀者井上日召の生涯をクロノロジカルに記しながら、そのメンバー達と井上との出会い、その混沌とした思想・時代背景を綿密に描く、一種のサスペンス・ドキュメンタリーだ。

「一人一殺」をスローガンに、天皇中心主義や特権階級(財閥系財界人、政治家)の一人勝ちの排除を目指し、「自分が捨て石に為り、世直しをする」との「若き情熱」は、殺人と云う手段の問題は有れども、「純粋過ぎた」故の犯罪に見え無くもない。

それは、農村部の青年達と東大生(海軍メンバーは上海事変で参加出来ず)と云う、異なる出自の若者が志を同じくした事と、彼ら全てが悩み学び考え抜いた結果、井上と云う「師」の元に集まった事も含めて、嘗て「一億総中流」と云われた、実質社会資本主義経済国家で有る我が国の、今の国民の政治に対する無関心さ(投票率の低さ)を考えると、其処迄「社会」を悩み抜く人が今何れ程居るかと思わずには居られない。

そして日本人の政治信念的「アツさ」は、筆者も覚えている70年安保闘争駿河台に住んで居た筆者の家は、窓が投石で割れ、催涙ガスが入って来たり、翌朝明大前の大通りには血の後が残り、ゲバ棒や「安保粉砕」と書かれたヘルメット等が散乱していて、宛ら「戦場」で有った)や、成田闘争迄だったのかも知れない…「反原発大集会」には、その僅かな片鱗を見た気がした物だが。

「アツさ」が「ダサい」と云われるこの時代に、不条理な事に反発する気概だけは、持ち続けたい…と思わせる力作で有る。


町山智浩著「トラウマ恋愛映画入門」(集英社

映画評論家に拠る、22篇の恋愛映画を解説する「恋愛映画論」。

何しろ本著では、著者の映画作品の選択がセンス良く、と云うか自分と趣味が似ていて(笑)、特にニコラス・ローグの「ジェラシー」(拙ダイアリー:「ベルヴェデーレ宮殿の『接吻』」参照)や「赤い影」、ベルトリッチ「ラスト・タンゴ・イン・パリ」、アン・リーの「ラスト、コーション」、キューブリックの「アイズ・ワイド・シャット」、そしてフェリーニの「道」は、その「恋愛オンチのために」と云う著者の選択に、激しく同意する。

しかし若し筆者が「トラウマ恋愛映画」を選ぶと為れば、「ナイン・ハーフ」や「愛の嵐」、「カサブランカ」や「男と女」、「イングリッシュ・ペイシェント」や「めぐり逢い」(デボラ・カーの方)、これぞ極め付け「ベティ・ブルー」と、ジェレミー・アイアンズ&ジュリエット・ビノシュの「ダメージ」を挙げねばならない!

筆者は映画から、恋愛を含む人生に必要な知識の大半を教わった(拙ダイアリー:「クニタチ・シネマ・パラディッソ」参照)…それは、勿論とても実践不可能なケース・スタディも有ったが(笑)、しかしそれでも、人間の多様性と愛の多様性を学ぶには充分だった。

そして本書は、ワタクシの様なオジサンが読んで過去を懐かしむのにも良いが、是等の映画を観た事の無い若い世代に是非読んで欲しいし、DVDを観て欲しい…恋愛が如何にバラエティに富む、知的で複雑怪奇な「ゲーム」かと云う事が判るからだ。

最近、グッと来る恋愛映画が世界的に少ない気がする…況や日本映画では、で有る。恋愛をしないと云われる日本の若者に、深い恋愛映画を創れと期待する方が無理と云う物か。


と云う感じだが、今は、「3.11」後の生活を描いた大江健三郎の新作「晩年様式集 イン・レイト・スタイル」(講談社)を読書中…そして、「水死」(拙ダイアリー:「大江健三郎キース・ジャレットの『TESTAMENT[遺言]』」参照)以来の氏の作品を読みながら思い出したのは、矢張り反原発大集会での大江氏のスピーチ原稿だった。

ノーベル文学賞受賞作家が、完全なる手書きの原稿に直しに直しを入れた最終型の文章は、5歳の子供から老人迄、学が有ろうと無かろうと、その集会に来ていた全員が理解出来る素晴らしい内容と為って居た。

「本物」とは、こう云う事を云うのだ!…と、「反原発」が争点に為るやも知れぬ都知事選を前にそんな事を思ったが、昨晩偶々細川氏&小泉氏の渋谷駅前での街頭演説をネットで見たら、彼らが見せた迫力と心意気にホトホト感心し、「これは勝つのでは?」と思い始めた。

この選挙の争点に「反原発」を持って来た彼等は鋭い…そして小泉氏が云った様に「若くても覇気が無ければ若者では無い。老人でも覇気が有れば若者だ」と云うのも真実だ。70を超えた彼等を見て、渋谷の若者達はどう思ったのだろうか…?

本の話が選挙の話に為って仕舞った処で(笑)、今日はお仕舞い。