「アーティスト」と「キュレイター」に拠る小説二題。

怒涛のAsian Art Weekも漸く終わり、クリスティーズの「エルズワース・セール」も計1億6100万ドル(約193億2000万円:27日に終わるオンライン・セールを除く)を超える売上を記録し、三寒四温だった気温も何とかプラスに留まる様に為ったニューヨーク…が、疲労困憊の僕はノックダウン寸前。

そんな今日のダイアリーは、忙中時間を見つけては読了した2冊の小説に就いて…なのだが、この2作は両作とも、元々は小説家では無いアート関係者に拠る物だ。

その内の1冊は、長い間この作品の存在を知りつつも読む機会を逸して居た、コンテンポラリー・アーティスト会田誠に拠る「青春と変態」(ちくま文庫)。

本作は「日記」或いは「ノート」の体裁を採って居ても、実際は良く出来た創作青春小説で、僕等の世代には懐かしい映画「グローイング・アップ」や、村上龍の「69」を思い出させる「高校男子小説」と為って居て、瑞々しくもホロ苦い「変態」振り(笑)が見事に描かれる。

常々思って居たのだが、会田誠と云うアーティストの作品には、何時も何処かセンチメンタルでノスタルジックな所が有って、ブッチギリ感満載の作品中にも時々垣間見えるオネスティやシャイネスが、会田氏自身とその作品の魅力なのだと思う。

そしてそんな魅力はこの小説でも十二分に感じられ、女子便所の「覗き」自体は実際軽犯罪法違反だろうから、謂わば本作は会田氏の「仮面の告白」でも有る訳だが、そんな他人の秘めた欲望を「覗く」愉しみに溢れつつ、何よりも最後の最後で描かれる「恋のドンデン返し」に泣かされる、青春小説の傑作で有った!

さてもう1冊は、今と為ってはもう「キュレイター」では無く「作家」と呼ぶべきかも知れない原田マハの新作小説、「異邦人(いりびと)」(PHP研究所)だ。

原田作品を僕が読んだのは、「楽園のカンバス」「太陽の棘」(拙ダイアリー:「沖縄とアート、或いは『いちゃりばちょーでー』の精神」参照)に続いてこれが3作目なのだが、MOMAとアンリ・「ル・ドワニエ」・ルソー、沖縄と現地画家玉那覇正吉をテーマとして来た原田が今回選んだのは、何と「京都」と「現代日本画(+画壇)」なので有った。

そして其処に登場する人物達は、僕に取っては余りにリアルな存在で、それはバブル時代に不動産業で当てて個人美術館を創った富豪一家や、その家族を顧客にして大きく為った一流近代絵画商の家族、彼等の間で取り交わされる一種の政略結婚や美術品財産管理の錯綜、そしてバブル崩壊後の母体企業の経営危機と作品放出、後進が世に出るのを阻む大御所画家から「京都人」達迄、僕のキャリアの中でも何処かで実際に見聞きして来た事のてんこ盛りだったからだ。

そんな魑魅魍魎が蠢き、欲望が錯綜する日本近代美術業界が描かれる本作中で、唯一清楚に輝いて居るのが、クレーを髣髴とさせる日本画、そしてその技法で「睡蓮」を描く口のきけない美人画家と、その薄幸の画家と運命の邂逅を果たす、天才的な美術品彗眼を持つ画廊の娘で有る。

正直この「異邦人」のストーリーは前2作のパワーには欠けると思ったが、「京都」と「近代日本画」のテーマは、元来西洋美術が専門で有る著者の新境地と云って良いと思うので、次回作は是非とも「古美術」業界にチャンレンジして頂きたい!

最後に、今日此処に挙げた会田・原田両氏の著作は、勿論エンターテイメントとして十分に楽しめる小説に仕上がって居るのだが、もう1点個人的に非常に興味深い点が有って、それは「アーティスト」と「キュレイター」と云う著者達の出自(アート・バックグラウンド)の違いが、各々文中の彼方此方に見え隠れした事だった…これは2作品を続けて読んだ所為かも知れないが、「三つ子の魂百迄」と云う事なのだろうか?

何れにしても、両氏のこれからの著作に期待しつつ、今日は此れ迄。