大和屋、ラフマニノフ、六地蔵と、人生の無常と。

今僕はメインの仕事の他に美大客員教授、また日本文化系財団・学会等の理事を3つ程やらせて頂いて居るのだが、最近もう一つ新しくも興味深いお仕事が…。

それは某官庁から仰せ付かった、政府制度研究会の委員。初会合にお邪魔すると、僕以外には大学教授や法律家、美術館学芸員、画商、金融関係者の方々が委員と為って居るし、会合にはもちろん政府の方々も出席されて居て、未だに「何故僕が?」感が否めないのだが、その新しい制度の内容は重要且つ興味深いモノなので、ちょっと頑張ろうかなとも思っている…が、基本的には僕は制度破壊を目指して居る人間なので悪しからず、なので有る(笑)。

さてピョンチャン・オリンピックも終盤に入り、日頃スポーツ観戦をしない僕でも、スピード&フィギュア・スケートやカーリング等の中継時にはテレビに釘付けに為って居るのだが(然しオリンピックのお陰で、眞子様の結婚の儀延期の話題が世間から掻き消された…これも政府の手だっんだたろう)、或る事がずっと腑に落ちないで居るので、今日はその事から。

それは男子モーグルで銅メダルを獲った、原大智選手のコーチの事。原選手の銅メダルは日本男子モーグル界史上初と云う事で本当に素晴らしく、彼に関しては何の文句も無い。また、彼を13歳から指導しながら4年前に27歳と云う若さで惜しくも急逝した、平子コーチとの約束を果たしたと云う話も美しい…が、メディアではこの平子コーチの事ばかりが取り上げられて、平子氏亡き後原選手を4年間指導し、メダリストへと導いた筈のコーチの事に誰も触れていない気がするのは、僕だけだろうか?

人間が出来ていない僕がそのコーチだったら、「原選手を此処まで育てたのは、『平子コーチと俺』なんだぞ!」と叫んで居るのではと無いか。シニカルな様だが、日本人は所謂お涙頂戴的な「美談」好きだから仕方ない。だが、いみじくもスピード・スケートの小平選手の金メダル決定後のインタビューで、「コーチと二人三脚で獲りましたね」と云うインタビュアーの問い掛けに、小平選手は「コーチとの二人三脚では無くて、チーム全員と頑張った」と敢えて訂正して答えて居た事を鑑みると、メディアが考えがちな「ネタになる話題」報道には、僕等も踊らされてはいけない気がするので有る。誰か原選手の「直近のコーチ」の事も教えて下さい!

てな感じの今日この頃だが、此処からが本題…今回も最近僕が体験して来た藝術の覚書を、メモ形式で。


ー舞台ー
・「歌舞伎座百三十年 二月大歌舞伎 夜の部」@歌舞伎座:先月に引き続き、高麗屋三代の襲名披露公演へ。歌舞伎座は団体客でごった返していたが、ロビーでは現代美術コレクターY氏や、友人の化粧品会社CDのT氏夫妻、顧客C氏等に遭遇。然し驚いたのは、何と緞帳が「草間彌生」に為って居た事で、然も作品は「富士山」等では無く、恐らくは初期の抽象絵画を3点配置した物…歌舞伎座に現代美術の緞帳が掛かる事自体には異論は無いが(寧ろ望ましい)、この作風は似合わない。緞帳って、誰がどう云う基準で決めているのだろう?さて今月の夜の部は、お馴染み「熊谷陣屋」「壽三代歌舞伎賑 木挽町芝居前」「仮名手本忠臣蔵 一力茶屋」の三狂言。「熊谷陣屋」は新幸四郎が頑張るが、矢張り声と台詞廻しが未だ未だで、5年前の吉右衛門の舞台で号泣した僕には物足りない。が、脇を固める魁春左團次菊五郎が素晴らしかったので、どうにかこうにか。幕間には久し振りに隣の「B」に出向いて「日之影栗のプリン」を頂き、相変わらずの旨さに悶絶する。このプリンはここ数年食べた如何なるマロンちゃんの中でも、未だにベスト3に入って居るのだ。次の襲名公演で良く掛かる幹部総出演の華やかな「木挽町芝居前」では、こう云っちゃあ何だが、芝居に集中せずにキョロキョロしたり、ダルそうにして居た海老蔵の悪い態度が目立って、周りの幹部連中がキチンとして居るだけに、折角の祝言の舞台の上であんな態度が許されるのか?とイラ付く。そして「一力茶屋」…これはもう松嶋屋と大和屋の2人の美しくも軽妙な演技が超素晴らしく、それに新白鸚の重さが加わった素晴らしい舞台。この平右衛門・お軽の役は、偶数日は海老蔵菊之助のコンビに変わるのだが、先に此方を観て仕舞うとどうだろう?夕飯は歌舞伎座帰り恒例の寿司屋「M」へ…減らず口を叩きながらの寿司は、幸せスグル。

・「面影」@国立能楽堂:フランスの詩人ポール・クローデルの作品、「女とその影」を原作とする新作能金剛流宗家金剛永謹師がシテの先妻の霊を、家元後嗣の龍謹師がツレの後妻を演じる。そして「清経」の小書で良く知られる笛の「恋之音取」で幕を開けるこの新作能は、詩情溢れる「蝋燭能」として上演されたのだが、実はこの「女とその影」は大正12(1923)年3月に帝劇に於いて、五代目中村福助主宰の「羽衣会」にて上演された事が有って、その時は柞尾佐吉作曲、鏑木清方が装置と衣装を担当すると云う豪華版だったらしい。これも何とも観たかった舞台だが、今回の金剛宗家の舞も成る程素晴らしく、夢幻能として完成度の高い新作能と為って居た。

・「松風」@新国立劇場新国立劇場開場20周年記念公演で有る本舞台は、観阿弥世阿弥作の能「松風」をオリジナルとした作品で、細川俊夫作曲、サシャ・ヴァルツの演出・振付。本公演は日本初演だが、実は僕はこの舞台を2013年にニューヨークで観て居て、その時の演出家は今回のヴァルツでは無かったのだが、纏まりが無く曖昧模糊として居て、辟易とした思い出が有った。なので、今回少しばかりの期待をして行ったのだが、残念ながら感想は変わらず、と云うのが本心。僕に取っての一番の疑問は、何故思い切った時代・役柄・物語の改変をしないのかと云う事で、成立後500年以上経ち、その長い年月の間シェイプされ続け、ミニマライズされ続けた最高級の芸術作品を改変するに当たり、 あの舞台で「ユキヒラ〜」と外人に歌われても違和感が有り過ぎるし、単に怪談若しくは亡霊譚に思えて仕舞う仕舞うストーリー、「武満っぽさ」から脱皮出来切れない音楽、散漫に見えて仕舞ったダンス・演出の一体感の無さは、再び僕を眠りへと誘ったのだった。異論が有れば、是非。


ー音楽ー
・「読売交響楽団 feat.ニコライ・ルガンスキー」@サントリー・ホール:読響の名誉指揮者、ユーリ・テミルカーノフ指揮、ピアノにチャイコフスキー・コンクール最高位のルガンスキーをフィーチャーした音楽会。この晩のプログラムは、チャイコの「幻想曲『フランチェスカ・ダ・リミニ」、ラフマニノフの「パガニーニ狂詩曲」、ラヴェル組曲クープランの墓』」、そしてレスピーギ交響詩『ローマの松』」。オーケストラの出来はそれなりだったが、ルガンスキーのピアノにはラフマニノフの曲の演奏に必要な微妙な「タメ」が有り、余りにもラフマニノフ向きで嬉しく為る。会場では、音楽バーを持つコレクターS氏にもバッタリ。


ー展覧会ー
・「寛永の雅 江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽」@サントリー美術館寛永年間の京都芸術文化にスポットを当てた展覧会。遠州の「綺麗さび」に代表される瀟洒なアートを生んだ寛永文化は、公家や武士、町人の中でボーダーレスに成長する。その展覧会中の個人的白眉は、矢張り小井戸茶碗「六地蔵」と膳所光悦、そして「朝儀図屏風」(然し、何故この屏風が裏千家に在るのだろう?)で、特に「六地蔵」は矢張り僕が「老僧」と共に、一生に一度で良いからお茶を飲んでみたい逸品だ!…と思って居た矢先、下の階の展示室前で笑いながら手を振る集団が。最初、手を振られて居るのは僕ではないと思い、辺りを見回して見たが、どうも皆様僕に向かって手を振って居られる様で、良く見ると某美術館館長と学芸員の方々がサントリー学芸員の方といらっしゃる。ご挨拶すると「丁度孫一さんの話が出てたんですよ!『六地蔵』お好きなんだろうなぁ…ってね」と仰る…噂をすれば、影(笑)。

・「ポートレイツ」@Maho Kubota Gallery:オピー等7人のアーティストの「ポートレイト」作品を集めた展覧会。僕は個人的にポートレイトが好きで、自分が偶に買う現代美術作品も何故か広い意味でのポートレイトが多いのだが、今回の展覧会では、武田鉄平の「一見『厚塗り』に見えるが、実作を観ると実は写真の様にしか見えない程『薄塗り』な絵画」が面白い。

・「色絵 Japan CUTE!」@出光美術館:江戸期の色絵磁器を中心に構成された展覧会で、鍋島、古九谷、柿右衛門、仁清、デルフトやマイセン迄、名品を堪能出来る。ファッション性溢れる色絵磁器の中でも、僕は古九谷が好きで、今回も驚くべきデザインの数々に驚嘆。本展を観ると、日本の美術は「デコラティヴ&ミニマル」の両輪の上に成り立って居るのだと、熟く思う。

束芋「ズンテントンチンシャン」@Gallery Kido Press:現代美術家束芋の、初の銅版画展。この奇妙な展覧会タイトルは口三味線の表現らしいが、そもそも本展の作品は朝日新聞に連載された吉田修一の小説、「国宝」の挿絵が元に為って居るらしい。作品中には文楽岡本太郎太陽の塔等も登場する。お値段もお手頃で、一寸欲しい作品も有った(笑)。

奈良美智「Drawings: 1988-2018 Last 30 years」@Kaikai Kiki Gallery:何と、村上隆奈良美智のレップと為る第1回展。高天井の壁面と透明ガラスのデスクに、膨大な数のドローイングがクロノロジカルに並べられる。その作品群は、奈良がそれこそ真のアーティストだと云う事を証明すると共に、特に初期作品の素晴らしさは、プロトタイプと為る前の初々しさを際立たせて居て、僕は感動すら覚えたのだが、然し小山さんの事を考えずには居られなかったのも事実…色々な意味で興味深い展覧会だ。

・住山洋「Sea of Tranquility」@Books & Sons:現代美術家杉本博司に師事し、長年ニューヨークで活動して来た写真家の展覧会。住山のソフトフォーカスな暖かい写真は、観る者を自然へと引き込む。フィルムケースを使った自作ピンホール・キャメラも展示される、作家の温もりを感じる本展、会場の「Books & Sons」も良い意味で日本らしくないスペースなので、是非一度訪れて頂きたい。

・「仁清と乾山ー京のやきものと絵画」@岡田美術館:久し振りに訪れた箱根岡田美術館では、仁清と乾山を中心に、琳派絵画や若冲迄も含めての展覧。が、驚いたのは最上階仏教美術の部屋に入った途端、見覚えの有る仁王像一対が眼に入った時だった。「嗚呼、此処に入ったのか!良かった」と、大変御世話に為った元のオーナーの事を感慨深く思い返して居たのだが、その2日後にまさかそのオーナー氏の逝去を某レストランで知らされるとは…美術品は時に人生の無常を予言する。

・鈴木康広「始まりの庭」@彫刻の森美術館:自然現象を巧みに活かした、現代美術&デザインの展覧会。水滴が彫刻に為り、彫刻の「上」は「下」に為り、メトロノームの音すらアートに為る。鈴木の或る意味ユーモラスな「軽さを測る天秤」や「空気の人」等は、自然とアートの関係性と親和性を改めて「楽しく」考えさせられた作品だった。

会田誠「Ground No Plan」@表参道ダイヤモンドビル:2年に1度開催される、大林財団の新しい助成プログラム「都市のヴィジョン」の第一回。現代美術家会田誠が考える都市・国土を、マルチ・メディウムで表現するが、正直アートの展覧会と云うよりは、アイディア展に近いと思う。

・Hernan Bas「Imsects from Abroad」@ペロタン東京:アメリカ人アーティスト、バスの作品中の人物は何処かエゴン・シーレを思わせるし、風景は例えばラファエル前派の作家ミレイの「オフィーリア」やモネの「睡蓮」を感じさせる…が、決して剽窃や模倣に留まって居る訳では無く、現代的頽廃感を上手く表現して居る作品だと思う。ちょっと欲しく為ったが、怖くて値段が聞けない(笑)。

・「日本陶磁協会賞受賞作家展ー和のこころ 愉しむうつわ」@和光ホール:日本陶磁協会賞を受賞した重松あゆみと伊藤慶二の作品を中心に、歴代の受賞作家43名と「現代陶芸奨励賞」の福井・富山展受賞作家6名に拠る展覧会。来年引退をする予定の楽吉左衛門の黒茶碗から、手頃な酒器迄「愉しむ」焼物が揃う。会場では先日「陶説」でインタビューをして頂いた事務局長のM氏にばったりお会いしたが、氏のハード・ワーク無くしてはこう云った陶磁協会の展覧会も実現しないに違いない。手元で楽しむ陶磁器を、もっと身近にしたいと云う想いを同じくする。


さて年を取ると必然的に多くなるのが、お世話に為った方々のお葬式やお別れ会…最近も、親戚筋の冨士屋ホテル最後の創業家からの総支配人山口祐司氏、また公私共に大変お世話になったサンモトヤマ会長の茂登山長市郎氏のお別れ会に参列。

特に96歳で大往生された茂登山氏は、本当に豪快な方で、僕がニューヨークから日本に出張に来ていた時、銀座界隈の道端でばったり会って仕舞ったりすると「こらっ!日本に来たら必ず連絡しろっ!」と笑顔で怒鳴られ、数え切れない位鰻や洋食をご馳走して頂いた。

僕みたいな風来坊的若造にも、分け隔て無くフランクに接して呉れた懐の大きさは、氏の180cmを超える体格と共に、多くの人々を暖かく包んで呉れて居たに違いない…偉大なる「ハクライ屋」茂登山氏のご冥福を、心からお祈り致します。


明日明後日は、毎年恒例の人間ドック…はてさてどうなる事やら。


PS:先程、ニューヨーク禅堂の嶋野老師が名古屋で客死されたとの連絡を受けた。老師のご冥福をお祈り致します。


ーお知らせー
*生活の友社刊「月刊アートコレクターズ」2月号(→http://www.tomosha.com/collectors/9235)にて、ショート・インタビューが掲載されて居ります。ご一読下さい。

*山口桂三郎著「浮世絵の歴史:美人画・役者絵の世界」(→http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062924337)が、「講談社学術文庫」の一冊として復刊されました。ご興味の有る方は、是非ご一読下さい。