茶入「残月」の物語。

アッと云う間に、2月に為って仕舞った。

トランプは相変わらず大統領令を乱発して、特に7カ国からの入国制限で物議を醸し出して居るが、それに批判的な日本のメディアには首を傾げざるを得ない。

聞く処に拠ると、昨年度の日本への難民申請7526人の内、許可され入国したのはたったの27名だと云うから、今回のトランプ令での入国拒否人数の方が圧倒的に少ない訳だが、こう云う機会に日本の難民・移民政策を問うメディアも殆どないのが実情。

僕は「誰だって自分の土地に余所者がわんさかと入って来たら困るし、危険を感じるのは当然では無いか?だから『制限する』」と云う考えには概ね賛成するし、アメリカは歴史的にもう十分それを受け入れたとも思うので、「規制」の必要性には賛成だ。

そんな僕は、日本陶磁協会賞展やChim↑Pomの「レクチャー・パフォーマンス」を観に行ったり、はたまた某アーティストと古美術商に同伴し仏教美術作品を検分したり、或いは京都で名品を某所に借り出してポテンシャル・バイヤーに見せたりとバタバタして居たが、今日は最近体験した映画と舞台の事を。

その内の先ずは映画…来年没後100年を迎える世紀末ウィーンの画家エゴン・シーレを描いた、ディーター・ヴェルナー監督作品「エゴン・シーレ 死と乙女」で有る。

1890年ウィーン近郊で生まれ、人間的にも美術的にも早熟だったシーレは、クリムトやそのモデルのヴァリ、そして妻となるエディット等の女性達との邂逅を経て、28年の短い生涯を絵画と女に費やした。

そんなシーレが自身とヴァリを描いた大名作で、現在クリムトの「接吻」と共にベルヴェデーレ宮殿に在る「死と乙女」のそのタイトルの「由来」が、本作のテーマと為って居る。

が、結局映画作品としては大した事が無く、正直唯一その「由来」だけが発見な伝記映画だったのだが、「実力は有るが、救いの無いアーティスト」とは、ホンモノのシーレやクリムトの作品と同様に、何と魅力的モノか…と再認識させられた。

もう一つ「舞台」の方はと云うと、それは歌舞伎座「猿若祭二月大歌舞伎」の夜の部。中でも取り分け「門出二人桃太郎」と、「梅ごよみ」が素晴らしかった!

「二人桃太郎」は、勘九郎の長男と次男がそれぞれ勘太郎と長三郎を襲名した記念の初舞台だが、子供達は或る意味親父よりも確りとして居て、然も超カワイイ(笑)。特に長三郎は、あんなに小さいのに一生懸命台詞も覚え、見栄も切るのだから、もう拍手喝采染五郎の口上では、高麗屋三代が中村屋三代の「桃太郎」で共演した旨が述べられたが、こう云う処が長年の歌舞伎ファンには堪らないのだ。

また贔屓の菊之助が出た「梅ごよみ」は、辰巳芸者の恋の鞘当てがコミカルに描かれる良く出来た世話物で、昭和2年の舞台では舞台監督を永井荷風、舞台美術を鏑木清方が務めた程の人気狂言だが、今回は相変わらずの菊之助の美しさと、染五郎のちゃらんぽらん(役柄の)な上手さが際立った。

僕がこのコンビを観るのは4年前の「四谷怪談」以来だったが(拙ダイアリー:「『四谷怪談』と『七夕茶』」参照)、僕の中では既に松嶋屋+大和屋コンビ位の勢いで素晴らしく、将来が本当に楽しみな立役+女形なのだ。

で、この「梅ごよみ」の中で重要な役割を果たすのが、「残月」と云う銘の茶入。

劇中、千葉半次郎(萬太郎)は主君から預かって居た畠山家の重宝茶入「残月」を盗まれて仕舞い、100日以内に見つけ出さなければ、その責任を取って切腹せねばならない。そこで半次郎に仕える染五郎演じる丹次郎が主人を助ける為に、自分に惚れて居る芸妓仇吉(菊之助)を使って「残月」奪還を図るのだが、この事からも戦国時代のみ為らず、江戸の世に為っても如何に「茶入」の価値が大きかったかが分かる。

さて、実はこの「残月」と云う唐物肩衝茶入は実在して居て、「山上宗二記」や「宗湛日記」にも記載が有るとの由。榊原家に有った頃、灰吹を某人が茶入としたと云う説も有るらしいが、何しろこの「残月」は来歴が凄くて、東山御物ー織田有楽ー前田利家徳川家康榊原康政ー榊原忠政ー京極安知ー泉屋六郎右衛門−松平不昧と伝来する。

そして数年前の「政府調達」官報に拠ると、某有名茶道具商が文化庁に数億円で売却して居るらしいから、文化財指定を受ける日も近いかも知れない。

「梅ごよみ」のラストは、丹次郎が手に入れた本物の「残月」を半次郎に渡した上で、良家のお嬢様と一緒に為る事となり、袖にされた2人の芸妓が下の「捨て台詞」を声を揃えて呟き大団円と為るのだが、僕としては茶道具が政府に買われて使われなく為ると云う時も、何処と無く彼女達と同じ気持ちに為るのだ…曰く、

「白けるねぇ…」(嘆)。