「数字」より大事なモノ:Ken Watanabe's "The King and I"@Vivian Beaumont Theater.

智恵子は紐育に春が無いといふ。

…等と高村智恵子が云う筈も無いが(笑)、今年のニューヨークには本当に春が無くて、余りにも酷かった冬から、いきなり夏っぽく為って仕舞った。

そして、ピカソの「アルジェの女たち」の世界新記録達成の興奮も未だ残るNY…が、もう恐ろしいの何のって、何故ならここ数日の間にマンハッタンのド真ん中で立て続けに、然も真っ昼間に発砲事件が有ったからだ。

先ずは55丁目とパーク街の角に在る宝石店に強盗が入り、警察が発砲し犯人が反撃した銃撃戦。そしてその2日後には、37丁目と8番街の辺でハンマーを振り回して居た男に、これまた警察官が発砲して射殺…まるで1970-80年代のニューヨークでは無いか!

それとフィラデルフィアでのアムトラック脱線事故も、恐怖極まりない。何故なら僕もついこの間出張で、そのアムトラックに乗ってフィラデルフィアを往復したばかりだったからだ。然しこう云う事件事故は続く事が意外に多いから、これから何事も無い事を祈りたい。

そんな中、ニューヨークの春のメイン・セールズが全て終了し、サザビーズ印象派・近代絵画で4億1998万9250ドル(約504億円)、現代美術で4億7248万6775ドル(約567億円)を売り、計8億9247万6025ドル(約1071億円)を売り上げた。

が、対する我がクリスティーズはその倍近く、先週1週間で何と17億2601万9375ドル(約2071億2200万円)を売り上げ、美術市場史上「1週間での売り上げ」世界最高記録を作った。内訳は戦後・現代美術が9億8448万750ドル(約1181億2200万円)で、印象派・近代絵画が7億4153万8625ドル(約890億円)だが、現代美術だけでの1000億円超と云う数字は驚愕の一言に尽きる。

また売れた作品の価格帯を見ると、1億ドル以上で売却された作品が2点、5000万ドル超が7点、2000万ドル超が18点、1000万ドル超が31点、そして100万ドル以上が147点。

レコード・プライスも、前回此処で記した「如何なる美術品の中でもオークション最高価格」のピカソ、「如何なる彫刻作品でも最高価格」のジャコメッティ、そのピカソジャコメッティの他にフロイドとモンドリアンにもアーティスト・レコードが出た、美術品市場史に残るモンスター・セールズと為ったので有る。

さて、こう云った激動の2週間に渡る「ザ・ハーデスト・アート・マーケット・ウィークス・ストレス」から逃れるには、親しい友人や顧客達との気の置けない食事や、己の商売に全く関係の無い芸術を堪能するに限る。

先ずは「食事」。下見会期中から時間を見つけては、核拡散防止の専門家と美味しいイタリアンを頂いたり、日本からの顧客や能役者とステーキやマトンを食べたり、はたまた親しいブラジル人アーティストの自宅で激ウマの手作りパスタ&手作り「パッション・フルーツ・ムース」をご馳走に為ったり、或いは「世界第2位の大声」を持つ男等と再びの「歌会」を4時間以上催したり。

そして此処数週間、僕の心を癒し元気付けて呉れたのは新生ホイットニーやMOMAでは無く、実は幾つかの音楽と舞台だったのだが、美術館に行かなかった理由は単純…この時期に絵画・彫刻作品を観ると直ぐに「数字」が頭に浮かんで仕舞うからだ(泣笑)。

その音楽&舞台芸術の初っ端は、以前此処に記した様にMETオペラの「カヴァレリア・ルスティカーナ」だったのだが(拙ダイアリー:『「カヴァレリア・ルスティカーナ」の贖罪」参照)、第2段はアヴェリー・フィッシャー・ホールでの、アラン・ギルバート率いるニューヨーク・フィルに拠る或る意味力強過ぎるシューベルトの「未完成」と、コミッションされた現代オペラ歌曲…「未完成」の名に相応しく大満足と云う訳では無いが、ほんの少しだけ心が落ち着く。

続く第3段はジャパン・ソサエティーでの能公演「New and Traditional Noh: Holy Mother in Nagasaki & Kiyotsune」で、免疫学者多田富雄(拙ダイアリー:『「寡黙なる巨人」の死』参照)作の「長崎の聖母」を実は今回初めて観たのだが、何とも拭い切れない違和感を覚えつつも「清経」では見事に眠りに落ち、少しばかり疲れが取れる(笑)。

そして今回の「癒し」の大トリは、リンカーン・センター内のVivian Beaumont Theaterで渡辺謙がシャムの王様を演じるミュージカル、「The King and I(王様と私)」(→http://www.lct.org/shows/king-and-i/)で有った!

謙さんとアンナ役のケリー・オハラの主演2人が、この舞台で共にトニー賞の主演男・女優両賞にノミネートされた事も有るのか、劇場は満員。そしてロジャース&ハマースタインの素晴らしい音楽がオーケストラに拠って奏でられ始め、「王様と私」は開演した。

先ず何しろこの舞台は当然音楽(ロジャース&ハマースタインは天才だ!)、また演出とプロダクション・セットが超素晴らしい…そして謙さん以外のオハラ、マイルズ、パクの3人の女性パフォーマー達の歌と演技の実力が卓越して居る上に、更にオーケストラの音もシャープで、僕の「ミュージカル」に対する今迄の偏見が見事に払拭された程だ!

で肝心の謙さんはと云うと、予想された様に英語がイマイチで、何を云って居るか良く聞こえず、台詞回しは一本調子だし、歌も上手く無い。

が、大舞台と超一流ブロードウェイ・キャストに負けないその存在感、それと「此処迄良く頑張った!」感は余り有る程感じられ、略3時間に及ぶ公演中喋り捲り、歌い、踊った謙さんに、僕を含めた観衆が初め持って居た筈の違和感も何時か消化させられ、気が付けばカーテンコールの際には、観衆達は大きな感動と共に盛大なるスタンディング・オベイションを送って居たのだ!

そう、渡辺謙と云う俳優は稀有な役者で有る。

それは彼が白血病を克服し、死の淵から生還したからだと思うが、現代の他の日本人俳優が持って居ない「覚悟」が面魂や行動に現れていて、俳優として世界に挑戦する意気込みは誠に素晴らしい。その上、如何にアジア人男優が主役を務められる数少ない作品と雖も、「撮り直し」の効かない、誰もが注目し批評も厳しいこの大名作ミュージカル「舞台」に挑戦した事自体が、大尊敬に値する。

そんな謙さんに対するその尊敬の念は、恐らくは共演者やスタッフも十二分に持って居て、それは彼の「人格・人柄」がスタッフを惹き付け、助けてあげたいと心を動かすからだろう…故に観客は、他のキャストの謙さんに対する暖かい「サポート感」をこの舞台で強く感じるので有る。

そして彼の不完全な英語や台詞回しは、最後には英語ネイティヴの者達をも笑わせ、感動させて仕舞う程のパワーを持った…これも「一大事と申すは今日只今の心なり」的な、「覚悟」の為せる技に違いない。

さて世の中には、「売り上げ」や「記録」の様に数字で測れる事も有るが、例えば「感動」や「覚悟」と云ったモノの様に、数字で測れない物の方がより大切なケースも多い。

なので僕としては、謙さんがトニー賞を獲ろうが獲るまいが、そんな事はもうどうでも良くて、唯「The King and I」と云う素晴らしい舞台に見える渡辺謙、いや、Ken Watanabeの生き様を、「数字」に翻弄され続け、勇気を失い、覚悟を決められない今の日本の若者に見せてあげたいと思うのだ…Ken Watanabeの生き様とは詰まり、人生とは勇気と覚悟に拠って切り開かれる、と云う証なのだから。

先日ニューヨークの寿司屋で、僕は隣に座ったアメリカ人に「You quite look like Ken Watanabe…are you ?」と声を掛けられた(笑:偶に似ていると云われる…拙ダイアリー:「似て非なる者」参照)。

Ken Watanabeはアメリカでもそれだけメジャーに為った訳だが、そんな謙さんに負けずに、勇気と覚悟を持ち続けて挑戦し続けたい、と心に誓った孫一なのでした。