藤田嗣治の戦争画に観た「告解」と「赦し」。

最近、若手ミュージシャンに詳しい若い友人から、かなりカッコイイ男女ユニットの存在を教わった…その名は「グリムスパンキー」。

一聴して彼らの音楽はR&Bをベースにしたロックだと判るが、アンダーグラウンド・シアター系のPVや歌詞の面白さ、そして何よりもヴォーカルのレミの恐るべし歌声は、ジャニス・ジョップリンの再来と云って良い程、パワフル…是非お試し下さい(→https://m.youtube.com/watch?v=oB_y6YpDJRwhttps://m.youtube.com/watch?v=tI8FR19E6ck)。

さて、今年の「栗」の季節は終わった…筈だった。

僕の目前に再び出現した、大阪リーガ・ロイヤルの鉄板焼き「N」でデザートとして出た「アイスモンブラン」やパレスホテルの「マロンシャンティイ」等の「マロンちゃん」は、まるで「私を忘れないで!」と僕に念を押す様だった…君の事を忘れる事なんか、出来る訳無いぢやないか!

そんな先週末は、仲の良いアーティスト達と神宮前の「A」で忘年会。天才芸術家Nや来年早々ニューヨークのギャルリー・ペロタンで初個展が開催されるK、建築家Iの各氏、KのプロデューサーA女史と代官山女王が出席した会は、相変わらず周りから顰蹙を買う程の盛り上がり。

深夜過ぎの〆のカレー後、結局1時間だけと云う事で道玄坂の「歌広」に行くが、予想通り1時間で済む筈も無く、3時を廻った時点での恒例のNの忌野清志郎風「スローバラード」と「君が代」を、全員が悶絶抱腹絶倒しながら終了…皆様、大変お疲れ様でした(笑)。

そしてそのカラオケの所為で喉を痛め、其処から風邪を引き発熱して仕舞った僕を待って居たのは後輩との関西出張で、朝7時半の新幹線に乗る前に有楽町の24時間営業のマツキヨに行き、風邪薬を掻き込むと云う事態に。

が、その根性が物を云ったのか、出張は中々上手く行き、帰京後は風邪を騙し騙しの忘年会三昧…先ず某現代美術館T学芸員を顕彰する恒例「T会」は、六本木の中華「K」で。

出席者はT女史、ギャラリストO、K、U、T氏、コレクターT氏、僕の何時もの7名。爆弾発言満載の中、Rさん夫妻の作る翌朝決して胃凭れしない激ウマサッパリ中華を堪能した我々は、来年夏に開催予定のT女史キュレーションの大掛かりな展覧会の成功を祈り、忘年とした。

昨晩は昨晩で、当社東京オフィスの忘年会。八重洲の餃子店「T」の餃子は流石に美味しく、その後はカラオケ大会へと雪崩れ込み、吉幾三郷ひろみレミオロメン等を歌う…が、毎度の歌が飽きて来たので、バックナンバーの「クリスマス・ソング」を早く練習せねば、と心に誓う。

で、本題…言い訳がましいが、食と歌と仕事だけで無く、きちんと展覧会に勉強にも行ってます(笑)。

先ずは建築系2展…先ずはワタリウムで始まった「リナ・ボ・バルディ」展は、妹島和世も強い影響を受けたと云うイタリア系ブラジル人女性建築家の展覧会。本展では、リナの造るイタリアのデザイン性とブラジルの土着的・有機的素材が利用された建築モデルが展示され、その才能に触れる事が出来る。

また表参道エスパス・ルイヴィトンで開催中の「Fondation Louis Vuitton Building in Paris by Frank Gehry」は、建築プロジェクトその物を世界巡回展とした企画。21_21 Design Sightで開催中のゲーリー展でも思ったが(拙ダイアリー:「マンガノウセレナーデ」参照)、抽象的ドローイングから産まれるゲーリー有機的発想力は、素晴らし過ぎる。

そのフォンダシオン・ルイヴィトンは今年の7月に僕も実際に訪れたので(拙ダイアリー:「Vive la France !!」参照)、本展でもより身近にゲーリーの凄さを感じられた。見てから観るか、観てから見るか…本展と共に、ゲーリーのスゴい建築とコレクションを必ず実見して貰いたい。

そして専門の古美術の方では、サントリー美術館で始まった「水ー神秘のかたち」展…水と神仏に関わる美術品を集めたこの展覧会は、国宝「日月山水図屏風」を始め、何しろ見応え十分。

道成寺や弁財天、天川、補陀落等の水に関わる信仰や説話に基づいた作品は、水と森の国日本をレップすると云っても過言では無い。その中でも、例えば「日月山水図屏風」の波濤部分の胡粉盛上に観る緻密な画面制作・構成や、ダイナミックにも関わらず繊細で限りなく美しい色彩感覚の重文「春日龍珠箱」等、その「信仰の力」には感嘆する他に無い。

そんな美しき余韻とは正反対のアートの為に最終日に駆け込んだのが、近美で開催されて居た「Re: play 1972/2015-『映像表現'72』展、再演」展と、「MOMATコレクション 特集:藤田嗣治全所蔵作品展示」だった。

「Re: play 1972/2015-『映像表現'72』展、再演」展は、1972年に京都市美術館で開催された伝説的展覧会の文字通りの再演展。この世界的に見ても先駆的だったと云われる展覧は、今観るとアナーキー前時代的だが、我々の辿って来た社会と芸術の「過程と熱狂」を垣間見れる、面白い企画。

そして、藤田…最終日と有って混雑していた会場では、小中高同級生の政治思想研究者Kや美術誌編集長I氏にもバッタリ会ったが、我々が瞠目したのは「初めて全作品を一度に観た、藤田の戦争画」14点で有る。

藤田の戦争画を個々に少しずつ観た事は有っても、これだけの数を一挙に観ると、矢張りその重さと暗さに唸らざるを得ない。「1920年代にパリで成功を収めた藤田が、何故日本に戻って此れ等の戦争画を描き、そしてまたフランスに戻ったのか?」と云う疑問への答えは、僕の様に長い間海外で生活して居る日本人には、時に手に取る様に感じる事が出来る。

それは自分が産まれた日本から逸れ、彼の地で成功したとしても、そして自分を受け容れて呉れなかった愛する祖国への恨みが有ったとしても、自分が祖国に要望された時の在外邦人の嬉しさは、日本在住国民の比では無い…そしてその感覚は、偶々今同時期に森美術館で展覧会を開催して居る村上隆氏も当にそう云う気分ではなかろうか、と僕は強く想像するし、村上氏は今回の展覧会を以ってして、海外へと戻って行くに違いない。

さて芸術に「Love & Hate」は付き物だが、それが国やアイデンティティに関わるなら尚更で、祖国と外国に出た(或いは、出ざるを得なかった)芸術家との関係性は、時にゲイの息子と母親の関係性に何故か近い気がして為らない。

それは親子関係の或る時期に、息子から母親に対して為されるべき「告解」と「嘆願」で有り、母親から息子に施される「赦し」と「承認」の様な物では無いだろうか、と思う。

藤田が戦争画を描く際、敵国フランス絵画からのモティーフや構図を借用した事、また死ぬ前にフランス国籍を取り、洗礼を受けた事実は見逃せない…外国に都合18年住む僕は、そんな偉大なる芸術家の描いた戦争画に見えた諦念と覚悟、そして微かな「歓び」に感動を覚えたのだった。

忘れ掛けられて居る、真の意味での「祖国」と云う言葉と共に。 


ーお知らせー
*Gift社刊雑誌「Dress」にて「アートの深層」連載中。12/1発売の1月号は、世界的日本人「コスモポリタン」、「ヨーコ・オノ」に就て。