「私を離さないで」な一週間。

10月2日(月)
9:00 この日は終日、自宅で200点に及ぶ某コレクション作品の値付けを行う事に決める。NY時代と違い、東京のオフィスには日本美術の文献資料が何も無いので、「スペシャリスト」業務には自宅のライブラリーを使うしか無い。然しこれでこそ、ホボホボ2ヶ月掛けて段ボール箱150箱分の美術書を整理した書庫の意味も有ろうと云うモノ。

11:00 自宅で仕事をする時の良い点は、BGMが有る事…が、僕は歌詞の有る曲は掛けない。セロニアス・モンク、原摩利彦、プーさん(菊地雅章)、キース・ジャレット、益田正洋等、ピアノやギターのソロや環境音楽を微かに掛けるのがミソ。

17:00 現代美術系の友人が、利休の勉強をしたいと本を借りに来たので、千宗屋著「もしも利休があなたを招いたら」や赤瀬川原平「利休 無言の前衛」等をチョイスする。

19:00 仕事の再開を悔やむ程話が盛り上がった友人を送り出すと、近所の「ミル・クレープ・トンカツ」を注文し、食後再び査定に明け暮れる。昔から思って居るのだが、僕は意外と調べ物が好きで、これは間違い無く父親の血…良いんだか、悪いんだか(笑)。


10月3日(火)
10:00 予定して居たサシでの電話会議をバックレられ、憤慨…最も嫌な事に我慢して臨んだ末にバックレられる事程、血圧が上がる事は無い。

11:30 香港と別の電話会議。こちらは短目に終わり、ホッ。

14:00 京橋・日本橋界隈の骨董屋を訪ねた後、三井記念美術館で開催中の展覧会「特別展 驚異の超絶技巧!明治工芸から現代アートへ」を観る。本展は監修の山下裕二先生のテイストが具現化された、村田理如氏のコレクションの明治工芸の粋と、超絶技巧を継承する現代美術を並列する企画。個人的には前原冬樹の「一刻:皿に秋刀魚」に、大驚愕。

15:30 最近店を引っ越した、馴染みの古美術商を訪ねる。静かな空間の中、某外国大使館の緑を借景に、美味しいナチュラルなジンジャエールを頂きながら観る仏教美術は仕事を忘れさせるが、序でに危険な購買欲を増進させる(笑)。某コレクターの持つ大名品と同じ作者と思われる藤原時代の菩薩像、藤原時代の飛天、鎌倉時代の某有名神社伝来の狛犬等、この時程自分が大金持ちだったら…と思う時は無い。出たのは「買った!」の声では無く、溜息で有った。

16:30 溜息連発後、その近所に在る現代美術ギャラリーを電撃訪問すると、ギャラリスト氏は居らっしゃったが、かなり慌て驚かせて仕舞い、恐縮する…が、氏の慌てる姿が何気に可愛かった(笑)。

19:00 某公的芸術関連機関の友人と久し振りに会い、神保町で肉ディナー。最近問題となった次回のヴェニス建築ビエンナーレの選考方法の事等を話す。ヴェニスビエンナーレに関する、公平さを欠いたり遅きに甘んじる日本の選考方法は、早急に再考されなければ為らない。


10月4日(水)
12:00 学生時代の友人と久し振りに会い、ランチ。友人は或る病気に悩んで居り、然し人間この年に為ると、身体のあちこちに故障が出るのは必然。最近周りの人に具合の悪い人が結構居て、それは老若男女、境が無い。健康こそが金・地位・名声・美貌・若さ、そして愛にすら勝る価値を持つ。

14:30 歌舞伎座で「芸術祭十月大歌舞伎」夜の部を観る。玄関で現代美術コレクターのY氏にバッタリ会い驚くが、Y氏は骨董も華道もやられる現代数寄者…流石である。演目は先ずは玉三郎の「沓手鳥孤城落月」だったが、劇中ただの一度も大向こうから声が掛からず、吃驚する。何度か掛かりそうな場面も有ったが、まぁ新劇チックな舞台だったので、声を掛けないのが慣わしなのだろうか?(後記:後で歌舞伎囃子方の方に聞いたら、大向こうが声を掛けなかったのは、大和屋さんの要望なのだとの事…成る程で有った)。次の「漢人韓文手管始」は芝翫鴈治郎も上手くて面白かったが、大発見は女形米吉!米吉の可憐さは、これからの楽しみ。そしてトリは、お待たせ大和屋の踊り「秋の色種」…大和屋はもう別格の一語で、素晴しスグル。「然しこの人が居なくなったら、歌舞伎はどうなっちゃうんだろう?」と本気で考えて仕舞った夜でした。

21:00 歌舞伎後は、代官山「A」でディナー。こちらも「待ってました!」のモンブランをデザートに控え、美味しい旬の魚料理を頂く。ガツガツと食べて居ると、「A」のスタッフでモデルのS君が声を掛けて来て、聞くと彼の同級生の某有名美術関係出版社の社長が、僕に会いたいとの事…光栄です!


10月5日(木)
9:00 或る作品の調査の為、図録類を引っ張り出しては広げ、朝からパニック状態。

12:00 余りにショッキングな事が起こり、愕然とする…。

13:00 ショックを癒し自己鼓舞する為に、久し振りにすずらん通りの天麩羅屋「H」で穴子天丼を食べるが、完食出来ず…こんな事は初めてだ。

14:00 心の動揺を抑え、某ホテルのロビーで将来有望な社員候補に会う。是非入社して貰いたい。

15:00 某古美術商を訪ね、骨董四方山話。長年この世界を見て来た人の話は、参考どころか映画を観る様に楽しい。役得だったが、虚しさ消えず。

19:00 とても外出する気に為れず、家に閉じ籠るが効果無し。人間は勝手な生き物だが、自分が宇宙一勝手で、人を傷つける事のみに有用な、汚くて鋭利な刃物の様に思える。こんな時は音楽もアートも役に立たない。

23:00 垂れ流して居たテレビのニュースで、長年のファンで有るカズオ・イシグロノーベル文学賞を受賞した事を知り、涙が出そうに為る。イシグロの文学は人の心の奥底に触れる、大きな真理を包含して居ると思うが、肝心な時に必要なのは矢張り春樹文学では無いのだ。


10月6日(金)
9:30 オフィスにて、クライアントと修復師に拠る某作品のプレビュー…結果や如何に?

10:30 僕を大変可愛がって呉れた嘗ての社員の方が重篤な健康状態との報を、会社で聞く。悲しい。人生は何時終わるか、誰にも決して分からない…だからこそ、一分一秒を大切にせねばならない。正受老人悟る、「一大事と申すは今日只今の心也」と。

13:30 東京駅から新幹線に乗り、アーティスト杉本博司氏の財団「江之浦測候所」のオープニング・レセプションへ。さて、杉本氏のイヴェント時には何時も天候が荒れる…これは、氏が鎌倉時代の木造雷神像を購入してからの「常識」だったが、この日も小田原に着くと既に雨が降り始めて居て、大荒れの様相。元興寺法隆寺、川原寺の礎石、百済寺等の石橋等の名石を集めたが故に、別名「石の博物館」とも呼ばれる「江之浦測候所」に着くと、先ずは馬越恭平・根津美術館旧蔵の室町期「明月門」を通り、石舞台を横目に見てから「光学硝子舞台+古代ローマ円形劇場写し客席」を拝見。此処は海に迫り出した舞台で、大好きなシシリー島タオルミーナのローマ劇場を髣髴とさせるが、高所恐怖症の能楽師やダンサーは無理だろう(笑)。舞台を降り、僕の親戚筋でも有る今は亡き箱根の名旅館奈良屋別邸に在った門を潜ると、待庵写しの茶室「雨聴天」へ…床に掛けられた軸「日々是『口実』」が笑える。その後は、冬至の朝太陽光が貫く「冬至光遥拝隧道」を通り、雨の為レセプションが開かれた「夏至光遥拝100メートルギャラリー」へと歩を進める。此方は夏至の朝に太陽光が駆け抜けると云う、先端部に12m.の展望スペースを持つスペースで、杉本氏の代表作「海景」の大判が展示される。恐らくは150名を超える美術関係者等が集まったレセプションでは、杉本氏の挨拶に続き、能楽シテ方と大鼓に拠る一調「屋島:夕景の能楽囃子」が演じられ、花を添えた。恐るべし「江之浦測候所」…現代美術家杉本博司の、渾身の集大成作品だ!

17:30 新幹線で帰京する車内でトイレに立つと、斜め後ろの席に、携帯を持ったま侭眠りこけて居る見た顔が...良く見ると、何と河野外務大臣では無いか。一国の外務大臣が携帯を握った侭無防備に居眠りしているのも、国家安全保障上とても信じられない光景だったが、その2つ後ろの席でこれまた眠りこけるSPもを見た日には、矢張りこの国は自民党には任せられないと思った。何が北朝鮮危機だ?外相ですらこれなんだから、極め付けの平和ボケ政治だ。

18:00 品川に着くと、夕食迄寺田アート・コンプレックスで時間を潰す。然し今回URANOで展示中の小西紀行作品は、何度観ても素晴らしい。早く「横浜トリエンナーレ」行かなきゃ。

19:00 高輪のアジア料理店「A」でディナー。近くの席に元ライヴァル会社の某氏が居たが、気付かれなかった様で安心する。


10月7日(土)
10:00 好きなバンドのコンサート・チケットの発売日だったので、ネットや電話で頑張るが、全く取れない…何をやっても上手く行かない時なのだろうと、落胆。

13:00 電車に1時間乗って、最近始めた習い事の稽古。礼儀作法から練習迄2時間たっぷりとやった為、筋肉痛の前兆…年配の女性の先生に「杖が必要になりますよ」と笑われる。が、この歳で誰かに教えを請い、直されたり笑われたりするのは、快感且つ重要。

18:00 ギャラリストの友人と、日本橋高島屋で開催中の「池田学展 The Pen−凝縮の宇宙−」を観る。物凄い数の観覧者に驚くが、現代美術家の個展が百貨店で開催される事は画期的だと思う。

19:00 友人の和菓子作家坂本紫穂さんが、銀座SIXで漆作家赤木明登氏とのコラボ展をして居ると聞き、展覧会を観た友人を伴い、序でに能研究者のR君も呼び出して観に行く。紫穂さんの綺麗な和菓子が赤木氏の器に乗り、余りに美味しそうで涎が出そうに為る(笑)。

19:30 僕が今嵌って居る銀座の豚肉料理屋「Y」で、3人ディナー。此処の薬膳豚鍋は超絶美味で、タマラナイ…シメの麺まで確りと頂戴しました。

21:30 「もう一軒行こう!」と為り、久し振りに神保町のベルギー・ビアバー「B」へ。常連の建築家等に挨拶した後、陣取った奥の席は若者達の為の「恋バナ相談室」と化す。僕に彼等に恋愛のサジェッションをする権利なんて、皆無なのに…。


10月8日(日)
11:30 久し振りに国分寺の実家へ。気温は涼しく為ったが、実家の鬱蒼とした緑は未だ鮮やかで、例年より多い鳥達の囀りに、傷んだ心が緩む。

12:30 栗ご飯と角煮の母の手料理を食べた後、果物と珈琲をテラスで。嗚呼、何て気持ちの良い日なのだろう…。

14:00 都内へ帰る途中下車し、これも久々に父の墓参…あの世の親父に愚痴を溢し、少し気が晴れる。

16:00 この日を逃してはもう無理…と云う状況下、東京都美術館へ走り、開催中の「ボストン美術館の至宝展 東西の名品 珠玉のコレクション」を 20分並んだ末、漸く観覧。さて今回、大混雑の中この展覧会に足を運んだ理由は、蕭白でも歌麿でも無く、ただ一つ…南宋の画家陳容作の「九龍図巻」を観る為で、それはこの「九龍図巻」が、今年3月の藤田美術館セールで約55億円で売却した、伝陳容「六龍図巻」の基準作と為る作品だからだ!絵巻を観る行列に並ぶ事3回、続けて熟視したボストン本の龍は、僕が売った伝陳容の龍とは異なり、個性的で伸びやかに見える。そして藤田本よりボストンの画巻の方が、縦が12cm.長く画面が大きい事も有り、全体の迫力もスゴい。が、龍の「顔」に関しては、藤田本も細密で確りと描かれて居ると思ったし、全体としてそれ程劣って居るとも思えなかった。何はともあれ、自分が売った名品と基準作と云われる大名品を、記憶が確かな内に比べられた喜びは格別で、ヒビの入った心が少し継がれた気がした。

19:00 友人とヤケ喰い気味のしゃぶしゃぶディナー。虚しさは中々消えないが、気は少し晴れる。

22:30 自宅に戻って「カヴァレリア・ルスティカーナ」を聴く。「淋しさ」は、敢えて助長する事によって解消する…かも知れない。


こんな時には、イシグロの「私を離さないで」を又読もうと思う。


ーお知らせー
*来たる10月14日(土)20:00より、「ニコニコ生放送:国宝特集」に出演します。詳細はこちらから→http://live.nicovideo.jp/watch/lv306711061

*現在発売中の「Numéro TOKYO」11月号で、6ページに渡り大特集されて居る舘鼻則孝氏のアートに就てコメントさせて頂いています。館鼻氏のアートにご興味の有る方は、是非ご一読を!→https://numero.jp/magazine111-special/

*10月28日(土)15:30-17:00、朝日カルチャーセンター新宿校にて「運慶ー世界を魅了する美」と題された講座を開催します。詳細はこちら→https://www.asahiculture.jp/shinjuku/course/a23108c9-3dab-2e5f-7631-59829e1dc570

*山口桂三郎著「浮世絵の歴史:美人画・役者絵の世界」(→http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062924337)が、「講談社学術文庫」の一冊として復刊されました。ご興味の有る方は、是非ご一読下さい。