不感症、神の法、森、そして幻の女。

最近の僕は、風邪気味では有っても、僕独自の「インターステラー理論」の実践に因って、時の流れをゆっくりとさせ、周りを見渡す時間を作る事に専念する。

そして、その実践は仕事に於いても芸術鑑賞に於いても然り…と云う事で、今日は最近の体験芸術一覧。


ー舞台ー
・「Noh Climax」@セルリアンタワー能楽堂現代美術家杉本博司の企画・監修、亀井広忠演出・囃子作調の本舞台は、元来パリでの公演企画だったらしいが、そのパリの劇場の改修工事の延期に拠り、当公演が初演と為った謂わば能の「ダイジェスト・メドレー」。登場するシテ方観世流から坂口貴信(善知鳥)、谷本健吾(屋島)と鵜澤光(羽衣)、喜多流から大島輝久(舞働・祈)と大島衣恵(猩々乱)。さて場内に入ると、舞台の松羽目は斜めに置かれた杉本作の「松林図屏風」一双で隠され、舞台中央には面箱が1つ置かれる。開演すると、先ずは屏風裏からの「翁」の居囃子が謡われ、その後杉本氏が登場して本公演の説明と自身のコレクション中の各面の説明をする。「翁面」の原型とも云われる「父尉」は古様を呈し、鎌倉期と云われれば成る程と思える。またこの日は使われなかった「万媚」は、その名に相応しくかなり艶っぽい面で中々良い面だったが、「真蛇」は実際に「舞働」で観るとかなり大きく、所謂「般若」や「蛇」とは異なる作りで、「これは本当に能面か?」と思った程。そして舞台は、休憩を挟んでの3曲と2曲がダイジェスト・メドレーと為って居て、囃子方はその間休まず、シテだけが入れ替わると云う演出で新しい…これなら杉本氏の云う通り、「寝る客」も少ないだろう(笑)。また後半は「松林図屏風」が土佐派系の絵師進藤尚郁の金地「松図屏風」と変わり、それも一興だったが、女流能楽師が特に羽衣を舞うと興が削がれて仕舞ふ気がするのは、何故だろう?最初小鼓の音が全く出て居らず心配したが、亀井広忠師の流石の大鼓にリードされた囃子はテンポ良く、能の新しい流れを創り出したと感じた、素晴らしい公演だった。然し杉本氏のステイトメント、「No Climax=不感症」とはこれ如何に(笑)。

・「アンチゴーヌ」@新国立劇場小劇場:主演は蒼井優生瀬勝久、原作は古代ギリシャ三大悲劇詩人ソフォクレスの「テーバイ三作」の一である本作を翻案したジャン・アヌイ(ピーター・オトゥールリチャード・バートンの名作映画「ベケット」の原作者だ!)。舞台は劇場中央に十字架の形に造られ、セットも椅子2脚だけが置かれ、蓋をされた奈落が中央に在るだけのミニマルなモノ。そして2時間10分の休憩無しのこの作品は僕を全く飽きさせず、蒼井と生瀬の熱演が「『神の法』と『人間の法』の対立」と云うテーマを鮮明且つ重厚に浮き立たせて観客を引きずり込む、誠に素晴らしい舞台で有った。それにしても蒼井優と云う女優は、こう云った役が似合うし上手い…恐らく本人もこの役が大好きに違いない。栗山民也の演出も見処。

・「新春歌舞伎公演・昼の部」@新橋演舞場高麗屋三代の襲名を歌舞伎座で観た後は、正月恒例の「にらみ」を観る為に演舞場へ。先ずは獅童宙乗りを務める「天竺徳兵衛韓噺」…此方は見世物的な内容だが、飽きさせない。獅童は台詞廻しが相変わらずで少々残念だが、体調も戻った様で悦ばしい。さて本劇中、獅童が「ライザップ、ライザップ」と連呼して居て、その時は一体何の事か訳が分からなかったのだが、翌日偶々テレビを観て居たら、ライザップのコマーシャルに何と市川九團次が出て居るでは無いか!そして「嗚呼、この事だったか!」と得心…高島屋さん、結果にコミットしてました(笑)。続くは初春恒例、成田屋の「口上」&にらみ。睨んで貰って、今年一年の健康祈念する。最後は九世團十郎生誕百八十年記念の復活上演、新歌舞伎十八番内「鎌倉八幡宮静の法楽舞」。此方は海老蔵が7役を演じるのも話題だが、個人的見処は、それよりも河東節・常磐津・清元・竹本・長唄箏曲迄入った音楽で、「邦楽リミックス」的聞き応えが抜群だった。


ー映画ー
・「ノクターナル・アニマルズ」:傑作「シングルマン」でデビューした、ファッション・デザイナーでクリエイティヴ・ディレクターのトム・フォードの監督第2作で、第73回ヴェネチア国際映画祭審査員大賞作。原作はオースティン・ライトのミステリー、主演は僕の大好きなエイミー・アダムスとジェイク・ジレンホールで、かなり良く出来た心理サスペンスドラマだった。主人公が現代美術のディーラーなので、映画の冒頭では見た事の有る作家の作品が幾つも登場するが、彼女が企画した太った女をフィーチャーしたイヴェントは、恐らくはこれも僕の大好きな英国人アーティスト、ジェニー・サヴィルの作品がモティーフでは無いかと思う。然し、この作品に観るフォードの美意識は崇高で、これは「シングルマン」でもそうだったが、画面に映る家具の一点一点、小道具、カット割、照明、ファッション、ストーリー・テリング、その全てが張り詰めた極細の糸の様に洗練されて居る為、観る者は疲弊し怖くなる。が、それよりも恐ろしいのは「男の復讐心」で、これはゲイで有るフォードならではの視点かも知れない。皆さん、女に捨てられた男の復讐は本当に恐ろしいですよ…ご注意あそばせ(笑)。


ー展覧会ー
・特別展「仁和寺と御室派のみほとけー天平真言密教の名宝ー」@東博:最近の東博は気合が入って居て、運慶展に続くこの特別展も仏教美術の至宝で溢れる。僕はオープニングに行った為、今回の超目玉で有る葛井寺の「千手観音像坐像」は未だ観れて居ないのだが、素晴らしい作行の道明寺の十一面観世音立像や中山寺馬頭観音坐像、非常に変わった造りの神呪寺(然しスゴい名の寺だ…笑)の如意輪観音坐像、個人的に観たかった仁和寺蔵の垂迹美術の名宝「僧形八幡影向図」等、大名品揃いで眼福の極み。序でにこの日は、開幕式で超目利仏教美術商のT氏にバッタリ会い、一緒に歩いて話を伺いながら展覧会を拝見する事が出来た、眼も頭も大変勉強に為った至福の時間と為りました。必見の本展、千手観音像が出たらまた行かねば!

・「開館20周年記念展I 細見美術館の江戸絵画 はじまりは伊藤若冲」@細見美術館:京都に或る屏風を観に行った合間に拝見。ここ数年の若冲の大ブームは、当然プライス夫妻コレクションに拠る処が大きいのだが、当然日本にも若冲のコレクターは居て、その筆頭が細見美術館前館長の故細見実氏で有った。細見コレクション中の白眉若冲は、30代半ばから後半の作と思われる2作品で、それは未だ景和落款の「雪中雄鶏図」と「糸瓜群蟲図」で、両作品とも中国絵画の影響を強く受けた、謂わば「プレ動植綵絵」。その他にも押絵貼屏風や禅僧に拠る画賛作品、若演等の弟子筋の作品も多く展示され、筋目描きや外隈等の技法も解説される、楽しい展覧会だ。

・「墨と金ー狩野派の絵画ー」@根津美術館狩野派の絵画作品を「墨」と「金」をキーワードに見直す企画展。作品は雪舟や元信、山雪から探幽、久隅守景迄バラエティに富むが、見処は矢張り芸阿弥の重文「観瀑図」と伝元信「養蚕機織図屏風」か。「犬追物図屏風」は風俗画題の中でも、外国でポピュラーな画題だが、最近は動物虐待を連想させるからか、余り人気が無い(涙)。

・「マイク・ケリー展 デイ・イズ・ダーン」@ワタリウム美術館:57歳でこの世を去った、「裏ポップアーティスト」の展覧会。ケリーはマイノリティに対する差別やセックス、暴力等の社会的問題を時に可笑しく、時に皮肉タップリに作品を作った、ニューヨーク・タイムズに「過去25年間で最もアメリカ美術に影響を与えた芸術家の1人で、アメリカに於ける大衆文化と若者文化の代弁者」と評された、クレイジー・アーティスト。3フロアの会場にはビデオ作品、インスタレーション、コラージュ等の平面作品で溢れているので、時間をタップリ取って訪れたい。展覧会タイトル作の「Day is Done」はケリーが1日1つの映像を作り、1年間で365と為る筈だったマルチ・メディア作品なのだが、実際は31作品しか完成せず、然しその全てをこの展覧会で観る事が出来るので、必見…然しこの作品が2005年に発表されたのが、ロンドン・ガゴシアンだったと云う事に、僕は興味を惹かれる。個人的には初期作品の「エクトプラズム #1-#4」や「チキンダンス」が良かった。

上田義彦「Forest 印象と記憶 1989-2017」@Gallery 916:天井高も広さも凄い、上田氏自身がキュレートするこの素晴らしい環境のギャラリーも、ビル自体が取り壊される事と為った為、本展が最後の展覧会…余りに残念過ぎる。さてその最後を飾るのは、上田氏が28年間撮り続けたQuinault、屋久島、春日大社の「森」で、会場は東京の湾岸とは思えない程のマイナスイオンに充たされて居る。僕は嘗て、氏の屋久島の作品を観て、彼の地へと旅をした。そして其処の森で観た生命の息吹と力強さ、生と死と云う命の循環の尊さは、今でも僕の心の奥底に「忘れがちな宝物」として大切に仕舞って有るのだが、この展覧会は改めてその宝物の存在を再確認したくさせる。特に新作の春日大社の森は、僕の心に如何に「森」が必要かと問い掛ける…そう、心に「森」を持ち続ける事が肝要なのだ。


そんな中、或る音楽家から「以前観た日本画の内容が余りに美し過ぎて覚えて居るのだが、画題が思い出せない…知らないか?」との連絡が有った。

その内容は「男が梅の木の下で、花の美しさに感動して歌を詠むと、美しい女が現れて歌を詠み、其の内に2人は歌を交し、酒を飲み、契りを交わすが、いつの間にか寝て仕舞う。翌朝男が木の下で起きると、女は消えていて、それは花の精だった…」と云う。

僕は色々探してみたのだが、見付からないで居ると、彼から「分かった」と連絡が有った。それは信濃を舞台にした日本の怪談の一噺だったが、元はどうも中国唐代の詩人崔護の「人面桃花」らしい。


去年今日此門中     
人面桃花相映紅     
人面不知何處去     
桃花依舊笑春風     


愛のキューピッドとしても名高い、音楽家の彼らしいロマンティックな話だったが、気が付けば1月ももう終わり…節分がやって来る。然し今年は時間の経過が遅い。


ーお知らせー
*生活の友社刊「月刊アートコレクターズ」2月号(→http://www.tomosha.com/collectors/9235)にて、ショート・インタビューが掲載されて居ります。ご一読下さい。

*日本陶磁協会発行「陶説」778号(2018年1月号)内「あの人に会いたい」第5回で、16ページに渡りインタビューを掲載して頂きました。ご興味のある方は是非御一読下さい。詳しくは日本陶磁協会(tosetsu@j-ceramic.jp)迄。

*山口桂三郎著「浮世絵の歴史:美人画・役者絵の世界」(→http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062924337)が、「講談社学術文庫」の一冊として復刊されました。ご興味の有る方は、是非ご一読下さい。