「建築」は「道具」か?

昨日はサムライ・セールの下見会が始まった。

雨の中、疎らな人だったが、ズラッと並んだ鎧や兜などは迫力満点。現在発売中の「CASA BRUTUS」誌上にも、筆者の米国人顧客の「イケメン兜コレクター」2人と、セールのインフォメーションが出ているので必見です!

さて昨晩は腰も大分良くなってきた事もあり、久々に街へ出てクラシック・ピアニストのH嬢と、ミッド・タウン・イーストの「T」という和食屋にディナーに行った。彼女との四方山話、マスターHとの掛け合い、美味しい料理に舌鼓を打ちながら、実は我々はもう一人友人を待っていたのであったが、食事も佳境に入り、筆者が店主特製「豚バラ・カツカレー」を食している頃、待人であった建築家の重松象平氏が、東京からの友人と登場。早速4人で乾杯をし、数多の話題に花が咲いた。

その重松氏は現在、世界的に有名な建築設計事務所である「OMA NY」(OFFICE FOR METROPOLITAN ARCHITECTURE)のパートナーを勤めている。この建築設計事務所は、かの高名なるオランダ人建築家(と云うか、建築思想家)、レム・コールハースが設立し、最近では北京の中国国営電子台(CCTV)本社ビルやプラダ・エピセンター、またロンドンのサーペンタイン・ギャラリー等の素晴しい建築を産み出している、文字通り「世界を股に掛ける」建築事務所である。

最近筆者が読んだコールハースに関する書籍によると、彼は所謂天才肌で直観力に優れ、その「人間力」とエネルギー、実行力と、また建築分野に留まらない、飽くなき好奇心の塊の様な人らしく、そんな怪物建築家コールハースと対等に仕事をしている、日本人初のパートナーが重松氏なのである。

重松氏とは、元々地獄バースデーの時にエリザベス宮殿主A姫の紹介でお会いし、お互い誕生日が2日違いと云う事で、一緒にお祝いしたのが始まりであった。その後、何度か食事やライヴをご一緒し、何時もお互いアートの話で盛り上がるので、こちらが「建築ド素人」にも関わらず気安くさせて頂いている。そんな事で昨晩も飲む事になったのだが、また一つ実に興味深い話題が出た。

それは、明治時代以前は日本に「美術」という概念自体がなかったと云う事も有るが、日本美術品と云うのは須らく「道具」であり、「使う事」が前提に作られている、と言う話からだった。例えば屏風は「間仕切り」であったし、漆工芸や焼物は云うに及ばず、刀剣甲冑まで全て「実用」のモノであったという事である。そういった歴史的な潜在意識としての「道具感」が、もしかしたら現在世界で活躍中の、日本人建築家に引き継がれているのでは、というのが筆者の考えなのであった。

が、その反面、最近読了した西沢立衛氏の対談集に出てきた住宅などには、筆者は(個人的には)絶対に住めない、というのも事実である。良く出る例で、後に人間国宝になった陶芸家、浜田庄司の、若かりし頃の「醤油注し」の話があるが、それは、浜田の当時非常に斬新なデザイン・形状の「醤油注し」があったのだが、注す度に蓋がずれて落ちてくるので、醤油が注せない。要はこれは「アート」なのか、「醤油注し」なのかという問題である。

誤解を恐れずに云えば、ある種のアートは「芸術性」と「実用性」の間で揺れ続けていて、「建築」等はその最たるものではないだろうか?といった疑問に、重松氏は「勿論実用性を考えた上で、そこに『現代性』を表現するのだ。」と応えられたのだが、そう当然の様だが、そこが「ミソ」なのだ。

実は筆者は、古美術を観る時に注意する事が有って、それは今観ている古美術も、制作された当時は「現代美術であった」という眼で観る事である。長次郎の黒楽茶碗を美術館で見ると、「450年前の作品か…あぁ侘びてて良いなぁ、渋いなぁ」と普通の人は思う。確かにその通りなのだが、この黒楽が作られた経緯はそうではない。

ご存知千利休は、日本史上最も「アヴァンガルド」な時代である桃山時代に生き、彼以前の「お茶」の全てをひっくり返し、今焼き(現代美術)であるところの「楽」を焼かせ、死ぬほど狭い茶室を建て、唐絵を下げて禅僧の墨蹟を掛け、武士に刀を外させ、廻し飲みで茶を飲ませ、場合によってはそこで政治も行った、何とも恐るべき「現代アーティスト」だったのだ。

そして、その当時の「現代美術の極み」であった「長次郎の楽」は、実は日本茶碗史上(「茶碗史」等と云う「歴史」があるか判らないが)、最もお茶が美味しく飲める「実用的」茶碗だったりもするのだ。そういった眼で古美術を観ると色々判ってくる事も有るのだが、この21世紀に於ける「現代建築」も然りで、忘れてはいけない「実用性」に如何に「現代性」を表現するかが、建築がアートとして成り立つかの分かれ目かも知れない、と考えている。

答えはイエス、日本美術専門家の立場で云えば、筆者にとっては「建築」も「道具」の一つなのである。

重松氏が師事し、パートナーとなったコールハースはある意味非常に政治的で、もしかしたら「利休」の様な人かも知れない。そのコールハースの薫陶を受けた重松氏に、筆者は何時の日か「2つの茶室」を建てて貰いたいと、実は思っている。

一つは「古典的」、もう一つは「超現代的」な茶室で、その二つの「建築と思想に於ける『現在と過去の往来』」を楽しむのである。ややこしい注文であるが、「日本人」重松象平氏ならば必ず素晴しい「現代建築」を見せてくれるだろう。その為には、この孫一、犬の様に働いて稼がねば為らず、生きている内に実現するかどうかも怪しいが、せめて夢の中、いや話の中では考えるだに楽しい…。

重松さん、どうぞ気長にお待ち下さい!!