「イカ天」再見。

この間、最近妻がアフリカン・ダンス等で仲良くしている、友人のタレントYさんから筆者宛にDVDが届いた。

DVDの表には「イカ天2007:復活祭」と有る。何と懐かしい!若い方はご存じないと思うので少々説明するが、この「イカ天」とは「三宅裕司いかすバンド天国」の略で、バブル絶頂期の1989−90年にTBSで深夜放映された、素人バンド・コンテスト番組である。因みにこのDVDをくれたYさんは、三宅裕司と共にこの番組の司会をして大ブレイク、「次はこのバンド『だい!』」と云うバンド紹介時のセリフも忘れ難い。何しろ昨晩はこのDVDを観て大興奮、バブル時代の思い出に浸ったのだった。

この番組は、実は筆者にとっては非常に思い出深く、何故なら我が弟Nが番組出演した事が有るからである。Nは大学に入った頃からドラムをやり始め、学生時代はバンド・サークルで活動、都内ライブハウスに出演したりしていた。Nのバンドは当然何度かメンバー・チェンジをしているが、「イカ天」の頃は確か男3人の編成(ギター&ヴォーカル、ベース、ドラム)で、「The Who」のコピー・バンドとして出演したと記憶している。

結果は「ワイプ攻撃」(審査員の赤ランプが一つ付く度に、画面がワイプされ、小さくなって行く)に遭い、結果は赤ランプ3つで「完奏」出来なかった筈だ。辛口審査員のパーカッショニスト斉藤ノブにも、結構貶されていた様に覚えている。しかしその後、Nのバンドはメンバーチェンジを繰り返し、女の子のヴォーカル&ベースを入れてからは徐々に人気も出始め、インディーズからデビューを果たしてCDも出した。

しかし、最終的にシンコー・ミュージックがプロダクションとして付いたにも関わらず、メジャー・デビュー寸前に曲を作っていた女の子がノイローゼになってしまい、解散してしまった。誠に残念…。旨く行っていれば今頃は、等と考えるのは野暮の骨頂だろう。現在Nは中「小」企業の社長として、カタギの生活をしている。

そこでこの「イカ天」のDVD、ホントに楽しませて頂きました。何しろ当時筆者御贔屓のバンドのオンパレードで、例えばフライング・キッズ、人間椅子(「陰獣」!)、大島渚みうらじゅんのバンド)、たま、宮尾すすむと日本の社長、BEGIN、マルコシアス・バンプ、REMOTE(池田貴族のバンド)、カブキロックスBLANKEY JET CITY等等、勿論奇妙奇天烈なバンドも多いが、今此処に挙げたバンドは、演奏力・個性ともかなりレベルが高かった部類だと思う。

この中でも大好きだった曲が、先ず早稲田&一ツ橋の学生で構成された、インテリ軟弱ファンキーバンド「宮尾すすむと日本の社長」(何たるバンド名…笑)の名曲「ニ枚でどうだ」。

この曲は何しろ笑えるのだが、要は久しぶりに故郷に帰ってきた男が、彼女と「致そう」とするのだが、彼女は今日は「危険日」だと云う。それでも「致したい」男は「じゃあ、そんなに心配なら『二枚でどうだ』」と懇願する、といった歌詞なのである(意味判りましたよね?)。曲はバリバリファンキーで、ヴォーカルのキレ具合も非常に宜しい。また「たま」の「さよなら人類」や「待ち合わせ」(この曲は本当にスゴイ。何処かで聞いてみて下さい!)と云った曲も忘れ難い。

が、しかし筆者NO.1は何と云っても、フライング・キッズの「幸せであるように」である。

このバンドが初登場した時に演奏した、「我思う故に我有り」という曲も名曲だが、この「幸せであるように」を初めて聞いた時の衝撃は、今でも忘れられない。マジ涙が出そうだった(昔から涙脆い孫一…)。

このバンドは何しろ全てが「オリジナル」で、ヴォーカル浜崎のパワーも恐るべきモノがあった。その他登場時の「衝撃」(外見やイロモノでは無く)と云う意味で強いて挙げれば、当時石垣島から出てきて、初登場で「恋しくて」を演奏した「BEGIN」位だろうか(スゴイ素人もいるものだと心底思った…)。

そしてもう一つ、この番組の素晴らしい点、それは審査員の顔触れで、「心優しき」音楽評論家、萩原健太が審査委員長だが、その他も「超個性的」な顔が並んでいた。

覚えている範囲で云えば、ミュージシャンでは伊籐銀次、吉田健村上ポンタ秀一難波弘之、ノブ斉藤、中島啓江PANTA等。音楽関係者では森雪之丞湯川れい子、その他サーファー&雑誌「ポパイ」等に関わっていたグーフィー森、四方義朗、大島渚(本人)、内藤陳(ハードボイルド作家)、ねじめ正一等、一癖も二癖も有る連中ばかりであった。

特に痛快だったのは吉田健で、専門的技術解説と共に、下手糞なバンドに対してはケチョンケチョンに貶すのが、誠に心地良かった。このDVDにも、かなり心身ともに「丸くなった」吉田健を見たが、異常に懐かしかった…。

さて、このDVDで当時の番組を見て最も驚いたのは、「バブル」真盛りの日本の若者達が、如何に元気であったか、と云う事だ。それは当時の「ホコ天」の状況を見れば一目瞭然で、今では考えられないと思うが、原宿表参道の歩行者天国では、毎週末数多くのバンドが路上演奏しており、またそれを観に来る観衆も物凄くパワフルだったのである。そう、「日本の若者」はバブル経済と共に元気一杯であったのだ。

先日「CHOPSTICKS」と云う、NYのフリー・マガジンの取材を受けた時も、「日本で流行っている『ゴスロリ』を『日本文化』として、貴方は捉えているかどうか」と質問されたのだが、実は筆者はこういった「日本文化」大肯定派なのである。

ゴスロリ」に留まらず、古くは「竹の子族」「ヤンキー」「ガングロ」「アムラー」「ルーズ・ソックス」、最近では「アゲ嬢」などなど、日本のストリート・ファッションの独創性は、他国の追随を許さない。これは思うに、日本独特の現象で、この現象は日本史上のポイント・ポイントで出現し、例えば、「婆沙羅」「傾き者」等と記されて来た、「ある系譜」だと考えている。疑うならば、徳川美術館蔵「歌舞伎図巻」を見てみよ!17世紀前半の時代に、女が男装の上、クロスを下げ、刀に寄りかかって舞台に居るではないか!!

こういった突拍子も無い、若者から溢れ出る「コンテンポラリー・カルチャー」パワーは、アートに携わる者として、積極的に肯定すべきと思っているので、今の「ゴスロリ」は云うまでも無いが、バブル当時の「ホコ天」や「イカ天」に代表されるバンド・ブームも、日本国にとっては非常に素晴しい「パワフルな」現象だったと、今となっては懐かしむしか無いのであった。

が、今の日本はどうか。「推して知るべし」。

今の日本の様に、「迸る」若者が居ない国には、残念ながら本当の意味での「現代アート」は産まれ難いであろう・・・南無。