「女子」が持ち続けたいモノ:「ガール」@Japan Society。

ジョン・ロードが死んだ。

今の人はこの名前を聞いてもピンと来ないだろうが、筆者の年代で、ブリティッシュ・ロックのファンだったなら、そして一度でもロック・バンドを組んで、しかもキーボードを担当した事の有る者なら、ジョンの名は「ハモンドB-3」と云うオルガンと共に忘れられないに違いない。

ジョンが在籍したバンド「ディープ・パープル」は、当時何しろ今で云う所の「ネ申」で、特に筆者が小学生時代に大ヒットした「ハイウェイ・スター」「バーン」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の3曲は、中学以降コピー曲の常連で有った。

その中でも個人的に大好きだった「ハイウェイ・スター」は、イアン・ギランの甲高い叫びと「♪ノッバディゴナ、テイクマイカー♪」から始まるシャウト、力強いリズムを刻むロジャー・グローバーのベースとイアン・ペイスのドラム、そして間奏で聴かせるリッチー・ブラックモアの「泣き」の早弾きと、ジョンの「♪ミー、ミミッ、ミッミーミ、ミミミー、ミーミ、ミッミリミー♪」と聞こえる(笑)、「ハモンドB-3」に拠るソロ…その全てを、ペイスが叩く最後のシンバル迄、今でも「空」で歌える程で有る。

そしてジョンの弾いた「ハモンドB-3」は、ジョージ・クラークの「ムーグ・リバレイション」、ジョー・サンプルが使った「フェンダー・ローズ」と共に、筆者に生ピアノ以外のキーボードの魅力を教えてくれた。

そんなジョンの冥福を、心からお祈りしながら、話は「パープル」から「女子」へと飛ぶので、悪しからず(笑)…昨晩はアーティストのU君と、再び「Japan Cuts」を開催中のジャパン・ソサエティに、映画「ガール」を観に行った。

この作品の監督は深川栄洋、原作は直木賞作家奥田英朗、主演は香里奈麻生久美子吉瀬美智子(「空飛ぶ建築家S」ご推奨!)、板谷由夏で、この4人の女優が演じる、友達同士だが立場の異なる「日本『女子』」達の、日本の今を生きる姿を描く。

さてこの作品、宣伝を見た限りでは、正直云って何かチャラい、男の取り合いやブランド品がメイン・テーマの、日本版「S.A.T.C.」位にしか思って居なかったのだが、実際観てみると、想像よりもかなり面白い映画で有った!

広告代理店に勤めるお洒落が大好きな29歳、だが年齢的にも「女子」で有り続ける事の限界を感じている香里奈、不動産会社の課長に為るが、云う事を聞かない男尊女卑の男性部下社員に悩む麻生、「お局」的遣り手営業マンだが、一回り下のイケメン新入社員に恋してしまう吉瀬、シングル・マザーとして悩みながら自分も成長して行く板谷、それぞれが現在の超日本的「時代錯誤的・男性至上主義社会」や「草食系男子」、「シングル・マザー放置国家」等と闘う姿は、笑いと涙を絡めて(在り来りと云えば在り来りだが)中々良く描かれて居り、その中でも特に板谷の美しさと(この女優を良く知らなかったので、ちょっと吃驚した)、思わず涙が零れそうに為ったシングル・マザーの演技が素晴らしい。

そして板谷に勝るとも劣らず良いのが脇役陣で、例えば香里奈の先輩役、「アラフォー」遣り手ド派手営業マン役の、壇れいの振り切れ振り、大学の同窓会で香里奈の同級生役で登場する、小生意気な娘を持つ母親役の初音映莉子の透明感、デパート宣伝部長役の段田安則のコミカルな演技等など、見所豊富な作品で有った。

しかし鑑賞中、ふと疑問が起こった。

それは、この作品中頻繁に使われる「女子」と云う言葉である。最近、「女子会」「女子は・・・、男子は・・・」とか良く耳にするが、一体この「女子」と云う言葉が、20-40代を中心とする世代の会話の中に頻繁に登場し始めたのは、何時の事だっただろう?また何が切っ掛けだっただろうか?

劇中、地味なデパート宣伝部員の加藤ローサが「私、『女子』って云い方、大っ嫌いなんです!」と云うシーンが有り、確かにいい歳こいて「女子」でも無いだろうと思うのだが、しかし本作品のコンセプトで有る「『女子』が持ち続けたいモノ」、「何時までも『女の子』で居たい」と云う気持ちを、日本の女性があからさまに表に出し主張し始めたのは、一体何時からだっただろう、と云う事なのだ。

そう云った、昔から良く云われてる、例えば「何時までも少年の心を持ち続けている男性」とか「夢を持ち続ける人」等の文々もそうなのだが、そんな事は自分の心の内に、大事に、密かに持って置けば自然に外に出て来るモノで、あからさまに云い放って「己の幼児性を自己正当化する」様なモノでは決して無い!と思うのは筆者だけだろうか…。

ニューヨークの今時の「アラフィフ」孫一としては、日本の今時の「女子」は、自分達が持ち続けたい「モノ」の事は、余り口に出して云わない方が却って魅力的だと思います。

頑張れ、日本「女子」!