手向けの謡。

今日は、亡くなった叔母の「お別れ会」の司会をした。

享年85歳。叔母は生涯独身を通し、自由に生き、そして半世紀以上に渡り「能」を愛し、舞い謡い続けた。それは、叔母がその死の一週間前迄、謡の稽古会をしていたと云う事実で、容易に証明出来ると思う。

都内某ホテルの宴会場を借りての此の会には、叔母が会長をしていたK女子中高同窓会の方々、また能関係者合わせて、凡そ60人程の友人達が集まった。そしてこの日、亡くなった叔母に取って、恐らく最も嬉しかった事と云えば、ゲストの中に叔母が50年以上お能を習い続けた、シテ方観世流能楽師観世喜之師とそのご子息、喜正師の姿が有った事だろう。

実は「お別れ会」が始まる直前に、その観世喜之師に御挨拶申し上げた時、師の方から「手向けの謡を、一曲贈らせて頂きたい」とのお言葉を頂戴し、能と人生の大半を過ごした叔母の事を思うと、涙が出そうになる程嬉しかったのだ。

さて会が始まった。開会の辞を述べた後、早速観世喜之師に「手向けの謡」をお願いする。お二人は、叔母が「羽衣」の仕舞を舞った時の写真を飾った壇に向かって立ち、一礼をすると御挨拶を述べられた。そして喜之師が最近喉の手術をされたとの事で、喜正師が代理として頭を取り、「手向けの謡」が始まった。

曲は、「融(とおる)」のキリ(最後の部分)であった。

喜正師の力強い謡に、喉を痛められている喜之師の痛々しい声が続き、会場のあちらこちらからも唱和の声が聞こえる。そして謡が終わった時、能(謡)とは何と素晴らしい物かと、改めて感動したのだった。

それは、「能」と云う日本を代表する古典芸能の一が、実はその昔から、玄人素人が共有できる芸術である、と云う事である。秀吉の例を出すまでも無いが、しかし現代の素人が「シテ」をやるには、勿論時間もお金も必要だが、「謡」はそうでもない。何よりも「皆」で謡う事が、可能であるからだ。目的を一にし、思いを一にして仲間で謡を謡う。素晴らしいでは無いか!

叔母の為に皆で謡われた、手向けの「融」は、余りに清らかで悲しみに満ちていた。そして、壇上に飾られた写真の中の叔母は、その地謡を従え、舞っているかの様であった。