「黒蜥蜴」と3つの展覧会、そして「熊野」。

ANAの夜便、然も遅れた事に拠って家に着いたのがかなり遅く為った為、時差ボケが酷い。

その上、日本のこの暑さと湿気は何だっ!…と思いながらも、余り寝れ無かった事を良い事に、翌土曜日は頑張って朝から活動を始めた。

先ずは近所の小宮山書店へと向かい、予約して有った或る本を買う…その本とは、三島由紀夫著「黒蜥蜴」。

ご存知「黒蜥蜴」は、1934年江戸川乱歩作の所謂「明智小五郎」物の探偵小説だが、1961年に三島によって戯曲化され翌年に初演、単行本は1969年に牧羊社から出て居る。

が、僕がこの度入手したのは1970年出版の350部限定本で、表紙には蜥蜴革が付いて居て著者自筆サイン入り、丸山昌宏の口絵カラー写真も付いて居る上に、各ページには蜥蜴のエンボスが押されて居ると云う、何とも美しい造本の特装本だ。

あぁ、何て素晴らしいのだろう!1頁1頁を捲るこの恍惚感、もう堪らない。電子書籍など、糞食らえだ!(笑)…等と思いながらも、その恍惚感を引き摺りながら今度は銀座に向かい、和光で開催されて居た「福島善三・川瀬忍展−日本陶磁協会賞制定60年記念」へ。

この展覧会は、2013年度日本陶磁協会賞を受賞した福島氏の作品40点、金賞を受賞した川瀬氏の作品20点と、日本陶磁協会賞制定60年を記念した、歴代受賞者42名に拠る酒器や懐石器100点を展覧する物だ。

個人的には特に川瀬氏の新作で兎毫の「翠瓷茶碗」が好きで、南宋青磁を思わせる透明感の有る、強い美しさに惹かれる。またマヨンセの父、十二代三輪休雪作の金色に輝く「オーロラ盃」も展示されて居たが、これもまた力強い素晴らしい作品だった。

そして銀座を後にすると、今度は広尾へ…カイカイキキ・ギャラリーで開催中の「李禹煥個展」で有る。

本展は、現代美術家で当ギャラリー主宰の村上隆氏の6年越しの企画で、氏の「もの派」への想い、そしてここ数年、世界のアートシーンで「もの派」の重要性が増大した事に拠る企画。2年前のグッゲンハイムでの展覧を僕は観て居るが(拙ダイアリー:「Marking Infinity: Lee Ufan@Guggenheim Mueum」参照)、今回はどうだろうか?

目玉はギャラリーの床に作られた、インスタレーション2点「Relatum-Excavation」と「Relatum-Silence」。床のヒビを利用して描かれたストロークを砂や石で囲んだ作品は、文字通り非常に静謐で、誠に美しい。

李氏が折角床に描いた「ストローク」を消してしまうのは勿体無いなぁ、と思ってギャラリーの女性に聞くと、床を剥がして保存する計画も有るとの事…流石で有る。時間の関係で当日予定されて居た「アーティスト・トーク」は聴けなかったが、素晴らしい展覧会で有った!

李作品に想いを遺しながら、雨の中広尾から代官山に移動し、今度はGallery On the Hillでの「内田鋼一展 猿楽にて」へ…此方では、陶芸家内田鋼一氏が代官山の土を使って茶碗を焼き、それを展覧する試みだが、その他にも内田氏の別の焼物(プラチナ釉が美しい!)やメタル作品、家具等の作品も展示されて居て楽しい。

観覧し終えると、「代官山の女王」から有難いバースデー・プレゼントを頂き、序でに女王が預かって居た、今ヘルシンキに居る現代美術家西野達氏からの、これまた素晴らしい超貴重なプレゼントを貰って大ハッピー…僕に取っては、次回「これ」を着て氏に会う事が、楽しみ且つチャレンジと為る!(笑)

そして日曜日はマヨンセと、彼女の芸大時代の同級生でシテ方観世流能楽師清水義也師の個人会を、松濤の観世能楽堂で観る。

この日のお能は「熊野(ゆや)」と「鞍馬天狗」…特に「熊野」は筆者の大好きな曲で、この時期「季」は違って仕舞うが、清水師がこの曲をどう舞うか興味津々で有った。

能楽堂に着いて席に就こうとすると、席案内をして居る制服姿の若い女性に声を掛けられたので、誰かと思うと、何とお鼓の宗家のお嬢さんMさんでは無いか…うーむ、こんな地味なバイトをして居るなんて、エラい!

さて今回の公演には、普通の番組以外にも清水師自身に拠る「曲目解説」付きの小冊子が客に手渡され、其処にはこの日演じられた能「熊野」と「鞍馬天狗」の口語訳や、舞台鑑賞のツボが書かれて居り、その他仕舞の見処や能鑑賞の極意等も記されて居て、素人にも非常に丁寧で分かり易い。この辺も清水師の「能」の現在と未来に関する危機感が現れて居ると思うが、非常に立派なアプローチだと思う…等と思って居るとお調べが聞こえ、愈々「熊野」がスタート。

金春禅竹の作とも云われる能「熊野」は華やかな三番目物で、都で平宗盛の妾と為って居る熊野が、「故郷に残した母親の病が重く為ったので、一度だけ故郷に返して欲しい」と宗盛に頼むのだが受け入れられず、然し熊野の舞と詠んだ歌に拠って、不憫に思った宗盛が最終的に帰郷を許すと云う話だ。

そして筆者が思うに、このお能のミソは老母からの手紙を熊野が切々と読み上げる場面(「文之段」)の難しい謡と、帰郷を許さない宗盛の前で「恨めしそうに」舞う「中之舞」…そして清水師は、この2つの場面を確りと、そして情感たっぷりに謡い舞ったので有った!

清水師の素晴らしいお能の観た後、東京郊外に一人住む母と久し振りに夕食を共にした。

お寿司を摘まみながら、板さんに「ウチの息子は日本に帰って来ても、中々会って呉れないのよ!」等と元気そうに話す母の横顔を見ながらも、僕が思い出して居たのは「熊野」の中で老母が熊野に送った手紙の部分の謡、

「過ぎにし二月の頃申しし如くに、何とやらん此の春は、年古りまさる朽木桜、ことしばかりの花をだに、待ちもやせじと心弱き、老の鶯逢ことも、涙に咽ぶばかりなり」

そして最後の「在原業平の母」が詠った和歌、

「老いぬれば さらぬ別れのありといえば いよいよ見まく ほしき君かな」

で有った。

今週、母は喜寿を迎える。