「柔和」の面(おもて)。

昨日、亡き父の「偲ぶ会」がホテル・ニューオータニで開催され、恙無く終了した。

そしてその偲ぶ会には、小雨の降る生憎の天気にも関わらず、本当に多くの方にご参列頂いた。

美術界からは、弔辞を読んで頂いた小林忠理事長を初めとする、国際浮世絵学会や大学、美術館、浮世絵木版伝統技術関係(彫り・摺り)、美術商、また金重有邦氏や三代鳥居清光氏、十二代三輪休雪氏を含めた陶芸家・画家・版画家・歴史小説家等のアーティストの方々にお集まり頂いた。

また美術界以外からも、能楽界からは観世流シテ方三世観世喜之・喜正両師と中所宜夫師、喜多流シテ方大島輝久師、小鼓大倉流十六世宗家の大倉源次郎師、また「合気会」植芝守央会主を初めとする合気道関係者、出版社や新聞社、歌舞伎関係者、オリンピック金メダリストの具志堅幸司氏迄、国内外から各界250名近くの方にご参列頂いた。

これだけ多岐に渡る分野の、これだけ多くの方に「お別れ」を頂いた父は、本当に幸せ者で有る。


この場を借りまして、ご厚情頂きました方々に、謹んで御礼申し上げます。

本当に有り難うございました。


そしてこの日、実は心に強く思った事が有る…それは、若しかしたら「柔和」で有る事こそが、この世で最強かも知れないと云う事だ。

人に対して「柔和」に為るには、先ず己を鍛え強くならねば為らない。そしてそれこそが、「万無敵」(よろずてきなし)の極意なのでは無いか。

若い頃の父はプライドが高く、気も強く、物事に細かく、敵も多かった様に思うが、晩年は常にニコニコして、驚く程優しく為った。勿論そう為ったのには、数多の理由が有るだろうが、恐らくは上に記した様な事を、或る時に「悟った」のでは無いかと思う。

昨日、会う人、会う人に「お父上は、いつも優しく柔和な方でした」と云われた。お世辞だと云う事は重々承知しているし、若い頃を知っている息子としては、異議が無くも無い…が、その度に、自分が死んだ後に、己の人柄を一体どの様に形容されたいだろうか、とも考えた。

そして、案外「柔和な人」と云うのも1つの「理想」かも知れない、と漠然と思ったので有る。

人は幾つもの「面」を持つ。表裏、陰陽、動静、正邪、善悪、美醜…それは数有る種類の「能面」を見れば明らかで、それらは如何なる人も潜在的に持つ「心の面」を具現しているからで有る。

そして、意識するしないに関わらず、どの「面」を掛けるかに因って、その人の人となりが、自然に外に顕れるのでは無いか。

自分で舞う程お能が好きだった父が、その83年の人生に於いて、幾つもの「心の面」を掛け替えて生きて来た事を、筆者は知っている。

そして、父が人生最後の最後に掛けた「面」が「柔和」の面で有った事に、人としての成熟と強さを感じた、昨日の孫一なので有った。