父を送った「大寒」の日。

人は何と呆気なく、この世からその姿を消してしまうのだろう…。

父が倒れたのは、日本時間6日の夜の事で有った。

そして私は、ミネアポリスに向かう為、ニューヨーク時間朝6時半発の飛行機に乗り、トランジットの為に降りたミルウォーキー空港の待合室でその事を知った(拙ダイアリー:「手紙」参照)。

その日、東博での「故宮展」内覧会に母と行った物の、余りの混雑に観覧を断念し、旧い知人を訪ねた後訪れたレストランで倒れた父は、直ぐ緊急手術を受けたが危篤状態が続いた。

そしてその晩、ミネアポリスから夜11時頃帰宅した私は、急いで航空券を手配し、2日後ゲル妻と日本へと飛んだ。

重篤な状態は続いていたが、意識は無くとも未だ命有る父に、私達は何とか会う事が出来た。その後、父はICUから一般病棟へと移り、幸いにも小康状態を保った…様に見えた。

その経過を受け、3月のオークション・カタログのデッドライン真最中で有る私は、急な日付変更の為アップグレード出来無かったエコノミー・シートに、自らの巨体を無理矢理納め、その疲労困憊の体と不安な気持ちを抱えた侭、ニューヨークの自宅に這う様に辿り着いた。

そして荷物をアンパックし終わった頃、東京の弟からのメールで、父の死を知らされたので有る。

「C'est la vie…人生とはそんなモノ」と云えばそれまでだが、親の死に目に会えないのは、海外に住む者の宿命…愕然としながらも急いで航空券を取り(Sさん、大変お世話になりました)、2日後再び日本へと旅立った…今度は命も無くしてしまった父に会う為に。

頭痛と時差ボケ、疲労と呆然感に悩まされながらJFK空港のラウンジに入り、入口に積まれた日本の雑誌の中からゲル妻が指差した「AERA」の表紙を見ると、その最新号の巻頭特集は「親の死に目」…何と云う皮肉だったのだろう。

しかし、その特集を読んでみると、世の中には如何に、また何故「親の死に目に会えない」、若しくは「会おうと思えば会えたのに、会えなかった」人が多いのか、中々考えさせられる記事内容で有った。

酷い時差ボケに苦しみながら実家に着くと、病院から帰って来た父の遺体は、両親が敷地内に建てた別棟の能舞台に、多くの方から送られて来た白い花々に囲まれ、安置されて居た。

憔悴し切った母に聞くと、私が到着したその前日には、観世喜之師や中所宜夫師がわざわざいらして下さり、父の為に手向けの謡を謡って下さったそうだ。

また長い付き合いの、大好きだった代官山のレストラン「O」のムッシュは、フライバンを担いでやって来て台所を占領、父の為にオムライス等の料理を作り、大好きだったポタージュを「オヤジさん、さぁ、食えっ!」と、唇に含ませてくれたらしい。

弔問に来て頂いた方々の中には、神道日蓮宗浄土真宗の祭司や僧侶の方も居らして、父の為に祝詞や声明、お経を唱えて下さった…そしてその事は、能舞台上で発せられた、神仏習合的且つ宗派を超えた、日本古来の「祈り」の気持ちの素晴らしさを私に感じさせずには置かない。

そうして父は、そんな余り有る手向けを受け、その顔に何処か満足そうな、見様に拠っては緩やかなアルカイック・スマイルを浮かべながら、霙降る「大寒」の昨日、近親者に拠って彼岸へと送られて行った。

葬儀では、能舞台中央に父の寝む棺が置かれ、その後ろ中央には、気取らないにこやかな遺影、右には恩師で有った藤懸静也先生から送られた、何枚もの墨絵色紙と手紙を表装した二枚折屏風、左には狩野派の二枚折屏風を配し、その前には政治思想家Y先生の「無」の一字書、そして送られてきた花、花、花…。

贈られた花々の札を見ると、美術界、能楽界、歌舞伎界、出版界等各界からの名前が並び、父の生前の広い交遊が偲ばれると共に、忝なさに涙が零れそうになる…。

お花や弔電、お手紙、メイル等をお送り頂いた、父が生前お世話になった方々、また筆者の仕事・友人関係の方々に、家族を代表しまして、ご厚情の程此処に厚く御礼申し上げます。

さて、「無宗教」で執り行われた葬儀は極めてシンプルで、全ての音楽を排し、式次第は黙祷と献花、喪主である母の挨拶のみ。そして葬儀が済むと出棺、出席者は焼場へと移動した。

焼かれ、この世からその肉体を失った父は、外見からは想像出来なかった程、骨格が確りしていた事に驚く。しかしその父の骨を見た時に感じたのは、不思議な事に、悲しいと云うよりは、自分と云う肉体存在を形成したミトコンドリアがやって来た「ソース(source)」が消失してしまった事、要は「己の肉体の原点の消失感」で有った。

その後はと云うと、母の意向に因りその足で納骨を済ませ、「御凌ぎ」は再び能舞台で…そして亡き父の葬儀は、サッバリと恙無く終了した(「偲ぶ会」は3月上旬に開催予定)。

たった15日前迄ピンピンしていた人間が、今は骨となり墓石の下に眠る…人は何と呆気なく、この世からその姿を消してしまうのだろう…。

しかしその「俤」は、簡単には消えない。そして残された者は、その「俤」と共に、良くも悪しくも生きて行かねばならない…金婚式直前だった母も、そして私もその例外では無い。


面影を、面影を想い浮かべて 沁み沁みと
逝きにし人を、逝きにし人を 偲ぶ今日かな


「追慕歌」より