「松本清張」@ANA009便。

昨日、日本に着いた。

ニューヨークを発つ前の晩は、友人2人を自宅に呼んで「お袋の味」ディナー。ゲストは写真家GとアーキテクトSで、メニューは妻渾身の「ジャガイモと骨付き鶏の煮込み」や、「豚しゃぶサラダ」等々。流石男子3人、ガツガツ食べて飲み、「アート」の話題頻りで有ったが、しかし最終的には「女」の話に行き着き、結局其れが一番盛り上がった…男など所詮、そんなモノである(笑)。

その後、キャスターU女史が遅れて参戦、お土産の高級ヴィンテージ・シャンパンを空けて乾杯。このボトルは、彼女が某著名音楽家から頂いたそうで、皆有り難く御相伴に預かった。

宴は深夜2時に及んだが、「これで機内では『バクスイ』だな!」と皆に励まされ、片付けて寝たのは3時前。6時には起きてオフィスに寄り、その足でJFKへ。そして機内では、睡眠不足のお蔭で「バクスイ」…と思ったら、不運にも近くの席に赤ちゃんが居り、殆ど眠れず。仕方がないので、復しても映画に終始する。

その中で興味深かったのは、松本清張原作の「ゼロの焦点」で有った。原作は、1958−60年に連載された名作推理小説で、'61年に野村芳太郎に拠り映画化、途中テレビドラマ化は何回か有った様だが、昨年半世紀振りに「リメイク」された作品で有る。

この作品は、主演の広末凉子等の俳優陣の演技はさて措き、やはり「原作」が素晴らしい。清張の小説は何冊も読んでいるが、プロットや登場人物の性格設定等もさる事ながら、何時も感心するのは、「社会風俗小説の極み」と呼ぶべき「『時代背景』の小説への織り込み方」の素晴らしさである。

作中登場する「元パンパン」、「初の女性市長」や「見合い結婚」、また失踪する主人公の夫も「終戦後一時期警察官を勤め、今は『広告代理店勤務』」と云う設定で、今の若い人達には全く持って「何のこっちゃ」で有ろうが、筆者の世代ではギリギリ理解出来る事象で有り、不思議な感慨が有る。

こう云った、日本の戦後復興期と高度成長期の「影」を、ある種「止むに止まれぬ事情での殺人」に絡めて、複雑な人間ドラマに仕立てる実力は、並大抵では無い…清張、恐るべしである。

何時も何らかの「哀しみ」を湛える松本清張の小説は、非常に「近代日本的」で、しかも何処かしらフランス的「フィルム・ノワール」を思わせる。中谷美紀も頑張って居たが、「ジャンヌ・モロー」に是非ともやらせたい役で有った。

思いの外、気に入った映画で有った。松本清張、また読んでみるか…。