乱歩の愛。

地獄のスケジュールの末、漸くニューヨークに戻って来た。

時差ボケで超早朝に起きて仕舞い、買物に出掛けた僕の目に映ったのは、「ガーメント・ディストリクト」の路上で寝る沢山のホームレス達…去年よりも圧倒的に増えた様に思えるし、彼等が余りにも無為に放置されて居るので、衛生上も治安上も心地が悪い。

帰りの機内では、最近余りにもANA便に乗って居る為、観たい映画も無く為って仕舞ったので、ヴィデオ・プログラム中の「連続ドラマ」にエントリーされて居た、懐かしい「東京ラブストーリー」を観る。

この間迄同じ機内で「白い巨塔」をずっと観て居たから、「江口洋介」と「世の中」が12年間で如何に変わったか(「ラブストーリー」は1991年、「巨塔」は2003年)を思い知らされたが、あの12年の間に特に携帯電話が出現した事を考えると、恋愛や仕事のやり方が激変したのも宜なるかな、と納得。

そんな合間を縫って、日本に於ける現代音楽のパイオニア一柳慧が自身の自伝と対談とを収録する、「一柳慧 現代音楽を超えて」も読了。

一柳がニューヨーク時代にオノ・ヨーコと夫婦だった事は知られて居るが、それには全く触れず、一柳のみならず日本の現代音楽界を一変させたジョン・ケージとの出会いや、ラウシェンバーグやジャスパー等のアーティスト、鈴木大拙、そして恐らくは一柳に取ってケージ以外に最も重要な出会いで有ったであろう、バックミンスター・フラーミース・ファン・デル・ローエフィリップ・ジョンソン等の建築家達との邂逅が、1950年代のニューヨーク・アート・シーンを背景に語られ、現代音楽に詳しく無い僕でも十分面白く読んだ。

そして暑かった先週末は、極度の疲労と時差ボケで家を出る気がしなく、日本から持ち帰ったDVDで、原作者が共通の映画3作を観た…則ち僕の敬愛する江戸川乱歩の「一寸法師」と「盲獣」、そして「D坂の殺人事件」で有る(因みにこう為ったら、石井輝男監督の2001年度作品「盲獣VS一寸法師」も観ねば為るまい?)。

一寸法師」は内川清一郎監督、1955年度新東宝作品。モノクロ作品だが脚本も作りも非常に良く出来て居て、全く古さを感じさせない。若くハンサムな宇津井健がちょっと道化的な役割での主演だが、脇役陣に未だ無名の真面目くさった丹波哲郎天知茂が出て来るのも一興。

次なる「盲獣」は大映1969年、増村保造監督作品。僕は個人的に増村保造が好きで、勿論「兵隊やくざ」も良いけれど、矢張り「刺青」(拙ダイアリー:「若尾文子の白肌」参照)や「卍」が彼の傑作だと思う。増村は東大卒業後イタリア留学をし、先月此処に記した(拙ダイアリー:「『ライヴァル』が必要」参照)ヴィスコンティフェリーニに師事した事も有って、日本的な題材でも非常にヨーロッパ的に仕上げる所が好ましい。

この「盲獣」でのヒロイン緑魔子も、何処かゴダールの映画に出て来る女の子の様な感じだし、物語の舞台と為る盲目按摩の幻想的な彫刻アトリエも、決してアメリカ的では無い。この「盲獣」は恐らくは乱歩作品中でも、また増村作品としてもB級なのだろうが、中々好きな作品だった。

最後の「D坂の殺人事件」は何度か映画化されて居るが、今回観たのは東映1998年版、実相寺昭雄監督作品。本作は乱歩の「D坂」「心理試験」「屋根裏の散歩者」の3作をミックスした脚本らしいが、テーマで有る「SM」は実相寺にピッタリ来る感じが有るし、大正末期の雰囲気も良く出て居る。

さて、本作で真田広之演じる絵師蕗屋清一郎(この名は「心理試験」の主人公の大学生の名だ)は、恐らく伊藤晴雨がモデルと思われる「大江春泥」と云う責め絵絵師の贋作を作ると云う注文を受けるのだが、この蕗屋が浮世絵贋作事件(「春峰庵事件」がモデル)を起こした贋作師の息子(矢田三千男・金満がモデルか?)と云う設定も面白い。

またこの大江春泥は、乱歩の「陰獣」に於いて乱歩自身がモデルと云われる探偵小説家として登場する。乱歩自身も自分の作品をパロディ化して別作品に登場させたりするから、或る意味非常に乱歩的だし、劇中登場する団子坂近辺の模型等も何処か知的な感じで、エロのみ為らぬ実相寺のインテリさが滲み出て居た。

そして僕がこの3作に観た共通のモノが有って、それは乱歩が描く、異形では有るが或る意味純粋な「愛」で有った。

一寸法師」で描かれる、小人住職の百合枝夫人への長く純粋な恋心、拐われた癖に最後はその按摩彫刻家を愛して仕舞う、「盲獣」のモデルのストックホルム・シンドローム的且つアルゴフィリア的性愛、そして「D坂」でのSM…これらは常人から見れば異常な愛かも知れないが、乱歩が思う正常な愛は、得てして異形者や異常性欲者の方にこそ有り得て、物事に何時でも表裏が有る様に、純粋な愛にも当然表裏が存在する事を示唆して居る。

が、それは「変態こそ純愛」の如き短絡的な話では無く、乱歩の異端者・異形者に対する親愛の情の現れで有って、それは「一寸法師」での心温まるラストシーンが、この「通俗エログロ殺人事件譚」を恰も「愛の文芸作品」に昇華させたが如く、僕を感動させたからだ…その意味で乱歩と彼が描く愛の形は、異端処か異形者を尊重する日本芸術文化史に於いての「正統」その物とも云えるのでは無かろうか?

そんな今乱歩が生きて居たら、「『LGBT』なんて当たり前田のクラッカー」(古っ…:笑)と云うに違いない…。

偉大なる江戸川乱歩先生に、乾杯!


ーお知らせー

*山口桂三郎著「浮世絵の歴史:美人画・役者絵の世界」(→http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062924337)が、6月9日に「講談社学術文庫」の一冊として復刊されました。ご興味の有る方は、是非ご一読下さい!