「白隱フォーラム in 東京 2010」。

昨日は、神田の學士会館で開催された、上記シンポジウムに参加して来た。

このフォーラムは、花園大学国際禅学研究所が主宰しているもので、今回が3回目。昨年はニューヨークでも開催、また非常に立派な図録も出版され、最近の「白隱」研究は益々加速していると云えよう。

会場に着くと、旧知の辻維雄、島尾新、山下裕二そして主宰の芳澤勝弘の各先生方が居らして、ご挨拶頻り。席に着き、ふと気付くと150人収容の会場はほぼ満員で、白隱の人気を物語る。お坊さんも沢山いらっしゃたが、会場が何と無く明るく感じられたのは、そのせいか(笑)。

このフォーラムは2部構成となっており、第1部は、芳澤先生に拠る研究発表、「白隱達磨の成立過程」。白隱は、大変な数の「達磨図」を生涯描き続けたが、その画風の変遷を年代ごとに検証する。達磨の「視線の向き」が、白隱の「禅僧としての成長」と共に変化する(若書きは左を睨み、晩年はやや上を睨む…山下先生の「白隱斜視」説、「達磨図」=「自画像」説も後で出た)と云う発表…興味深い観点であった。

休憩後の第2部は、上記先生方に浅井京子、加藤陽介両氏を加えた6人でのパネル・ディスカッション。

パネラーは、島尾先生を除き(島尾先生は編集担当)、今年の秋に出る日本美術史雑誌、「國華」の「白隱特集号」に論文を寄せる方々である。聞く所に拠ると、「國華」は120年の歴史の中で(「國華」は、現存する世界最古の美術雑誌なのである)、白隱を掲載したのは「たったの2回」(!)で、これはこの雑誌が「アカデミック」に偏る剰り、日本美術史上の重要なアーティストを、如何に無視して来たかの証でも有る(山下)。120年間でたったの2回…全く同感である(笑)!

パネルディスカッションは、先生方が各々の論文に関する短い発表をし(辻「白隱と大雅、蕭白、芦雪」、山下「絹本著色『観音図』」、浅井「すたすた坊主」、加藤「達磨図」)、そして最後に意見交換が有ったのだが、その中で山下先生が興味深い説を仰っていた。

その説とは、白隱作品中には「絹本」作品が非常に少ないのだが(恐らく全作品の5%未満)、その少ない中での「画題」としては「観音図」が最も多い。これは準備が面倒で、コストも掛かる「絹本」に描かれる画題としての「観音図」が、白隱に取って如何に重要で有ったかの一つの論拠となり、そしてそれは、白隱の母(性)に対するコンプレックスかも知れない、と云う事であった。

さて、この山下先生の意見を聞いて、自分が常々、数多有る白隱の「観音図」に感じていた「或る事」を思い出した。それは「白隱は、実は『女嫌い』だったのでは無いか」と云う事である。異論も有るだろうが、白隱の描く「観音」は、筆者からすると決して可愛くも美しくも無い。それ所か、どちらかと云うと「意地悪」「シニカル」に見える…。

況してや、つぶらな瞳を持つ晩年の「達磨」と比べたりすると、この「観音」は特に異様に見える。これはもしかしたら、白隱が持っていた「母親に対する、愛憎相半ばの感情」の顕れでは無いだろうか?そういった意味では、白隱さんがゲイだった可能性も有るが、どうなのだろう?皆さんからのご教示を乞いたい。

何れにしても、長過ぎず刺激的で、構成も非常に良くできたシンポジウムで有った。

今年の秋には、ニューヨークのジャパン・ソサエティでも「白隱展」が開催される…いよいよ以って楽しみである。