「ホンモノ」を味わう悦びとは?

体調は何とか回復したが、伏せって居る間耳にして居たのは、清原の覚醒剤所持逮捕事件…ニュースを聞くと「やっぱり感」が否めないが、数有るニュースの中で個人的に違和感を感じたのが桑田のインタビューだ。

痛切な面立ちで現れたそのインタビューで、桑田は「悪い噂が出る度に小姑の様に小言を言ったが、3年位前に『これ以上関わらないでくれ』と云われた。然し言い続ければ良かった」と悔やんで居る様子だった。

が、僕がそのインタビューを観終わって想い出したのは、矢張りこの2人がドラフトに掛かった時の事…巨人に行きたいと公言して居た清原は指名されず、早稲田進学を公に宣言して居た桑田が巨人に指名され、入団して仕舞ったあの一件で有る。

あの時の清原の「涙」は当時の僕の胸にも響き、それは何故なら愛する者に愛されなかったと云う寂しさ、また親友に負けたと云う悔しさで有ったろうと思うが、それ以上にその後清原が受けたで有ろう、「大学進学を宣言して居た親友が、その宣言にも関わらず、よりによって自分が懇願して居た球団に入団した」と云う衝撃は、若く純粋な彼の心を粉々に打ち砕いたに相違ない。

そしてその「裏切り」をしたのが「親友」だったが故に赦さざるを得ず、そうして野球を続け引退した清原の人生の歯車は、実はあの日に狂い始めたに違いない。そして引退後の私生活も上手く行かなくなった頃の清原からすれば、自分の人生を狂わせた裏切り者の桑田に(何の罪は無いにしても)「小姑」の様に抜けしゃあしゃあと説教されるのは堪えられなかったのでは、と僕には容易に想像出来る。

だからと云って薬物に手を出す等以ての外だが、青少年時に於ける親しい人に拠る裏切り行為が与える心の傷の大きさと「長さ」を知る者としては、今回の桑田の「俺はキヨとは違って(クスリでは)クリーンだし、上手くやって来ました」感が垣間見えた会見に、僕は強い違和感を覚えたのだった…まぁ、どうでも良い話だが(嘆)。

さて非常に大きな仕事を2つ抱えつつ、能楽関係者との打ち合わせや、京都での「日本再生」に関する美大T教授との討論と食事、神楽坂「K」で小説家H・ジャズ評論家O・写真家Sの各氏が久し振りに揃った「男4人会」、かいちやうとの「M」での伊太利亜ディナーとお茶等、充実した今日この頃だったが、展覧会サーフの方も順調…先ず伺ったのは根津美術館での「松竹梅 新年を寿ぐ吉祥のデザイン」展。

松竹梅をあしらった伝馬遠等の中国絵画や山楽の山水図、狩野派屏風や焼物等を拝見するが、今回は特に美しい能衣装を堪能。その後は上階の中国青銅器を再見し、眼に焼き付ける。

そして根津美術館を後にしてその足で向かったのは、表参道の裏道に在るラットホール・ギャラリーで開催中の、ガブリエル・オロスコの展覧会「目に見える労働」。

此方は数ヶ月間日本滞在をしたアーティストが制作した作品展で、廃材の梁等をに仏像やミニカーを配したモノ…結合技術の可視化、接合、変容等を示して居るらしいが、僕には正直そのコンセプトと作品とのコネクションが良く分からなかった。

またサントリー美術館「水 神秘のかたち」展の最終日には、某美術館学芸員のT女史と彼女の同級生で京大&NYU日本美術史出身、今は東大准教授夫人と為ったMさんと1歳になったばかりの赤ちゃんとの4人で再訪…前回観れなかった本山寺蔵木造「宇賀神」像や、展示替え作品を観る為だ。

この胴体が蛇体で蜷局を巻き、頭部が中国風龍神の相と為って居る「宇賀神」像は、ハッキリ云ってキモい(笑)…が、鎌倉〜室町期の弁財天像の頭部に冠として載る宇賀神が、江戸期と云われるこの像(木喰作品も含めて)の様な「単体」木造彫刻と為る過程に、洛中洛外図に描かれた女性が後に寛文美人図として「独立」するのと同じ「美術史的過程」を見て、何と無く得心する。

そんなこんなで展示替え後の展覧を観て居ると、ミッドタウン内ブラッセリーでのランチ中に偶々話に出て居た東大のT先生ご夫妻(お二人共日本美術史家)にバッタリお会いし、吃驚仰天。が、これぞ僥倖と久保惣所蔵の珍し過ぎる重文「山崎架橋図」を解説して頂き、見辛いが胡粉での詞書が在る事、影向が描かれて居る事、白道図的体裁等から所謂縁起絵の一種と云う事で、我ら一同納得。T先生、有難う御座いました!

と云う事で、本題…先週、新婚のアーティストT氏夫妻と表参道「T」でランチをした後、横浜美術館で始まった「村上隆スーパーフラット・コレクションー蕭白魯山人からキーファーまでー」へ一緒に行って来た。

4月からM美術館長に為られるK先生やM美術館学芸員のT女史、老舗古美術店KのG氏等共偶然お会いした会場は、先ずキーファーの大作で始まる。そしてこのコレクション展はその後、特に古美術のパートは、良いモノも悪いモノも美しい物も醜い物も、価値の有る物も無い物をも包含した、或る種「モノのカオス」と化して行く。

それは「伝仁清」作品の年代が「桃山時代」に為って居たりした解説カード(既に訂正された)や、恰も美術倶楽部の「正札会」の如き猥雑な展示、作品真贋や年代、アトリビューションの曖昧さをも含めての事で、これは観覧者を「迷路」へと誘う事必然。

そしてこの展覧会の大きな罪は、入館料を払った観覧者に対して失礼と云っても良い位に、特に「優れた美術品」を殺して居る展示に在る…100歩譲って、それが「スーパーフラット」の意味だとしても。

悪いモノを良く見せるのも罪だが、良いモノを悪く見せるのも罪深い…その意味でコレクション中の白眉として素晴らしい鼠志野茶碗も一休の達磨書も死んで仕舞い、多くの観覧者は村上コレクション中の「珠」、いや日本美術史上の「珠」の重要性に気付かぬ儘、横浜を後にする事と為るに違いない。

現代美術はいざ知らず、優れた古美術には大事にされて来た歴史が100年単位で有る訳で、その持ち主は「所有」では無く「預かる」気概が必要だし、況してや他人に見せる時には、その価値を観る者に共有させねば、自分の何倍も生き続けて来たモノとそれを何世紀も守って来た人々に対して失礼だし、実に勿体無く思う。

横浜でのそんな寂しい気持ちと冷えた身体を癒して呉れたのは、その後向かった乃木坂「C」の絶品チキン・ドリア…ホンモノの場所でホンモノの味を味わう悦びこそ、それ自体がアートなのだから。