CONTINUITY & CHANGE:十二代三輪休雪@Japan Society。

昨日は、ニューヨークが或る意味「1年で最も危険な街になる」(笑)、アイリッシュ達のお祭り「セント・パトリックス・デイ」であった。

「緑の生き物」達が真昼間から笛を吹いたり、パレードをしたり呑んだくれたりで、通常営業の我々に取っては甚だ迷惑な話であるが、一年に一回の事なので我慢している…(笑)。しかし夜になるとアイリッシュ・パブは大盛況で、酔っ払い達は「時折」乱暴者になるので要注意だ。

そんな喧騒の中、下見会のセッティングも大分終え、夜はジャパン・ソサエティで行われた、萩焼の陶芸作家で筆者の岳父でもある、十二代三輪休雪の講演会へ行って来た。

岳父が生まれた三輪家は、1663年に毛利家より「藩窯」としての命を下賜されて以来、「茶陶」の家としてこの350年間存続して来た。当代休雪は本名龍作、十一代休雪(現壽雪)の長男として生まれ、「休雪」の号は叔父の休和から壽雪へ、そして龍作へと引き継がれた。当代休雪は、芸大彫刻科の卒業制作に焼物の「ハイヒール」を提出した事に因って、「現代美術家」としての一歩を踏み出した。

その後「エロス」と「タナトス」にその芸術活動の焦点を当て続け、今に至る。今回は、来週水曜日開催のクリスティーズのオークションに、彼の「現代茶碗」が当代楽吉左衛門の茶碗と共に「海外デビュー」する事も有り、20年以上振りのNY訪問を記念しての講演会であった。

ジャパン・ソサエティに着き、時差ボケの余り「前日から一睡も出来なかった」と云う岳父を控え室に見舞うと、しかしヤル気満々で安心する。オーディトリアムに降りて見れば、既に多くの人が来場しており、現代美術家杉本博司氏や、今度の日曜日にクリスティーズで「現代茶」のデモンストレーションをして頂く千宗屋氏を始め、NY在住の老若アーティスト、米国人茶人、コレクターやギャラリスト、ロバート・ホッブス氏等現代美術評論家などなど、大賑わいであった。

そしてレクチャーは、20数年前の作家自身の「NY経験」から始まった。

さて上記の様に、「古い伝統」の中で「長男」として生まれ育った岳父は、当然の如くその「伝統」に対する敬意と愛情を幼少期より持ってはいたが、卒業制作の「ハイヒール」に代表される様に、「『日本の伝統的作陶技法』で、如何に『新しい造形』を生み出すか」という事で苦心していたらしい。

そんな彼に取って「初の海外渡航先」であった70年代当時のニューヨークは、ありとあらゆる現代美術が産まれ蠢き合っており、「日本」と云う極東の島国の、「萩」と云う古い街の古い家から来た「野心満々の陶芸家」をノックアウトした…そして彼はその時「自分は日本人である」と云う事と、「自分には日本の陶芸しか出来ない」と強く感じたそうである。この「追い詰められた上での」アイデンティティの掌握が、今の三輪休雪と云うアーティストの「礎」となったのである。

その後レクチャーは、人間の根源である「愛と死(『エロス』と『タナトス』)」をテーマに、一貫して「『伝統技術』を用いての『新造形』」を試みる作家の歴史を、スライド大画面での「年代順作品紹介」と共に振り返る。岳父が時折交えるユーモアとその気取らない語り口は、観衆の笑いを誘い作品へと引き込み、時間の経つのを忘れさせた…何故なら話し好きの彼は、予定時間を40分もオーバーして語り尽くしたからだ…(笑)。

思い返せば、そもそも筆者と妻の結婚披露宴で、岳父には最後に「花嫁の父」としてのスピーチをして貰ったのだが、そのスピーチは「5分」の予定が何と「45分」に渡り、ホテル側も慌てふためいていた事を鑑みれば、今回のオーバー・タイムは「上出来」で有ったと云えるのでは無いか(笑)。

その後に予定されていた、ギャラリー・ディレクターとの「CONVERSATION」はキャンセルされ(笑)、短い質疑応答の後は階上でのレセプションへ。本当にたくさんの人に残って頂き、上述した杉本氏や千氏、川島猛氏の様な岳父の古くからの友人のNY在住アーティスト、集まってくれた若手のアーティスト達などと、グラスを片手に談笑…引っ張り凧の岳父であった。

レセプション後は、NY在住若手アーティストのS氏、マンハッタン音楽院でクラシック・ギターを勉強中のF君、陶芸をやっているヘア・デザイナーのMさん、ジャパン・ソサエティーのS女史と我々で、「つくし」で食事。食事中、矢継ぎ早に来る若者達の質問にも、真っ向から応えていた岳父は、当然疲れは見えたものの、何処と無く満足気に見えた。

お義父さん、お疲れ様でした!!