日本の大晦日と、ラッキーお正月。

「月ごとに 眺むる月ぞ くまもなき 光を四方の 海にうつして」。

久々に過ごした日本での大晦日は、友人のクリエイティブ・ディレクターA氏とライターAさんのカップルと「年越しダブル・デート」…先ずは夜7時半頃にウチの近所で待ち合わせ、猿楽町の最高に旨い蕎麦屋「M」ヘ、年越し蕎麦を食べに。

この「M」は、蕎麦のメッカ神田でも、現在屈指の味の店で、子供の頃から食べている例えば「神田藪」や「満留賀」、「まつや」や嘗ての「出雲そば」、最近では「一茶庵」等の店々と比べても、個人的には一番旨いと思う。但し、そうは云っても「藪」の「天たね」等、「此れだけは譲れない!」と云うメニューも当然有るので…って、別に今日のダイアリーは「蕎麦」が主役では無いので、この辺にしておこう(笑)。

晦日の「M」でも、最近は名前と携帯番号をリストに書いておけば、順番近くになると呼び出してくれる。寒い中、立って待った時代が却って懐かしいと思うのは、筆者だけだろうか…とは云っても便利には違い無いので(笑)、名前を書いて時間を潰す店を探しに行く。

さて白山通りに出てみると、大晦日の夜8時過ぎでも、幾つかのネオンサインが眼に入ったのだが、驚くべき事にその殆どは「AVショップ」で、流石「独身男性の聖地」は、この年末の押し迫った中でも不夜城なのであった(此処神保町ですよ、歌舞伎町じゃなくて…笑)。

近くに居酒屋を見付け、一杯やって「M」に戻ると暫くして着席、何時もの湯葉胡麻豆腐は既に売り切れだったが、杓文字に付いた香ばしい「焼き味噌」やひじきをツマミに、飲む連中は「獺祭」で乾杯。そして〆は、揚げたての天麩羅を一つずつ大将が運んで来る「天ざる」。一年を振り返っての年越しの宴は非常に楽しく、酒も進む。そして結局、我々がこの年の「M」の最後の客となり、千代田線に乗って、いざ千駄木へと出発した。

千駄木駅から皆で、除夜の鐘を撞く為に向かったのは、山岡鐵舟居士建立の谷中の禅堂「全生庵」。今回ここのH住職からお誘いを受けた訳だが、両親共バリバリ神道の家に育った筆者は、人生でたった1回しか衝いた事が無い、「『除夜の鐘』ど素人」なのであった。

少し早く着いてしまい、お茶を頂いて居ると、以前お会いした事のある外資系金融のスペシャリストM氏と、その同級生で某民主党代議士秘書の方が見え、歓談。その内に住職がご挨拶に見えて、ご挨拶をしたりしていたのだが、今年も後20分で終わろうかと云うその時に、この年最大の「失言」をしてしまった…ご住職、誠に申し訳御座いませんでした!この罪は「鐘」で、浄化させて下さい…(汗)。

そうこうしている内に時間となり、近隣の人達に混じって、A氏も初めて撞くと云う除夜の鐘の列へと並ぶ。並んでいる間には代議士秘書の方から、「尖閣諸島ビデオ」のそうだったのか的裏話を聞く…此処に書けないのが、残念で仕方無いのだが。

そして愈々我々の「鐘衝き」の番となり、実際「除夜の鐘」を衝いてみると、驚くべき事に本当に「煩悩」、若しくは一年間の魂の汚れの様な物が、スッキリと消え失せた気がしたのだ!澄み切った寒い夜空に響き渡る、深い鐘の音…これぞ日本の年越しであった!

そして元旦。例年通り桂屋家が全員集合し、昼食を都内某ホテルの中華で頂く。最後の胡麻団子や餡入りタピオカ迄確りと頂いた後は、皆とはホテルで別れ、妻と神田明神へ初詣。実は大晦日の夜、全生庵の後、A氏カップルと共に神田明神へお参りに来たのだが、参拝を待つ恐ろしい数の人と寒さに断念し、しかしタコヤキとヤキソバだけは確りと食べて帰ったのだが、昨日はきちんと昇殿参拝をし、気分的にもスッキリとする。そして引いた今年の「おみくじ」は…

何と「第一番・大吉」であったのだ!

ウーム…今年「年男」の孫一、ツイている気がして来た!因みに、今日のダイアリーの冒頭に掲げた歌は、その「おみくじ第一番」に書かれていた歌で、謂わば幸運のお裾分け、「お年玉」なのである。

今年も皆さんに、多くの幸福が授かります様に…そして明朝、雪のニューヨークに帰る。