「『コスース』に拠るベケット」と、「『ムーティ』に拠るベルリオーズ」の、贅沢な一日。

昨日の日曜日は、前の日とは打って変わった素晴らしい晴天、しかも楽しみにしていたG氏主催毎年恒例の「お花見@中央公園(セントラル・パーク)」だったにも関わらず、朝一度起きたのだが、全身が異常にだるく立ち上がれず、結局終日に渡りダウン。

これは、自分で「物忌みの日」と勝手に名付けている、年に何回か筆者の身に起きる現象で、この日に限っては誰が何と云っても「決して」起き上がる事が出来ず、10数時間、若しくは一日中寝続ける羽目に陥るのだが、昨日が当にその日であった。原因は、前日大雨の中出掛けた事や蓄積疲労等、色々と有るだろうが夢見の妻に云わせると、昨晩妻の夢に「被災者」達が出て来たと云うから、若しかしたらそれかも知れない。

さてその大雨だった土曜日は、朝は久々の「ホテル・ニューオータニ特製パンケーキ・ミックス」での、パンケーキ・ブレックファストを楽しむ。以前此処にも記したが、最近ニューヨークの日本食スーパーでは、この「ニューオータニ特製パンケーキ・ミックス」が姿を消し、訳の判らん「シェフ」のパンケーキ・ミックス等が並んでいるのだが、個人的には全く美味しいと思わない。

そんな訳で、このパンケーキ・ミックスの「王道」とも云える「ニューオータニ特製パンケーキ・ミックス」は、日本に行く度に近所の神保町のスーパー「Fujiya」で買い求め、態々ニューヨーク迄持って帰って来ている訳で、ふんわりふっくらの味と共に「有り難味」も倍増なのである(笑)。

そして身も心も満足した後は、友人のアメリカ現代美術史家Rご推奨の展覧会、チェルシーのSean Kelly Galleryで開催中の「Joseph Kosuth:Texts (Waiting for---) for Nothing', Samuel Beckett, in play」へ。

Rはコンセプチュアル・アートの専門家で、現在コスースの本を執筆中で有る事、そして我等地獄夫婦がコスースの版画作品を所持している事から、「これは観て置かねば!」と云う事だったのだが、行って観て吃驚仰天、誠に素晴らしいインスタレーションで有った。

会場には、作家のギャラリーでの最初のインスタレーション作品で有る「Nothing」(1968)と、此方も重要な作品「Ulysses」(1998)が展示されて居り、それだけでもスゴイのだが、この「Texts…」は、それらを忘れさせる程印象的なインスタレーションなのである。

最初インスタレーションの入り口を見ると「真っ暗」で、入り口に黒い幕か何かが掛かっているのではと云った「錯覚」を覚えるが、一度そのギャラリー内部に足を踏み入れると、其処は実は巨大な闇の空間が広がり、サミュエル・ベケットの2作品、名作「ゴドーを待ちながら」と「Texts for Nothing」からの「テキスト」が、ギャラリー四方の壁上部に途切れ途切れの手書きの様な白ネオンで表現され、フレームされた写真作品が唯一右奥の壁に掛かっていると云う、何とも劇的な空間となっているのである。

このベケットの2作品からのフレーズは、共に「不在」の概念を追求するものなのだが、このインスタレーション内部に身を置くと、自身の存在自体にすら疑問を持つ程に、その世界に埋没してしまうのだ。この展覧会は、4月30日迄…もう必見(必体験)のインスタレーションである!

そして夜は、久々のカーネギー・ホールへ…リカルド・ムーティ指揮、シカゴ交響楽団の「ベルリオーズ」を聴く為である。

ゲル妻は、話を聴くと少女時代からその貴族的な容貌のムーティの大ファンだそうだが(一体何人ファンが居るのだ!:笑)、そのムーティ&シカゴ・シンフォニーがベルリオーズをやると為ると、もう居ても立っても居られない。

会場に着くと超満員…そして黒髪を棚引かせて、少々年を取ったが、相変わらず色男でヴィスコンティの映画に出てきそうなムーティが登場、「幻想交響曲」が始まった。

結果から云うと、もう「ブラヴォー」の一言!流石ムーティ&シカゴ、そしてこれも流石ベルリオーズがアヘンを吸いながら作曲した曲と云うだけの事の有る、管も弦も非常にメリハリの効いた、完璧なる「文学的」演奏で有った!口煩いニューヨーカー達も、第一演目からスタンディング・オベイションでムーティとシカゴ・シンフォニーを祝福、その拍手はインターミッションの時間をカバーして仕舞う程のカーテン・コールを呼んだ。

インターミッション後の2曲目は、これもベルリオーズの、しかし珍しいモノドラマ「レリオ、あるいは生への復帰」で有る。この作品は「幻想交響曲」の謂わば「続編」として作られた曲で、独白の台詞劇に音楽と合唱の付いた一風変わった作品だが、生でその独白劇を演じるのが、何とフランスの名優ジェラール・ドパルデューだと云うのだから、ニューヨークに住むのは止められない(しかもチケット代は、何と「3,600円」である)!

場内の照明が一気に落ち、オーケストラが控えるほんの僅かな光の中のステージに、ムーティ、ドパルデューと全身黒尽くめの合唱団が入場し、「レリオ」がスタート。力強い発声のドパルデューは、ゲーテのバラッド「漁師」から始まる、失恋にうち震えるレリオの台詞回しを流石の力量で演じ、歌う段になって初めて各々がペンライトで楽譜を照らすと云う、ムーディな演出効果抜群の合唱団も、そしてオーケストラも文句無く素晴らしい。そして、さもすれば退屈且つ白け気味に為るこの手の独白劇も、かなりの緊張感と作品自体の持つフランス的自虐的諧謔味(笑)を交えて、ムーティは素晴らしい作品に纏め上げた!

大雨の一日、しかし此方はコスースにベケットベルリオーズムーティ…何とも知的で贅沢な一日でした。