「六条の御絵所」としてのウィレム・デ・クーニング。

今年も後2日。

年の瀬の慌ただしさの中、頼んでいたジョセフ・コスースの版画の額装が出来て来たりして、何処と無くニューヨークのアート業界も、仕事納め的な雰囲気を醸し出している。

そんなニューヨークは、此処の所寒さを増し、イースト・ヴィレッジの和食店「響屋」にジュエリー・デザイナーのN氏と出掛けた水曜の夜等は、気温が零下3度まで下がって風も冷たく、滔々「ニューヨークの冬」が始まった感が有る。

さて「滔々」と云えば、「大和屋」十代目岩井半四郎丈が滔々亡くなってしまった。

90年代後半から病気の為に舞台に出なくなって久しいが、あの涼しげな脇役振りや、出自を感じさせる舞踊が観れなくなってしまうと云う事と、今年10月に亡くなった「成駒屋」(七代目中村芝翫丈)と共に、「岩井半四郎」と云う、写楽や豊国の浮世絵にも描かれた(四代目を描いた)、江戸時代からの大名跡が消えてしまう事が残念でならない…心よりご冥福をお祈りする。

そして、今日もう一つ吃驚したニュースは、アストリアに住む若い友人のジャズ・ミュージシャンY君が、一昨日の夜、暴漢3人組に襲われ、顔や頭をビール瓶等で殴られ血塗れになり、エマージェンシー・ルームで14針も縫った事だ。

お金も盗られず、何よりもY君の命が無事だった事が不幸中の幸いだったが、最近安全に為ったと云われるニューヨークで、しかも日本人の多く住むアストリアの(ほぼ)「商店街」での出来事で有る事に、驚愕を禁じ得ない…ニューヨーク在住の皆さんには、年末の酒が入る時期、そして深夜の少しでも人気の無い暗い横路等には、本当に注意して頂きたい。

さて昨日は、未だ時差ボケの為、休みだと云うのに早朝6時前から起床、そのお陰で昨夜楽しみしていたRoseland Ballroomでの「Pitbull」(知らない人の為に云うと、彼はマーク・アンソニージェニファー・ロペス等と共演している、イケイケ・ギラギラ・ガチムチのボウル・ヘッド・ラテン・ラッパーで有る)のライヴを、ゲル妻にブーブー云われながらも、疲労の為泣く泣くキャンセルする羽目に陥ったのだが、その午前中に何とかこなしたのが、今年の「アートやり残し」の筆頭格、MOMAで開催中の展覧会「de Kooning: a Retrospective」で有った。

この展覧会はタイトル通り、オランダ生まれでアメリカ戦後美術の大立役者、ウィレム・デ・クーニング(1904-97)の大回顧展なのだが、実際既に観た人達から聞いていた通りの、物凄いショウで有った!

展覧会は、ちょっとゴーギャンを思わせる、1916〜7年(何とデ・クーニング、12才時!)の静物画から始まり、ミロを思わせる30年代の作品群を通覧して40年代に入ると、ピカソの影響を強く受けた現代作家としての、一世一代のテーマとなる「Woman」の画題が愈々登場して来る。

しかし、この展覧会に於ける作品の白眉は(そして恐らくは「全作品中に於いても」だと思うが)、1949年の巨大な「Second Woman」シリーズ3作と、1950-53年の「Works on paper」(紙作品)の「Woman」と「Two Women」の連作に尽きると、個人的には思う。

上記の2作品群の中でも特に素晴らしかったのは、油彩・エナメル・チャコールを駆使した1949年作の「Woman」(個人蔵)で、グロテスクさの中にも、洗練された構図と力強さを感じさせる、逸品中の逸品である…職業病で申し訳無いが、正直この作品は、8000万ドルは絶対的に下らないのでは無いか。

また紙作品の方でも、チャコールやクレヨン、鉛筆や油彩を使い、例えば紙を重ねたり貼ったりしての作品群は、そのチャコールの線の強さ、鋭さと勢い、そしてカラーリングが何しろ素晴らしく、どちらかと云えば、カンバスよりも此方の方が欲しい位で有る(笑)。

その中でも、愛すべき「キクラデス大理石女性像」を思わせる、紙にチャコールとパステルの個人蔵作品「Woman, 1951」や、シカゴ美術館蔵の「Two Women's Torsos, 1952」(アイヴォリー・ウォーヴ・ペーパーに、パステルとチャコール)等、マジに、本当に、激烈に、超素晴らしい。欲しい…欲し過ぎる!

実は、デ・クーニングの「Woman」は、筆者に取って以前から大好きな作品なのだが、その理由は唯一つ。

それは、「もし自分が絵を描けたなら、俺は『女』をこう描くだろう」と云った、筆者に取っての実存主義的且つ形而上学的「女性像」を、デ・クーニングがいみじくも具現してくれているからで有る…しかし、筆者の女性に対するどんな思いが其処に有るかは、是非とも不問に伏して頂きたい(笑)。

が、それはこの展覧会に出展されているデ・クーニングの「女達」を観る人が観れば、一目瞭然。

女性と云う不可解な生物を、須らく美しい怨霊としての「六条の御息所」的に捉えている(と、筆者が勝手に思っている)デ・クーニングは、当に「六条の御絵所」と呼ぶに相応しい。

年の瀬まで、「怨霊モノ」ダイアリーになってしまった…(笑)。