嘗て「南」で被災した男の声:Aaron Neville@City Winery。

今日のニューヨークは最高36度…朝の天気予報では、「トースター」アイコンが出ていた程で、これは覚悟せねばならない。が、日本に比べれば「天国」で有ろう…何事も、自分が世界で最も不幸と思ってはいけないのだ。

そんな暑さの中、今日は「LAHJ」の最終報告から。

先ずは、筆者が震災直後から関わって来た、デザインされた募金箱をNYのギャラリーやオークション・ハウスに置いて、震災復興の募金と共に、震災後の日本の状況の認知を促す目的での「Love Art & Help Japan」運動が5月末を以って一応の終了を見たが、その報告を藤高晃右君がブログでされているので、是非ご覧頂きたい(→http://www.nyartbeat.com/nyablog/2011/07/love-art-help-japan-raised-10214-42/)。

この運動は、アーティスト、キュレーター、アート・ヒストリアン、オークショニア、ギャラリスト、インスティテューション等、ニューヨークでアートに従事する日本人及び外国人、団体が上記目的の下に集まり100%ボランティアで行なった活動である。アート施設を訪れる一般の人々に、募金するだけでは無く、今回日本で起こった事を自分の国や家族に起こり得る事として認識して貰う、そして我々もその事を考える本当に良い機会となった。

募金額は1万ドルを超え、集まったコインの重さは5キロ(!)、紙幣は1000枚以上…これは、ニューヨークでアートを愛する、一般の人々の信じられない位暖かい気持ちの「証」である。藤高君が、「まるで麻薬ディーラーの様だった」(笑)と感じた程の札束と重い硬貨をリュックに背負って運んだ募金は、先日日本赤十字社に送られた。

ご協力頂きました皆様、本当に有難う御座いました。これからも、個人的には「日本の将来を作る」と云う意味での「復興」を考えて行きたいと思っています。

さて、「暑い」と云えば「南」、昨晩はアメリカ南部からの「絹の歌声」を聴いて来た。

その「シルキー・ヴォイス」の持ち主は、当年取って70歳、ニュー・オリンズ出身のアーロン・ネヴィル、場所はSOHOのヴァリック・ストリートに在る(あそこは若しかしたら、トライベッカか?)の「City Winery」である。

8時からの開演に備え、今回はメルト妻(この名の由来はまた今度:笑)と早めに会場へ行き、リゾット・ボールやビーツ・サラダ等を食べて腹拵え。客席にはかなり年齢層の高い客達が控え、舞台にはグランド・ピアノと小さな台に載ったキーボード、そしてそれに伴う椅子2脚だけがアーロンを待っていた。そして25分遅れで黒人の老ピアニストが登場し、ステージがスタート。

先ずはこの老黒人ピアニストが、2曲程ソロを弾く…中々のブルース・ピアノだ!その後大喝采の中アーロンが登場、とても70歳とは思えない若々しいT-シャツでの出で立ち、頭には故郷のフットボール・チームのセインツキャップを被っている。そしてどっかりと椅子に座って、キーボードを弾きながら徐に歌いだした彼の声は何とも若々しく、喩えるならばシルク、サテン、いやビロードの様に美しかったのだ!

「Tell It Like It Is」や「Everybody Plays the Fool」等の大ヒット曲を立て続けに歌い、時には「Stand By Me」等のオールディーズやブルースを混ぜながら、その歌声は時に優しく、時に激しく奏でられる…そう、まるで神秘的な「楽器」の様に…。

そして大好きな「Ain't No Sunshine」が始まると、もう居ても立っても居られなくなり、コンサート終盤に為って、ずっと座り続けていたアーロンが滔々立ち上がって歌った曲が「Amazing Grace」となると、もう我々が涙を流す程に「感動の極地」に至った事を、皆さんも容易に想像出来るに違いない!

100分に及ぶアーロンのライヴは、ピアニストとの相性も最高で、アンコール2曲を以って終了。アーロンの声は、その優しさと美しさ、そして特徴有る昔ながらの唱法で、アメリカ南部の「気」をニューヨークに運んで来てくれた。

そうして彼の声に感動しきった我々は、耳に残る「アメイジング・グレイス」を口ずさみながら、「ハリケーンカトリーナ」に因って家を失ったアーロンが、今「東北」を訪れたら何と云うだろう等と考えながら、妻と家路を急いだので有った。