「能」的モーツァルト:Peter Brook's ”Magic Flute”@Gerald W. Lynch Theater.

今朝のニューヨークは涼しく本当に気持ちが良くて、出勤途中に前を通る、有名なジャズ・クラブ「バードランド」の辺では、11年目にして恐らく2回目となる「トンボ」を目撃した。

タイムズ・スクエアに近いこんな街中で見た、恐らく「シオカラ・トンボ」だと思うトンボは、ニューヨークに来て以来偶に、そして突然に感じる「一体オレは、『こんな所』で何をしているんだろう?」と云う恐怖感に近い想いを、筆者に再び抱かせた…11年経っても、未だ「Alien」な謂れである。

さて、こんなに気持ちの良い朝を迎えられたのも、昨晩観た此処何年でも最高の「舞台」の所為も有ったのかも知れない。

昨日の夕方、町全体が煙る程急に降り始めた横殴りの雨が止むのを待って、メルト妻と出かけたのは「Lincoln Center Festival 2011」参加作品の1つ、モーツァルトの「魔笛」…しかしこの「魔笛」は唯の「魔笛」では無い。何故なら、この「魔笛」を演出するのが敬愛するピーター・ブルックだからで有る!

ロンドン生まれのブルックは今年86歳(!)、今回の「魔笛」も自身の「終の棲家」で有る「Théâtre Des Bouffes Du Nord」の制作で、昨年11月に初演された。山海塾天児牛大氏もフランスの劇場で活躍している事を考えると、フランスと云う国の芸術への、そして特にミニマルな演出をする外国人演出家への、並々ならぬ関心が伺える。

筆者のブルック演劇との出会いはもう20年近く前、当時銀座に在ったセゾン劇場での「真夏の夜の夢」で有った。この作品もそうだったが、ブルックの演出は贅肉を削ぎ落とし、極限的にミニマルな舞台を創造するが、決してユーモアを忘れる事が無い…其処も彼の最も卓越した才能の1つだと思う。しかし何と云っても今日の演目は、難解な、そして余りにも「フリー・メイソン」なモーツァルトの「魔笛」で有る…期待をするなと云う方が土台無理な話だ。

会場に着くと、初めて行ったこのシアターは、成る程大学のシアターらしく小さく、こんな小さな場所でブルックの芝居が観れるなんて!と心が弾む。満員の客層の年齢はかなり高目だが、如何にも「舞台人」らしい風貌の人も多く、「プロ」からの尊敬をも集めるブルックの舞台らしい雰囲気で有った。

舞台に眼を遣ると、長く切られた「竹」がスタンドの様に、黒バックに何本も林立していて、後は黒のグランド・ピアノが舞台の端に一大置いて有るだけの、極めてシンプルなセット。そして「大蛇」役の黒人俳優が登場し、15分程遅れて「魔笛」が開幕。

魔笛」のストーリーは此処では省略するが、歌はドイツ語、台詞はフランス語で展開されるこの舞台、何しろキャスト「全員」の歌も演技も最高に素晴らしい(勿論、「夜の女王」のアリアも)!特にブルックの得意技、日本の「能」の動きを取り入れた摺足の足運びや、数歩歩いただけで遥か彼方まで移動する場面転換(この場面転換は、「竹」を移動する事に拠っても、簡単に行なわれる!)、これは「能オペラ」と云っても過言では無い(因みに王子タミーノは、原作では「狩衣」を着て出て来る)。

これだけ何も無いセットでも、観る者に取ってタミーノとパパゲーノの旅の景色のイメージはどんどん膨らみ、際限が無くなる…これぞ「ファンタジー」の極みでは無いか!こうなると、正直大げさなセットや衣装のオペラ、ハリー・ポッター等の特撮映画が馬鹿げて思えて来るが、人間の「想像力」を殺ぐ様な演出は、もう好い加減充分だと思う。

そして、インターミッション無しの100分の「魔笛」は、ほんの一瞬も観客を飽きさせる事が無く、「魔笛」が浮いたりするマジックや竹を叩いての効果音(これは「真夏の夜の夢」での、砂を入れた容器を俳優が動かして音を立て、「潮騒」の音を出すのに似ている)、素晴らしいピアノ演奏のみで歌われるモーツァルトの歌曲それ等の全てが、ブルックに因って洗練され、美しくも現代的に再構築されていたのだ…本当に驚くべき、最高の舞台であった!

何回ものカーテン・コールの後、席を立ってふと後ろを見ると、2列後ろにビル・マーレーの姿も。そして劇場を出ると、ビルの谷間にポッカリと巨大な月が浮かび、メルト妻と「能の将来」を語りながら家迄歩いて帰るすがら、その大きな月が、未だ自分がブルックの「魔笛」の余韻と云うか「世界」に包まれ、タミーノとパパゲーノと共に旅をしている様な気分にさせてくれた。

ピーター・ブルックは、観客の想像を掻き立てる「天才」で有る。