屋久島日記(4):長い帰京、そして島で学んだ事。

屋久島の最終日は、朝11時半の飛行機迄の滞在。

日頃「超インドア」な筆者に取っては、ニューヨーク→東京→萩→鹿児島→屋久島と旅をして来て、3日間連続で朝4時起き、この2日間森や沢を一日中歩き回ると云う、恐らくここ10年で最もアクティブに動いた日々だった事で(笑)、結構疲れていたのだが、頑張って早起きし、チェックアウト後島をドライヴ。

朝の清々しい空気と陽の光の中、妻を乗せ、窓を全開にして、海沿いの道を軽自動車で飛ばす。

「猿川のガジュマル」を見たり、お土産を買ったり、美味しいソフトクリームを食べたりして居る内に出発の時間が近付き、名残を惜しみながら空港へ。

そして鹿児島行きのブロペラ機に乗り込み、気が付くと屋久島は遥か眼下にポッカリと浮かんでいた。

その後、鹿児島空港から羽田迄ひとっ飛び…とは行かない訳が有って、その訳とは、以前此処で「発狂寸前のトラブル」が有ったからである。

そのトラブルとは、今回の全旅程を頼んだニューヨークの旅行会社が、或る事情で日本での旅程を全て1日遅らせる様に頼んだにも関わらず、羽田→山口宇部便の日付を其の侭にしていた事に端を発する。

このお陰で、羽田でチェックインしようとした我々は、ANA係員の可愛い女性に予約が前日で有った事を告げられ、その後のANA便による旅程が全てキャンセルされた(そう云うルールの、格安チケットだったらしい)事を告げられた。

買い直さねば、全ての旅程がパーで有る…怒り心頭では有ったが、仕方がない。ANAの可愛い子ちゃんに買い直しの価格を聞くと、片道正規料金なので、何と30万以上に為ってしまうとの事。

仕方無く、最も安上がりな羽田→山口宇部の往復を買い、後はバスと新幹線にする事にした。

と云う事で、昨日の屋久島から東京迄の経路は、屋久島空港→(ブロペラ機)鹿児島空港→(バス)鹿児島中央駅→(九州新幹線)博多→(山陽新幹線新山口→(バス)山口宇部空港→(飛行機)羽田、と云う恐るべき遠回りと為り、疲労の極致と為ったのだった。
その超長い帰京の途中、今回の屋久島旅行での貴重な経験から考えた事が有る。
それは、この屋久島が、恐らく将来の日本の1つの「モデル」に為り得る、と云う事である。

余り知られていない事実だが、屋久島の電力は島の会社「屋久島電力」が供給している…九州電力では無い。

そして現在、「屋久電」が作っている電力の10分1しか、島民は使っていない。また島を走る自動車の9割りは「軽自動車」で、多くの家庭が畑を持ち、何かを栽培している。そして何れ、屋久島の全ての自動車は、屋久杉を排ガスから守る為に「軽自動車」から「電気自動車」に代わり、その余った電力は、その充電に使われるだろう。

屋久島は、「共生」と「再生」の島で有る。動植物、鉱物、水、海、土、そしてヒトが本当に上手く、そして謙虚に「共生」している。

未曾有の震災と政治的暗黒時代を生きる日本人は、縄文人の感覚を取り戻し、或る程度の自給自足、それと自然との共生を今一度考えねばならないだろう。

屋久島に行けば、その事を実感出来る…疲れ傷付いた心と体を再生しながら。