90年後の「記念撮影」。

最高の天気だった昨日の金曜日は、朝から日本滞在中の顧客兼友人、R&Cのカップルとゲルゲル妻を伴って、鎌倉へ。

この鎌倉への小旅行の目的は、Rが望む、彼のお祖父さんに関わる「或る事」を実現させる事で、そのヒントは彼が見せてくれた一枚の写真に有る。

Rのお祖父さんは、新聞紙の紙のロールを売る製紙会社のセールスマンとして、1921(大正10)年に中国と日本に2ヶ月ずつ滞在したそうだ。

Rの祖父のその4ヶ月間のアジア滞在中、中国での写真が一枚も残って居ないのに対し、日本での写真は3枚残って居て、その1枚は「鎌倉大仏」の前に2人の外国人が立っている、と云う物で有った。

Rに拠ると、その写真左側に立っている人物がRの祖父で、右側は友人のセールスマンだと云う…セピア色に褪色していて古いが、確りと良く撮れて居る写真だ。

そしてRの望むその「或る事」とは、祖父の写真と全く同じ構図の写真を、祖父の代わりに自分、「友人の『セールスマン』」の代わりに「友人の『日本美術スペシャリスト』」を配し、90年振りにカメラに収めると云う事なので有った。

さて、R&Cと我ら地獄夫婦の4人は、東京駅から横須賀線に乗り、鎌倉で江ノ電に乗り換え、長谷駅で下車。しかし駅からたった徒歩7分の、大仏を擁する高徳院には中々着かず、それはその7分の距離に、剰りにも「誘惑」が多かったからだ。

食いしん坊のCには、商店街が売る抹茶ソフトやどら焼、煎餅やおかき等珍しいモノばかりで、数メートル歩くと立ち止まり、買い食べる、を繰り返し、最悪な事に筆者に相伴をさせる…Cは悪魔で有る(笑)。

長谷町商店街の経済活動に絶大なる貢献をし(笑)、お腹も膨らせながら、やっとこさ高徳院に着くと、木々の上から大仏様のお顔が見え、皆ニッコリ。

Rと筆者は、早速大仏様の前に進むと、お祖父さん達が大仏様の前で佇む写真を眺め、構図の確認をする。良く見ると、写真の中の彼らは、大仏様の前の2台の大きな青銅の花入の間に立っている。が、90年後の今はその花入は無い…その事実が我々に、長い年月と、関東大震災や戦争等の「歴史」を感じさせた。

そしてRと筆者は、90年の年月を越えて、その身をRの祖父と友人のセールスマンに置き換え、鎌倉時代、嘗てこの地を襲った津波に因ってその伽藍を流されても、その身体を動かす事なく、今でもその端正な威容を雲一つ無い青空の下に晒す大仏様の前に立ち、ニッコリと微笑みながら、デジタルカメラに収まったので有った。

R家の90年振りの「記念撮影」は、Rと筆者の新たなる友情の証しと為り、家の歴史にそのささやかな1ページを刻んだのでした。