若冲の風呂。

月曜の朝4:00に起きて、飛行機に飛び乗り西海岸へ出張、翌日の深夜1:40にニューヨークの自宅に戻ると云う、超強行軍をこなして来た(ハッキリ云って、死んだ…:涙)。

そんなハード・スケジュールの合間を縫って訪ねたのは、ロスから車で南へ走る事40分、若冲コレクターとして名を馳せる、ご存知エツコ&ジョー・プライス御夫妻。

さて、ジョーさんとの出逢いは、筆者がニューヨーク勤務になる前の90年代後半、麻布美術工芸館旧蔵の肉筆浮世絵コレクションが、クリスティーズ・ニューヨークで売却された時の事で有る。下見会中或る掛軸を眺めて、その前からずっと動かない小柄な男性が居て、興味を持って挨拶を交わしたのが、ジョーさんとの出会いで有った。

ジョーさんはその後、筆者に下見会場のライトを落としたり上げたりを頼みながら、1日中その絵を返す返す眺めていたのが、今でも非常に印象に残っている。

ここ最近は皆さん御存じの通り、ジョーさんと悦子さん、そして若冲を中心とする江戸絵画の「心遠館コレクション」は、逆輸入的に日本でも大ブームとなり展覧会や出版も相次いだが、悦子さんに拠ると、今年の秋開催される「東京デザイナーズ・ウィーク」に至っては、若冲をモティーフとしたデザインがテーマに為るそうだ。

ニューヨークとは別世界の素晴らしい気候の下、カタツムリの様な、或いは宇宙船の様な外観の個性的な御宅に着き、立派な松越しに広がる美しい海と浜を眺める庭をジョーさんと横切って、離れの「鑑賞室」に入ると、早速悦子さんも交えての美術談義が始まる。

ワシントン・ナショナル・ギャラリーで開催された若冲展(拙ダイアリー:「『コルトレーン』な金曜、『若冲』と『ショーター』な土曜」参照)や、来年3月に仙台市博から始まる、東北を廻る被災地を元気付ける為の展覧会、悦子さん曰く、ジョーさんと類似点の多い辻惟雄先生を始めとする日本の学者先生方の事、将来の日本美術コレクターの育生の問題等を、「シャッター」の奥から出された作品を観ながら語り合う。

現在ジョーさんは、コレクションの半分をロサンジェルス・カウンティ・ミュージアムに預けて居るが、美味しいランチ・タイムを挟んで、自宅に置いて有る応挙等の円山四条派の屏風や若冲の掛幅を拝見し、その後ジョーさんが引っ張り出したのは、コレクションの白眉「鳥獣花木図屏風」(紙本著色六曲一双)。

この超有名な作品に関しては、最近アトリビューションに関して色々と意見が有る様だが、しかし何度観ても不思議な魅力溢れる作品で有る事だけは確かで、観れば観る程「タイル」や「絨毯」の下絵の様にも思えるし、山下裕二先生が云う様に、極楽浄土を描いた「仏画」にも観えて来る。

そして「黒の升目」の中の「青の升」や、ジョーさんが電動ブラインドを明け閉めして行う調光に因って、また観る角度に因ってその表情を変える、濃度の異なる黒や白の色達は、ワシントンでの若冲展を観た時の「若冲は個性的な『アーティスト』だが、極めて優秀な『職人』でも有ると思う」との筆者の感想を伝えた時に、ジョーさんが「マゴ…それプラス、光と視覚の関係を知っていた若冲は『科学者』だったのだよ!」と叫んだ事を、十二分に納得させるのだ。

しかし、そんな楽しい時間は何時でも早く過ぎて仕舞い、残念な事に次の場所へと出発する時間が近付いて来たので、プライス邸名物の「若冲の風呂」を拝見しに、階上の母屋に移動。

楕円形の風呂場はタイル張りで、真ん中にこれも楕円形の浴槽が有るが、その回りを取り囲むタイル壁は、さっき観たばかりの「鳥獣花木図屏風」が写されているのだ!

若冲が「極楽図」とも云われるこの屏風に描いた、剽軽な象達に見守られながらゆったりと風呂に浸かり、大好きな「科学者・若冲」に想いを馳せる…これを「極楽」と呼ばずに、一体何と呼べば良いのだろう(笑)!

別れの時間が来て、迎えの車に乗り込んだ筆者に手を降って送ってくれた、ジョーさんと悦子さん…車が走り出して振り返って見たお2人の姿が、何故か「科学者とその妻」に見えた。

そして「ジョーさん、今日もあの『若冲の風呂』に入るんだろうなぁ…」と思いながら、何ともほのぼのした気持ちで次の顧客の元へと急いだ孫一で有りました。