男の、男に拠る、男の為の、至高の「バレエ」:Paris Opera Ballet@Lincoln Center。 

ウォール・ストリート・ジャーナル」に拠ると、今年5月にオークション売却価格の世界新記録を出したムンク「叫び」(拙ダイアリー:「『12分11秒』後の『叫び』」参照)の購入者は、ニューヨークの投資家レオン・ブラックだったらしい。

ブラック氏は、アクティヴな大コレクターの1人で、以前此処でも紹介した、ワークス・オン・ペーパー作品としての世界記録を作った、美しすぎるラファエロの素描「Head of a Muse」(拙ダイアリー:「ラファエロの誘惑」参照)も彼が買ったと云う事だ。

さて、前に記したと思うが、件の「叫び」にはムンク本人作の「オリジナル・フレーム」が付いていて、其処には作家自身に拠る一篇の詩が書かれている。

そして其処には、恐らく一般の方々が思っているのとは異なる「叫び(The Scream)」と云うタイトルの由来が記されていて、それは「画中、叫んでいるのは『人』では無く、その人間を取り囲んでいる『自然』で有る」と云う事。

つまり、この「叫び」と題された絵画は、人間を取り巻く自然、森羅万象全てが絶え間無く声高に上げて居る「叫び」に取り囲まれて居て、それが余りに大きいので、人間はその劈く「叫び」に耐え切れずに「止めてくれ!」と耳を押さえている、と云う意味の作品なので有る。

そんなフレームに収められた「叫び」の購入者は、これからマスコミや「99%」の人々の「叫び」に、耳を塞がずに居られるだろうか…。

さて、本題。前日迄、華氏107度と云う暑さの西海岸への強行軍出張で、フラフラの水曜日だったのだが、仕事後、国際文化機関の友人O氏に誘われ、先ず出掛けたのはホイットニー美術館でこの日から始まった、「Yayoi Kusama」展のレセプション。

展覧会場では、知人友人達や電動ホイール・チェアのチャック・クローズと話せたりもしたのだが、今日はその後の「大興奮」の事を記さねばならないので、この草間展の件は、追って此処で報告しよう。

さてこの晩、O氏と2人でサクッと展覧会を切り上げ、急いで向かったのはリンカーン・センターのDavid H. Koch Theaterで始まったバレエ公演、「Paris Opera Ballet:French Masters of the 20th Century」で有った。

この晩のプログラムは3演目…ラロ作曲、セルジュ・リファー振付の「Suite en Blanc」、ビゼー作曲、ローラン・プティ振付の「L'Arlésienne(アルルの女)」、そしてこの晩のお目当ての「ダブル・モーリス」、ラヴェル作曲、ベジャール振付の「Boléro」で有る!

バレエに恐ろしく詳しいO氏に教えを乞いながらの最初の演目は、ミニマルな黒の舞台に全員が「白」を着て踊り、「エトワール」達に満遍なく見せ場の有る、流石431回目の公演と云うだけの事の有る演目。

その8つのバレエで構成された「白の組曲」、最初の内は特に男性ダンサー達の息が合わず、少々固い感じがしたが次第に解れ、ジロがフィーチャーされた「シガレット」や、イケメン・エトワール、マチュー・ガニオがフィーチャーされた「マズルカ」、しかし何よりも「アダージュ」を踊った、剰りにも美しく可憐で、フランス女性独特の女らしさ溢れるオレリー・デュポンが、何とも素晴らしい…あぁ、当に「Vive la Française !」(笑)。

インターミッションを挟んでの2曲目は、80回目の公演と為る「アルルの女」。此方は、背景にゴッホの作品をモティーフとした緞帳が下げられた舞台で、プティの振付と共に何処と無く野暮ったい…が、メイン・ダンサー達は素晴らしく、イザベル・シアラヴォラは可憐で可愛いし、ジェレミーベリンガールもかなり身体能力が高い上に野性味が有って、彼の「ボレロ」も観てみたいと思わせるパフォーマンスだった。

そして愈々、彼等に取って記念すべき150回目の公演と為る「ボレロ」で有る!

さて、この「ダブル・モーリス」に拠る、不滅の傑作コンテンポラリー・バレエ「ボレロ」を筆者が最後に観たのは、確か今から20年以上前の事。

以前此処にも記した様に(拙ダイアリー:「『相続者』の義務」参照)、クロード・ルルーシュの名作大河映画「愛と哀しみのボレロ」を観て感動した後に、日本にやって来たベジャール・バレエ団の公演を観たのだが、その時「ボレロ」を踊ったのは、伝説のエロティック・ダンサー、ジョルジュ・ドンで有った。

この晩「ボレロ」を踊ったのは、ニコラ・ル・リーシュ…今回のパリ・オペラ座バレエの3回の公演の内、男性ダンサーが「ボレロ」を踊るのはこの晩だけで、ル・リーシュの体格がドンのそれに近いので迫力が有るのでは無いか、とのO氏のお奨めに従ったので有る。

幕が開き、暗闇の中でスネア・ドラムに拠るボレロのリズムが刻まれ、ル・リーシュが振り上げて翳す右手、そして左手の掌だけがスポットライトに浮かび上がり、「ボレロ」は始まった。

そして徐々にル・リーシュの肉体が顕に為り、鍛え抜かれた、そしてドンに似たガッチリとした体が見えて来るが、その逞しい肉体と、しなやかで流れる様な、指の先まで神経の行き届いた腕の動きは、このダンサーが只者では無い事を証明し始める。

ご存じの様に、「ボレロ」は曲が進むに連れ、演奏される楽器が重なり増えて来るがのだ、その度毎にル・リーシュの体は少しずつ汗ばみ、後半に入ると相当な運動量と為るが故に、裸の胸はその汗で光り始め、体の振りが大きくなると共に汗も飛び散る。

そうしてあの「フィナーレ」に至る迄、イケメン達が続々と立ち上がってダンスに加わり、最後のエクスタシーを迎える段に至っては、もう筆者もO氏も、ドンを彷彿とさせるル・リーシュの余りの素晴らしい完璧な踊りに、殆ど涙して居たので有った!

そして今回、20年振りに「ボレロ」を観て想った事が有る。

それは、例えばベジャールがダンサーに強いる、無理な、或いは特異な体勢での反復運動や腹筋を波打たせる動き、それに因って裸の胸板に光る汗等を見ると、この「ボレロ」とは、ベジャールが自分好みの男性ダンサーのその鍛えられた肉体(筋肉)が、如何に美しく見えるかと云う事のみに重点を置いて振付られた作品では無いか、と云う事だ。

ベジャールの「ボレロ」が、「生の歓び」を主題としているとは良く云われるが、一歩踏み込んで、究極の美としての「『男で有る』歓び」の様なモノが、ベジャールの「ボレロ」の主題とは考えられないだろうか…?

そしてゲル妻も良く云っているが、能も、歌舞伎の女形も、山海塾も、究極美と思われる芸術的舞踊は男の為に創られ、女性がそれを実現するのは甚だ難しい…そう思うと、或る意味舞踊的「究極の美」とは、若しかしたら男の肉体にこそ有るのでは無いか。

男の、男に拠る、男の為の、至高のバレエ…その名は「ボレロ」。

ニューヨークに住んで12年、日に日に「男の美」を理解しつつ有るワタクシ…誠に危険で有る(笑)。