「Adele」との再会。

酷暑且つ独立記念日ウィークで、心なしか人も少なかった気がしたニューヨークの先週末は、久し振りに「Adele」に会った。

が、「Adele」と云っても、残念ながら筆者も大好きな英国人歌手の事では無い…100年以上前にグスタフ・クリムトに拠って描かれた、オーストリア人女性「『Adele』 Bloch-Bauer」の事だ。

そのアデーレとの再会を果たした「ノイエ・ギャラリー」では今、「クリムト生誕150周年」を記念する展覧会が開催されて居る。青春時代からクリムト・フリークで有る筆者が(拙ダイアリー:「ベルヴェデーレ宮殿の『接吻』」参照)、どうしてこの機会を逃せよう!

さて、アッパー・イースト・サイドに在る、豪邸を改装したこのノイエ・ギャラリーは、世界的な化粧品メーカー「エスティー・ローダー」の会長、ロナルド・ローダーのコレクションを展示する個人美術館。

そのコレクションは、ビザンティン等のメディヴァル・アートから、マネやセザンヌピカソブランクーシ等の印象派・近代美術、ヨゼフ・ホフマン等のウィーン工房デザイン、近代ヨーロッパ作家達の素描、そして何よりもクリムトエゴン・シーレオスカー・ココシュカ等のウィーン分離派と、その周辺作家のコレクションが特に素晴らしい。

そんな今回の展示の目玉、且つローダー・コレクションの白眉と云えば、何と云ってもクリムト1907年制作の大名品、今回のダイアリーの主人公で有る「アデーレ・ブロッホ・バウワー I」に尽きる。

「アデーレ」は何しろ美しく、妖しい。

金銀彩を多用した画面に観られる、市松文様や唐草文様、箔散らしや金泥の盛り上げ等、江戸期日本美術の技法をまるで見て来たかの様な装飾技法が、クリムトのモデルで有り愛人でも有ったと云われるアデーレの、世紀末デカダンの権化の様な青白い顔をより一層引き立て、この作品を華美で頽廃的、そしてセクシー極まりないドラマティックな作品に仕上げて居る(まるでマーラー交響曲の様では無いか!?)。

そして作品に勝るとも劣らず、小説の如くドラマティックなのが、この作品に纏わる来歴で有る。

第2次世界大戦中、この「アデーレ・ブロッホ・バウワー I」を含む5点のクリムト作品は、アデーレの死後、裕福な銀行家で有ったアデーレの夫フェルナンドの元から、ナチスによって略奪された。

そう、この作品は、所謂「ナチ略奪絵画」なので有る。

大戦後、これ等の作品はナチスからオーストリア政府に返還され、国立美術館(ベルヴェデーレ宮)に所蔵展示されていたが(元々はそれが、アデーレの遺言でも有った)、戦後も大分経った2000年、この作品の所持者で有ったフェルナンドのアメリカ在住の姪が、これ等5点の作品の返還を求める裁判を、オーストリア政府を相手に法廷で起こす。

そして2006年、オーストリア最高裁判所法廷は自国政府に対して返還を命ずる判決を出し、その5枚のクリムトはウィーンの美術館から高齢の姪の元へと戻ったが、この時点からクリスティーズサザビーズの間での、作品取り扱いに関する闘いが始まる。

その後、その激烈なる「『取り扱い』獲得戦」を制したクリスティーズが、この「アデーレ・ブロッホ・バウワー I」を仲介、推定1億3500万ドル(当時約156億円)で、「ユダヤ人損害賠償世界機構(World Jewish Restitution Organization)」のメンバーでも有るローダーが購入し(実際、上に記した氏のコレクションは、「略奪美術品コレクション」と云っても過言では無い)、それ以来ノイエ・ギャラリーに展示され、世界のアート・ファンを魅了し続けて居るのだ。

因みに、クリムトがその5年後に描いたもう1点のアデーレの肖像、「アデーレ・ブロッホ・バウワー II」(8790万ドル:当時約101億円で売却)や、素晴らしい風景画「Apple Tree I」を含む他のクリムト4点もクリスティーズ・ニューヨークのオークションに掛けられ、総額1億9000万ドル(当時約218億円)を超える額で売却された。この膨大な売上金は、ナチスから遺族への「賠償金」代わりと云う事に為るのだろうか…。

「Adele」と再会する度に、その妖しい美しさと共に、彼女が辿ったこの数奇な運命を思わずには居られない。

何故なら「再会」とは、何時でも「歴史の確認」に他ならないからで有る。