「クサマヤヨイカ」する「クサマヨイ」。

サッカーは男女共、本当に残念だった…しかし、アメリカ女子、あれ完全に「ハンド」でしょ?(笑)

何れにせよ、今回のオリンピックでは日本選手、特に「女子」が大層頑張っている。

また、メダル数は有っても「金」が少ないとの批判も有る…確かに「金」はスペシャルだが、銀・銅が取れないよりマシだし、どんな種目でも何しろ銀・銅のレヴェルにリーチすれば、「金」はもう「夢物語」では無く、手の届く「目標」に為る筈だから、モティヴェイションの意味に於いても、今回の幅広い種目でのメダル獲得数の多さは、必ず近い将来「金」に繋がるだろう。

そして、ボルト…「世界最速の男」は史上初の連続2冠を成し遂げたが、今オリンピックでのボルトは何処か面白みに欠ける(笑)。あれ位の天才になると、一寸ふざけてたりした方が見ている方も面白いし、逆に記録も伸びるのでは無いかと思うのは、ワタクシだけだろうか。

今回の200m決勝でも、ボルトは最後流していたし、「世界新記録が掛かっているのに…」とか「真面目に走っている人が居るのに…」等は所詮「凡人」の云う事で、如何に陰で血の滲む様な努力していようとも、天才はふざけて見える位が相応しい。

ボルトにはリオでの「2種目3連覇」を目指して欲しいし、もっともっとふざけて欲しい(あの、人差し指と中指を下向きにチョコチョコと動かし、「走らせる」所がカワイイ!)。

さて、今日の話題…先月からホイットニー美術館で始まった「草間彌生」の回顧展だが、何しろ大入り満員で観るのも大変らしく、この間も館の前を通ったら長蛇の列が出来ていた。

それもその筈、マンハッタン中のバス停と云うバス停には、「反復するヴィジョン」柄の衣装を纏った目力満点・大写しの、まるで「アンダーグラウンド・クイーン」の如き彼女のポスターが貼られ、57丁目と5番街の角に在る「ルイ・ヴィトン」は、本人かと見まがうばかりの「等身大フィギュア」と、「再生の瞬間」のインスタレーションをメインに据えた素晴しいディスプレイで、「KUSAMA’S 『DOT』」ラインの大プロモーション中なのだから、当然と云えば当然なのかも知れない。

では、肝心の展覧会の方はどうか…筆者が行ったのは関係者オープニングの日で有った。

既に巡回したソフィア王立、ポンピドゥー、テイト・モダンでの展覧会を見ていないので何とも云えないが、ハッキリ云ってホイットニーの展示スペースは、草間のレトロスペクティヴには狭すぎた、と云わざるを得ない。

初期から最近作迄の作品が所狭しと並べられ、その上インスタレーションや写真もあの狭い空間に犇いて居るのだから、観る方も疲れるが、何しろ作品が死んでしまう。

特に初期の美しい「ネット」の作品等は、やはり空間をキチンと取ってその「無限の拡がり」を観者に感じさせなければ、その素晴らしさは到底伝わらない。

が、それでも草間作品の幾つかは、流石に、マジに素晴らしかった!

例えば1956年作の、黒バックに浮かんだ「ドットとネットの地球」の様な「No.19 H.S.W.」や「No.8 H.A.P.」、59年の白のネット「No.F」(ライマンか?)、64年制作の「Flower Overcoat」等々、草間の閉ざされた精神の深い淵から絞り出される「ギリギリの『これでもか』」には、その執拗さと何故かそれに伴う納得せざるを得ない「美」が存在し、それに非常に感動を覚える。

そしてそれ等の作品は、「ハプニング」時代やコーネルとの興味深い写真を通して、「あの時代」ニューヨークに来、生きて制作した草間彌生と云う「女性」作家の精神の本質を知る事に繋がるだろう。

また展覧会も然る事ながら、此処で忘れてならないのが、上記ルイ・ヴィトン・ショップの卓越したウィンドウ・ディスプレイと、思わず買ってしまったブレスレットや超カワイイ「カラー(襟)」等のドット商品、そしてルイ・ヴィトンがリッツォーリから出した豪華限定画集「Yayoi Kusama」で有る。

この本はニューヨーク在住の知人、後藤隆哉氏がデザインを担当した、本当に良く出来た美しい本で、ヴィジュアル中心の作りでは有る物の、エッセイを書いているメンバーもMOMAのローラ・ホットマンや京都芸大の建畠哲、Performaのゴールドバーグ等きちんとした人々なので、読み応えも充分…是非ともご一覧頂きたい。

そして最近、ダリル・ジョーンズやセシル・テイラー・ファミリー等と、何やらパフォーマンス・プロジェクトの打ち合わせに余念の無い我が家のゲル妻は、この展覧会及び書籍に因って、将来の「クサマヤヨイ化」を約束する「クサマヨイ」と為る事を宣言した。

ゲル妻→ゲルゲル妻→メルト妻→ゲル妻→クサマヨイ…進化し続ける妻を、これからも暖かく見守って行きたい(笑)。