義父の「茶碗」が伝えたもの。

7月1日に発売された「DRESS」8月号(Gift社:毎月1日発売)で、筆者に拠る雑誌新連載「アートの深層」が始まった。

小さなアート・コラムだが、毎月1人のアーティストや人物をフィーチャーして、その人物に纏わる展覧会、作品、裏話を紹介し、アラフォー女性にアート的「行動」を起こして貰える様な一寸面白い物にしたいと思って居ますので、これからも応援宜しくお願い致します!

さて、もうとっくに梅雨明けしたかの様な日本に来たのだが、何しろ今回の時差ボケは、ダイアリーの更新もまま為らない程、酷く苦しい(更新が無い為、「大丈夫か?」とのメールも頂いた:笑)。

今から思えば、5月半ばにNY-ロンドン-NY-日本-香港-日本-NYと略ひと月旅をして、やっと6月17日に帰ったのも束の間、その時差ボケも治らない侭、たった1週間のニューヨーク滞在を経て先週の月曜にサンフランシスコへ発ち、その金曜に日本に入って翌日直ぐに京都へ。そして東京に戻ったと思ったら、今はもう名古屋への車中に居るのだから、このひと月半でもう地球を何周かして居るに違いない。

酷い時差ボケの苦しさは、為った事の有る人にしか分からない…これは正直、つまりは「拷問」以外の何物でも無く、午後急に異常に眠く為ったり、夜中に2、3度起きては眠れなく為ったり、変な時間に腹が減ったりトイレに行きたく為ったり、ボーッとしたり…終いには頭痛、胃痛、筋肉痛、全身のダルさやむくみ等も併発し、気分は優れず、イライラして怒りっぽく為る(I君、ゴメンナサイ:笑)。

そう云う時は、胃の為にも余り食べない方が良い…にも関わらず(笑)、京都での大仕事の合間には行き付けの木屋町「H」に赴き、最高に美味しい鮎や蓴菜、鱧、芋茎、〆の「丸」雑炊迄を堪能し、ほんの少しストレス的溜飲を下げたが、その帰京した日に少し嬉しい出来事が有った…それが今日の本題。

昨日7月2日は、実はクサマヨイの誕生日…思えばそれも何かの縁だが、或る処でクサマヨイの父、十二代三輪休雪の作品「白萩竹筒茶盌」を観た。

さて義父のこの茶碗、実は休雪襲名の遥か前の「龍作」時代の作品で、箱裏には「昭和五十一年秋 初窯」と有る。昭和51年と云えば義父36歳時、謂わばクサマヨイと略同じ長さの、人生ならぬ「陶生」を送って来た訳だが、何と云っても茶碗としての「切れ味」がスゴい。

身内を褒めるのは気が引けるが、「休雪白」と云われるしっとりとした純白釉が、大振りな竹節型のボディに、一部焼き締めた土肌を見せて掛かるこの茶碗、その造形はドッシリとし真に力強く、個性的なうねる口辺と低い高台、何処か桃山陶の持つ野武士的な迫力と気品さえをも兼ね備えた名碗。

ご存知の方も居ると思うが、義父の作品は「ハイヒール」を始め、エロスとタナトスをテーマとした現代彫刻的なオブジェがメインだが、時折造る茶碗には「初咲盌」や「オーロラ盌」等、個性的且つ美しい作品も多い。

クサマヨイと知り合って以来、そんな作品を含め数多くの義父の仕事を拝見して来た訳だが、今回観たこの「初窯」白萩竹筒茶盌は、興味深い義父の茶陶オリジンを観たと共に、歴史有る茶陶の家の長男としての「若き『血』」を、感じ、見、触らせる素晴らしい茶碗で有った。

その豪快且つ繊細な「竹筒茶盌」で、一服頂いた。

純白の茶碗に、点てられた抹茶の緑が映える。そしてその一服を飲み干した時、何故かクサマヨイをこの世に送り出してくれた事に対する、義父への感謝の念が込み上げて来たのだ。

それは、その日がクサマヨイの誕生日だったからかも知れないし、彼女と略同じ長さを生きて来た、純白の釉と切り立った厳しい茶碗が伝える、家と義父の「造形の歴史」の所為だったかも知れないが、仕事とは云え、クサマヨイの誕生日に離れて居ざるを得なかった事への後ろめたさも、この「一碗一服」で感じた「歴史への感謝」の念で、少しだけ軽くなった様な気がした。

そしてそれは思うに、自分の周りに居て呉れて居る人が今此処で生きて居る、直ぐ側で存在して居ると云う事と、その存在理由としての「歴史」への深い感謝なので有った。

クサマヨイ、Happy Birthday !!