妄執クリスマス。

昨日のクリスマス・イヴは萩から戻り、一旦家に帰った後、妻とディナーをしに、電車に乗って代官山へと向かった。

元来、クリスマスやヴァレンタインが大嫌いな筆者は、浮かれた愚かな若者達やバカップル等が、なるべく行かない場所に居たい…と云う訳で、半年前に開いたばかりと云う、和食店「Y」へ。

此処は、筆者も行った事の有る、白金に在るご飯の美味しい店の姉妹店らしいのだが、先日友人に強く勧められたので、行ってみる事にしたのである。店内はシンプルな内装に、時折見える骨董品…旧知の古美術商の御主人がお手伝いしているとの事…成る程、である。料理はと云うと、お値段もリーズナブル、味もかなり美味しく、確かにお薦めであった!

さて「Y」を大満足で出ると、どうしようかと思った末に、最近全くご無沙汰していた、自由が丘に在る中高の同級生Dのタパス・バー「B」をふと思い出し、行く事に。

電車に乗って「B」に着くと、流石イヴの夜、久々の「B」は満席。同じく久し振りのDは相変わらず、しかし昔の「灰汁」が抜けて(笑)、より良い男に為っている…元気で何よりであった。

そして待望のクリスマス(うそ:笑)の今日は、午前中は仕事が入って居り、某所に浮世絵作品を観に行く…中々良い作品で、値段も折り合い無事ゲット!

気分良く午後からは、小鼓のお家元大倉源次郎先生に誘われ、千駄ヶ谷国立能楽堂へ。我ら夫婦に取っては、本年のお能の「見納め」、そして曲は「修羅物」と、クリスマスには持って来いである(何処が?:笑)。

超満員の場内、しかし我々は正面見所、御簾内からの観能。先ずは喜多流の仕舞「熊坂」から。塩津哲生師の舞は、非常に立派で素晴らしく、地謡に妻の友人O氏の顔が見えたのも一興。そして狂言「弓矢太郎」を挟んで、愈々梅若玄祥師シテの、「屋島」である。

さて、今回の「屋島」には小書きが付いていて、それは「弓流(ゆみなが))」「語掛(かたりがけ)」「継信語(つぐのぶがたり)」の3つである。後2つは間語りに関する物だが、「弓流」は後場の特殊な囃子の後、シテの義経が弓に見立てた扇を取り落とす瞬間に合わせて、小鼓が「ポ」の音を打ち嵌めると云う至難の技を見せ、「カケリ」で語られる内容を強調する。またこれは初めて観たのだが、シテの鬘桶と小鼓の床几とを交換して座る珍しいシーンが有り、非常に興味深かった。

玄祥師の舞は大きく、本当に素晴らしい…当代一と云っても過言では無いだろう。特に後シテが素晴らしかったのだが、玄祥師の義経の亡霊は、その面の素晴らしさも手伝って、まるで本物の亡霊が舞台に現れた様であった。もし自分がワキの役者で有ったならば、此方を睨んだり、向かって来る義経の剰りの恐ろしさにビビって仕舞っただろう、と思った程である(笑)。

「落花枝に復らず、破鏡再び照らさず、然れどもなほ妄執の瞋恚(しんに)とて、鬼神魂魄の境界に帰り、自(われ)とこの身を苦しめて、修羅の巷に寄り来る波の、浅からざりし、業因かな」

「ポ」も上手く行った、源次郎先生とのコンビネーションも万全で、誠に「見納め」と「クリスマス」に相応しい(笑)、「これぞ修羅物」の玄祥師の「屋島」であった。

メリー「妄執」クリスマス(笑)!