NOT LIKE MEDICI ! :「ハーブ&ドロシー 50X50」ワールド・プレミア@ホイットニー美術館。

ヴァチカンで「コンクラーヴェ」が始まった。

しかし幼稚園から高校迄カトリックの男子校に通い、何と聖歌隊に所属していた筆者には(同年に「未完のファシズム」の片山杜秀やゲーム・クリエイターの飯島多紀哉、2年下に俳優市川中車a.k.a.香川照之も居た、非常に濃い「聖歌隊」だった:笑)、「コンクラーヴェ」と聞いても、未だに「根競べ」としか聞こえない。

それは子供の頃、「コンクラーヴェ」と聞く度に、3日も5日も掛かる「選挙」の為に狭い密室に閉じ込められ、何故か「押し競饅頭」をしている大勢の肥った枢機卿達の、大汗をかいた顔々を何時も思い浮かべて居たからなのだが(笑)、幼少期の記憶とは誠に恐ろしい。

冗談はさて置き、あれから2年が経った…海の向こう側から、改めて犠牲者・遺族の方々に追悼の意を表したい。

が、福島は未だフィックスされず、その事を誰一人言及しない侭、無責任にも東京オリンピック招致活動が進んでいる。そして、汚染水や核廃棄物処理の見通しも無い侭原発稼働は続いているが、安倍晋三及び猪瀬直樹は、その事を世界の眼から隠し続けて居る…全く以て、何と欺瞞に満ちた指導者達なのだろう!

こう云う事をきちんとしない限り、少し位景気が良くなる云々だけでは、「真の日本の再生」は成し得ないと云う事が、彼等には何故分からないのだろうか…小手先だけの政治には、もうウンザリだ。

愚痴はこれ位にして、此処ニューヨークでは今週から愈々「Asian Art Week」が始まり、筆者の下見会も明後日からと云う事でてんやわんや…そしてそれに伴い、色々なレセプションも始まったが、その初っ端の月曜日はクサマヨイを伴い、先ずは若手目利き古美術商の柳孝一氏のギャラリー・レセプションへ。

柳氏の今春の展示は、室町水墨画や古萩茶碗、酒井抱一の珍しい虎の軸や光一の押絵貼屏風、藤原期の仏像迄見所満載…素晴らしい作品達が、集まった客達の眼を十二分に楽しませていた。

さて実はその晩、柳氏のギャラリーでの「日本古美術」レセプションに行った後には、実はもう1つのオープニング・レセプションが我々を待って居て、それは「日本食」のレセプション・・・嘗てイースト・ヴィレッジで営業して居た、京都最古の生麩屋さんで有る「麩嘉」が経営する精進料理店「嘉日」がミッドタウン・イーストに移転し、お茶の「一保堂茶舗」と組んでのリニューアル・オープンと為ったので有る。

新店舗と為った39丁目の店に行くと、旧知の「麩嘉」社長の小堀氏を始め、一保堂関係者やこの日特別に居らした「末富」の山口氏が客を出迎え、我々は美しい店内と美味しいおつまみに舌鼓を打ったが、お客さん達の中にも顔馴染みが多く、楽しいひと時と為った。

そして昨晩は、名作「ハーブ&ドロシー」の続編「ハーブ&ドロシー 50X50(邦題:ふたりからの贈り物)」のワールド・プレミアに出席する為に、ホイットニー美術館へ。

ホイットニーに着くと、先ずは佐々木芽生監督とハグをし、この日を迎えられた事をお祝いする。当初この「50X50」は制作資金が乏しく、ご存知の通り募金を募ったり、その上完成間際でハーブさんが亡くなってしまったりと紆余曲折が有ったので、この晩の芽生さんの喜びは一入だったに違いない!

「ハーブ&ドロシー」をご存知無い方の為に簡単に記して置くと、郵便局員のハーブと図書館司書のドロシー夫妻が半世紀を掛けた末、5000点にも及ぶ現代美術作品のコレクターと為るのだが、年老いた夫婦は、その内の2000点を1992年にワシントンDCのナショナル・ギャラリーに寄贈する。

が、その16年後、「1点も売らない」が信条の2人のコレクションは増え続け、1館の美術館では手に負え無くなり、各州1館、アメリカ国内50州の美術館に、50作品ずつを寄贈すると云う素晴らしい手を考えついたのが、この作品のタイトルに為って居る「50X50」の意味。

さて本作、何しろ劇中にも本人が登場するクリスト、リチャード・タトルやコスタビ、またクーンズやソル・ルィット、シンディ・シャーマン村上隆の作品、そしてユーモアとシニカルさを相持った、如何にも「コレクター」と云った風情の老夫婦は、筆舌に尽くし難い程にチャーミング。

然し何事にも「終わり」は有って、ニューヨークの1LDKの彼等のアパートの壁に所狭しと飾られた作品は部屋から姿を消し、半世紀掛けて集めたコレクションは散逸、ハーブは亡くなり、ドロシーだけがハーブの描いた絵と共に残される。

そして、このシーンを見て真っ先に思い出したのは、クリスティーズが請け負った「イヴ・サン・ローラン・コレクション」セールをテーマにした映画、「L'Amour Fou」(邦題:「イブ・サンローラン」:拙ダイアリー:「『耀かしい葬列』と『美の神殿』、そして『美の墓場』」参照)だ。

それは規模や金額、趣味や嗜好、収集方法の形は違えども、「コレクターとコレクションの行く末は同じで、一抹の寂しさが有る」と云う事で、「コレクターの死」「コレクションの散逸」とは、長く集められこれからも生き続ける美術品が、新たなる持ち主を決める迄の「仮死状態」を意味するのだ。

オークションハウス・スペシャリストとして、そう云った場面には何度も遭遇して居るので、コレクターのそんな淋しさは良く理解して居るのだが、劇中「アメリカン・アート・アーカイヴ」に保管されて居る、コレクターとしてのハーブとドロシーを紹介した新聞記事の見出しを見て、ハッとした…その見出しとは、

"NOT LIKE MEDICI".

「(彼等の収集方法は)メディチ家とは違う」と云った意味だろうが、ハーブとドロシーのコレクションの仕方は、正しく「近代的」で「情熱的」だったので有る。

上映後のQ&Aでは、ドロシーが今月26日のジャパン・プレミアの為に日本に行く事が明らかにされ、満員だった会場の全員は、小鳥の様に小さい彼女にスタンディング・オベイションを贈った。

何と無く、先日日本でお会いしたコレクターM氏の事を思い出しながら、モエ・ヘネシー(LVMH)にスポンサーされた、ほんのりと幸せな「ワールド・プレミア」の夜は、こうして更けて行ったのでした。