「オークショニア」と云う職業:「Trance/トランス」。

今日は先ず、来たる5月13日にアート・コレクターとしても知られる或る「セレブ」とクリスティーズが共催する、「チャリティー・オークション」の話題から。

その「セレブ」とは誰か…?その人物がウチの印象派や現代美術のイヴニング・セール会場に現れたとの情報が流れるや否や、社内中の女性社員と云う女性社員の姿がオフィスから忽然と消えてしまう程の魅力を持つ「色男」…そう「レオ様」こと、レオナルド・ディカプリオで有る!

レオ様が活発なアート・コレクターで有る事は、今ではかなり知られているが、彼が自然保護の為のファウンデーションを1998年に設立し、以来積極的な活動を続けて居る事を知っている人が、一体何れ位居るだろう?今回のオークションはその活動資金のファンディングが目的だが、セールで売却されるべき33人の現代美術家の名前を見ると、バンクシー、ベアード、コンド、グルスキー、ペイトン、プリンス、カプーア、シュナーベル、村上等々で豪華その物。

クリスティーズのオフィス棟から、女性社員が忽然と姿を消すで有ろう5月13日の夜…ニューヨークではその3日前の10日から、レオ様の話題作「The Great Gatsby華麗なるギャツビー)」が公開される事も有って、売り上げの方も相当楽しみな夜に為りそうだ!

では、此処からが今日の本題…公開されて以来ずっと気に為って居た、ダニー・ボイル監督の新作「トランス」をやっと観て来た。

何故この映画がずっと気に為って居たかと云うと、ジェームズ・マカヴォイ演じる主人公サイモンの職業が何と「オークショニア」、そして「絵画盗難」を中心としたストーリーらしいと聞いて居たからで、それを知った「同業者」としては、観ずには居られないでは無いか!

勇んでタイムズ・スクエアの映画館に行ったのだが、余り人気が無いのか閑散とした客席で観た本作は、1990年にイザベラ・スチュアート・ガードナー美術館からフェルメールの「合奏」と共に盗まれたレンブラント1633年作品、生涯唯一の海洋絵画「ガラリアの海の嵐」をサイモンが眺める所から始まる。

そうこうして居る内に、サイモンが勤めるオークション・ハウスのセール・ルームでゴヤの名品(「魔女の飛翔」)が競りに掛かり、2650万ポンドで落札されるが(約40億円:こう云う価格だけは、商売柄確り覚えている:笑)、ハンマーが下ろされた直後に強盗団がセール・ルームに乱入し、催涙ガスを撒くと云う場面へと続く。

そしてその場面を観て驚いた…何故なら劇中でオークショニアを務めて居たのが、筆者の嘗ての上司で現在サザビーズ・ヨーロッパ副会長を勤める、マーク(ロード・ポルティモア)だったからだ!

マークの事は以前此処に記したので繰り返さないが(拙ダイアリー:「本物の『貴族』との再会」参照)、筆者の新入社員時代に散々鍛えられた、由緒有る貴族の家の出身のヨーロッパ絵画の専門家で、ゴヤの値がドンドン競り上がって行って落札されるこのシーンは、彼が出演している故にかなりの臨場感が有る。

しかし、逆に全く以てアンリアルなシーンも有って、例えばセール・ルームの入口に設えられたセキュリティ設備等は、正直失笑モノ…あんなに厳重且つハイテクな、空港の如き防犯設備は、テロリスト対策等一切して居ないオークション・ハウスには有り得ないですから。

余談だが、嘗てクリスティーズ・ニューヨークの宝石下見会を強盗団が襲撃したが、当時のエキスパートで下見会場で客の相手をして居たHが、強盗相手に勇敢に戦い被害を最小に止めたと聞いた記憶が有る…昔のオークショニアは、何と勇敢だったのだろう!

閑話休題。その後の展開はと云うと、強奪されそうに為ったゴヤを守った様に見せかけたサイモンが、実はギャンブルの膨大な借金を返済する為に窃盗団のリーダー(ヴァンサン・カッセル)と結託し、盗みに加担していた事が明らかに為るが、頭を殴られたサイモンは記憶喪失と為ってしまい、ゴヤの隠し場所を思い出せなく為ってしまう。

怒りに燃えるリーダーは、サイモンの爪を剥がしたり、殴る蹴るの拷問を与えるが効果無く、最終的に「催眠療法」に頼って思い出させようとするのだが…と云った、現実と「催眠中」の間を行ったり来たりする、或る意味「インセプション」的な、映画的には良く出来た心理サスペンスと為って居る。

聞く処に拠ると本作はTV映画のリメイクらしいが、個人的にはマカヴォイとカッセルの両役者が好きだし(しかしカッセル、実生活でもモニカ・ベルッチの夫なのだから許せん…一寸色男過ぎるのでは無いか?)、ボイル監督との噂も出た催眠療法医エリザベス役のロザリオ・ドーソンも色気タップリ、その上編集やカット割りも流石ボイルと云える、中々良く出来た作品だったと思う。

が、映画としての出来不出来は兎も角、この作品には上にも一寸記した様に、現場の人間からすると「有り得ねぇ〜!」箇所も多く、何しろオークショニアの日常とは、拷問やら美人催眠療法師やら、拳銃をブッ放す生活からはほど遠く、何しろ地味極まりないと云うのが現実だ。

こんな007の如く、劇的でセクシー、エキサイティングな毎日だったら、もう命や体が幾つ有っても足りないが、劇中何度か語られる「素晴らしい一枚の絵画は、時に人の命に値する」と云う台詞に、「そんな訳、無いですから!」と云い切れない自分が居たりするのが、一寸怖い(笑)。

また、催眠中の主人公が夢の中で訪れる「盗難絵画の神殿」には、あの「俺が死んだら、棺桶に入れて一緒に焼いてくれ」な、ゴッホ作「ドクター・ガシェ」も展示されて居たりするのだが、云って置くがあれは「盗難」絵画では無い!あの絵はキチンと某所に保管されて居るので、誤解の無い様に…。

それに付けても本作では、「ゴヤ」の果たす役割が非常に大きい。

それは、単に金の為に盗まれた絵画がゴヤの作品だと云う事だけでは無く、その絵が「魔女の飛翔」だったと云う事が肝心で、画面上方の空中で多くの魔女に捕らえられ「知恵」を吹き込まれている男、また画面下方で布を被り、眼が見えずうろたえる男、そして耳を塞ぎ倒れる男全員が、「サイモン」で有る事は必然。

そして「近代絵画の父」としてのゴヤも、本作の中では「リアル/現実」の権化として強調され、それは劇中サイモンとエリザベスが、画集の中の「裸のマハ」の「陰毛」の存在(女性裸体画に於ける「陰毛」の存在は、近代絵画の「象徴」で有る)に就いて語った後のラヴ・シーンで、エリザベスの裸体に陰毛が無い事に象徴されるのだ。

「恍惚・失神・昏睡」と「現実・覚醒・正気」。

「トランス」はその狭間の行き来を十二分に楽しませてくれたが、繰り返すが、もしサイモンと同じワタクシの職業が実際問題こんなにエキサイティングだったら、正直、今直ぐ仕事を辞める(笑)。

そして本作を観て改めて心に誓った事は、当ったり前だが、「オークショニア」で居る内は決してギャンブルと絵画盗難にだけは加担しないと云う事…ワタクシに取っては「一枚の絵」や「一体の仏像」、「一碗の茶碗」や「一双の屏風」、はたまた「金」よりも、「命」の方がよっぽど大事ですから…。

But really ...? Are you sure ?(笑)