「正義の行使」と美術品の「在るべき場所」:"Woman in Gold (「黄金のアデーレ 名画の帰還」)。

此処の所ニューヨークは涼しく、過ごし易い。

そんな気候にも助けられ、時差ボケと上手く付き合いながら何とか1週間を過ごしたが、先週末は久々にSOHOに出掛け、友人の建築家J君と「M」でブランチ。

そしてその夜は、これ又久し振りに会う友人達と食の盟友Mの店での「肉食ディナー」の予定が有ったのだが、それ迄の時間、以前から観たかった映画を「Angelika Film Center」で観る事が出来た…サイモン・カーティス監督、ヘレン・ミレン主演の「Woman in Gold」(邦題「黄金のアデーレ 名画の帰還」)で有る。

さて本作には、ミレン演じるロサンジェルス在住亡命ユダヤ人の老女マリア・オルトマンだけでは無く、ナチスに因って彼女と運命の袂を別ったもう「1人」の女性主人公が存在する。

その「女性」こそ、早逝したマリアの叔母「アデーレ」…現在ニューヨークはノイエ・ギャラリーの壁に掛かる大名作絵画「アデーレ・ブロッホ・バウワーI」に、その類稀なる美貌の肖像をクリムトに拠って描かれた女性だ。

この「アデーレ・ブロッホ・バウワーI」と云う美し過ぎる絵画に関しては、以前此処に記したダイアリーを読んで頂きたいが(拙ダイアリー:『「Adele」との再会』参照)、ナチスに略奪され、戦後オーストリアに戻された後も長い間ベルヴェデーレ宮殿に展示されて居たこの絵画が、正規なオーナー・ファミリーで有るマリアの元に戻る経緯は当にエキサイティングで、シネマトグラフィークなので有る!

が、僕が本作でこの絵画の返還経緯に就いて初めて知った事も、実は幾つか有る…例えば、ライアン・レイノルズ演ずる本件の弁護士だったマリアの友人の息子の名が「ランドル・シェーンベルク」で、彼が交響詩ペレアスとメリザンド」で著名なオーストリア生まれの亡命現代音楽家アルノルト・シェーンベルクの孫だった事もその1つ。

この事実は非常に興味深くて、依頼人・弁護士の両者共がオーストリアからアメリカへの亡命家族だった事、そして芸術的出自(音楽家・芸術愛好家)を持って居た事が、誰もが不可能と思って居た『オーストリアの「モナ・リザ」』の個人への返還と云う、「奇跡」の原動力と為ったに違いない。

また返還決定が下される迄に、何と6年もの歳月がアメリカとオーストリアでの裁判に費やされた事…2000年にアメリカで裁判をし始めた時のマリアは既に84歳で、返還決定時は何と90歳。そのマリアは2011年に94歳でその生涯を閉じたのだが、マリアと云う女性は如何に正義感に満ちた、そしてパワフルな女性だったのだろう!

さてこの作品を観て改めて思ったのが、美術品の「在るべき場所」の事。この事は今迄何度も考え、色んな処で書いたり喋ったりして来たけれど、僕自身未だきちんとした「答え」は出ていないし、そもそもそんな「解答」等存在しないのかも知れない。

が、例えばこの映画に描かれた「返還」話が、実際に起きた「オーストリア政府から」と云うよりも、「ナチスから」的ニュアンスが色濃く出て居た様に思えたのも、所謂「映画」だった所為だろうか?

でもその答えだけは明快で、詰まりはオーストリア政府は何もマリアの叔父から「略奪」した訳では無く、「略奪」したナチスから「奪還」した後、所有者の遺言通り(…と云っても、実は「甥と姪に残す」と云うマリアの叔父に拠るもう1通の遺言書が存在した為、マリアに返還されたのだが)ヴェルベデーレに収蔵したからで、「悪意」等全く無い「善意の第三者」で有ったからだ。

では、因みに大英博物館ルーブルの所蔵品だったらどうか?と聞かれれば、ウーム、そう問われれば、両館の収蔵品は『「略奪」史の結果』と云えなくも無い…が、今の所それが大きな問題に為らないのは、恐らく「過去の正式なる所有者」が既に「個人」では無く、「民族」で有ったり「国家」に為って仕舞って居る事にも拠るだろうし、「略奪」時の物的証拠が無いからとも云えるだろう。

そしてこれも僕が毎回云っている事だが、『美術品が「破壊」されず、世界の何処で大切に保管されて居るならば、何処に有っても構わない』…「消失」と「流失」は、全く事情・次元が異なるので有る。

その意味でこの「Woman in Gold」は、その事を僕に再確認させて呉れた訳だが、後2点程記して置きたい事が有る。

先ず如何にユダヤ人迫害に因ってアメリカ亡命をした元自国民の訴えとは云え、オーストリア政府が『オーストリアの「モナ・リザ」』とも称される「アデーレ」を手放したと云う驚愕の事実。

変な話、若し「ミロのヴィーナス」がフランス海軍提督に拠ってトルコ政府から購入されたのでは無く盗まれた物だったとして、トルコ政府から返還要求が有ったなら、ルーブル及びフランス政府は返却するだろうか?…云ってみれば「ナチ略奪絵画返還」への容赦無い追跡調査は、ヨーロッパ各国に於ける「ナチス」に対する報復と粛清、そして「戦後」が未だ終わって居ない事の証なので有る。

そう考えると、「戦後直ぐ、祖父が大事にして居た狩野元信の軸をアメリカ軍兵士に拠って略奪された!」とか、「寺宝の定朝派の仏像を、アメリカ兵が勝手に持って帰った!」とか云う訴えが、その内日本の何処からか起こるかも…それ位日本人もアメリカに対して根性が有ればと思うが、敗戦国民からそんな訴え等起る訳も無いか(苦笑)。

そしてもう1点は、計5点のクリムトの絵画を返還されたマリアがそれ等を美術館等に寄贈せずに、結局は「売却」したと云う事だ。

クリスティーズがこの5点の売却に深く関わったので(「アデーレI」はノイエ・ギャラリーへの仲介、「アデーレII」他残り4点はオークションに掛かった)、社員的には文句等有る筈も無いのだが、如何に数多の慈善団体に寄付をし、死後遺族に遺産を残したとしても、5枚のクリムト絵画の売却に因って、90歳で3億2500万ドル(当時約374億円)を得た当時のマリアの心境はどうだったのだろう…と僕は想像する。

が、それと同時に、マリアと彼女の家族に取っては、その膨大な額のお金が単なる「売上金」等では無く、半世紀以上の時を経てナチスから「本来在るべき場所」と「持ち主」に支払われた、或る意味「70年分の絵画の不正貸出・保険料」と為ったで有ろう事も想像に難くない。

「Woman in Gold」本編が終わり、エンド・タイトルロールが流れ始めたので席を立とうとした時、僕の居たアトリウムでは、観客席から拍手喝采が巻き起こった。

それはニューヨークに居るユダヤ人と、無理難題と知りながら「正義の行使」を叫んだマリアとシェーンベルク、そして彼等の「不屈の勝利」に対する物で有ったに相違無い。

ミレンとレイノルズの名演と美しき「アデーレ」を堪能出来る上に(ノイエ・ギャラリーで、本物の「アデーレI」に会う事もお忘れなく!)、「美術品の本来の場所」に就いて想いを馳させられる「Woman in Gold」…是非ご覧頂きたい。


追記:クリスティーズが2006年に8790万ドル(当時約101億円)で個人コレクターに売却した「アデーレII」も、現在MOMAで公開中なので是非!