ニューヨークで、現代日本文学を。

重要アプレーザルの制作に苦しむ中、ダウ平均株価が1日の途中とは云え、史上初めて1万5000ドルを付けた。

雇用状況改善等が原因らしいが、ニューヨークで来週から始まるメイン・セールズ(「印象派・近代絵画」と「現代美術」)での落札価格にも、期待が出て来ると云うモノで有る。

また、最近根津美術館に行った友人からの情報に因ると、嘗て筆者のオークションに出て、日本に里帰りした尾形乾山作「錆絵獅子香炉」が、現在館で公開されて居る様だ。

この作品に関しては、観た後でも観る前でも、拙ダイアリー:「我輩は『香炉』で有る」を是非ご参照頂きたい…少々おちゃらけて居るが、この作品は実際非常に面白い来歴を持って居る作品なので、実物を観ながら「日本美術品の流転」を実感する事が出来るだろう。

そして今日はもう1つ、日本が憲法記念日だった事も有って、友人の渡辺真也君が以前企画した、元GHQ憲法草案制定会議メンバーとして日本国憲法の、特に「人権条項」の草案執筆をした事で知られる、ベアテ・シロタ・ゴードンさんのインタビューを此処に掲載したい(→http://www.shinyawatanabe.net/atomicsunshine/BeateSirotaGordon/)。

このインタビューは、昨年末亡くなったゴードン女史が2007年の4月に受けた物で、インタビュアーは伊藤剛氏。渡辺真也君が企画した骨太の展覧会「アトミック・サンシャイン」、そしてアジア・ソサエティで開催された「憲法第9条」に関するシンポジウム等、安倍政権が振り撒くキナ臭い香りが漂う今、今一度「現行憲法」を考えるのに、この5時間に及ぶインタビューが与える示唆は大きい…此方も是非ご一読頂きたい。然し真也君、本当に良い仕事をしました!

そして、此処からが今日の本題…昨日「家お昼」に、パンケーキの王者「ホテル・ニューオータニ・ホットケーキ・ミックス・バニラ風味」を食し大満足した後は、Asia Societyで開催された文学トーク・セッション、"Monkey Business: Japan/America Writer's Dialogue" にお呼ばれ。

このイヴェントは、アジア・ソサエティ国際交流基金の共催で、東大教授で翻訳家、文芸誌「モンキー・ビジネス」の代表者の柴田元幸氏を中心に、日米の文学者6人がトークをする内容と為って居て、その注目のパネリストは日本から柴田、作家高橋源一郎歌人石川美南、アメリカ側からは翻訳家のテッド・グーセン、詩人チャールズ・シミック、そして作家ポール・オースターの各氏と云う、豪華な顔触れだ!

8階の会場に着くと、「次回開催は、恐らくオーディトリアムに為るだろう」とのアジア・ソサエティのディレクターに拠るスピーチが有った程の満員御礼…現代日本文学への関心の高さが窺える。そしてセッションは、モデレーターのグーセンに拠る石川、シミックの両詩(歌)人の紹介を経て、先ずは「詩」のセクションからスタート。

石川の浦島太郎にインスパイアされたと云う歌集「裏島」、シミックのジョセフ・コーネルのアートを題材とした詩が、各々本人に拠って朗読されたが、その後2人に拠って交わされた「箱と音数」と云う「リミットと規範」に関するディスカッションが興味深かった。

そして今度はモデレーターの柴田、高橋とオースターが登場し、「小説」のセクションと為る。

此方も、高橋に拠る「さよなら クリストファーロビン」の朗読(英訳版)と、オースターの新作「ファーガソン」からの朗読を経てトークが行われたが、此方はオースター・高橋両氏の話術の匠さ爆発、非常に面白く拝聴した。

しかし「シティ・オブ・グラス」が日本で出版された際、何故か「『なんとなくクリスタル』のニューヨーク版」的な作品と勝手に思い込んで買って読んだ為、ポール・オースターと云う人には長い間勝手にバブルっぽいイメージを持って居たのだが、実際会って見ると非常にカッコ良くセクシーな男で、話も面白く、隣に座って居た某国際機関の女性等は、終始目をトロンとさせて居た程だ(笑)。

閑話休題。そのオースターに拠る「朗読」後のディスカッションの中に、気に為ったサブジェクトが有って、それはオースターの「アメリカでの外国文学の割合は、たったの『3%』に過ぎない」と云う発言で有った。

此れを「当然英語を母国語とするアメリカの事だから、理解出来ない事は無い」と云うのは大間違いで、「映画」に於いても当に同じ状況だと考えれば、アメリカの外国文化への関心の低さは、只事では無い(その点、日本は素晴らしい)。

しかしこの状況の裏には、当然「商売」が絡んでいる訳で、文化だろうが何だろうが「売れない物は、売らない」と云った、アメリカのハッキリとしたキャピタリズム文化政策の顕れでも有るので、尚更業が深いのだが、この状況は現代日本文学に就いても同じで、会場でロシアやイタリアの出版関係者が云って居た様に、ヨーロッパではより多くの日本人作家作品が翻訳されている事を考えれば、明らかだろう。

アメリカで翻訳されて居る日本人作家作品は少ない…近代では芥川龍之介永井荷風川端康成井上靖谷崎潤一郎太宰治三島由紀夫安部公房司馬遼太郎と云った処だろうが、現代ではこんな感じで有る(→http://flavorwire.com/175218/contemporary-japanese-writers-you-should-know)。

当然個人や人種的な趣味も有るし、純文学やエンターテイメントの好まれ具合も有るだろうが、しかしハッキリしているのは、クオリティの高い現代日本文学の多くが英訳されて居ないと云う事で、そしてその最大の理由は「商売」も然ることながら、「翻訳」の難しさに有る。

それは英訳されて居る作家が、村上春樹に代表される「英語に翻訳され易い作家」作品が多い事でも明らかだが(村上春樹の文体は、当に翻訳小説のそれでは無いか!)、しかし昨日のディスカッションでのグーセンの発言に、その解決のヒントが有った。

それは彼が「貴方は、『短歌』と云う『5・7・5・7・7』の音数の制限が有る詩を翻訳する際に、最も重点を置いて居る処は何か?」と云う聴衆の質問に答えた物で、「元来アメリカに無い『音数』を考えても仕方が無い」のだから、「感性と、英語の詩的アクセントを考える」と云う事だ。

此れは筆者が、例えば「太田蜀山人の『狂歌画賛付き』の肉筆浮世絵」をカタログする時に、その狂歌を英訳せねば為らないと云う悩みの共通した解決法なのだが、これがまた大変に難しい…アメリカに於ける「現代日本文学の行方」は、単に優秀なる翻訳家の育成に掛かって居るのかも知れない。

イヴェント終了後は高橋氏(日本美術ライター、橋本麻里さんのお父上でも有られる)や、ロックフェラー大に留学に来られたばかりの福岡伸一先生(拙ダイアリー:「『寝たきり男』の濫読」「年末年始の『麻薬的』読書感想」参照)等にご挨拶。

帰りのタクシーの中で「そう云えば…」と、先日行われたのクサマヨイのパフォーマンスの際に隣同志に為った、父親にインド人の学者、母親にユダヤ人の音楽家を持つ、マンハッタン音楽院卒のアクターAと知り合った事を思い出した。

そして、その時にAと最初に交わした会話の話題が、彼が極く最近読了したと云う川端の「雪国」だった事を考えると、現代日本文学はアメリカで、いや少なくともこの日オースターがいみじくも語った、「文化・宗教・経済・人種が分け隔てなく集結している、世界でも稀なる場所」で有るニューヨークでは、大いにチャンスが有るに違い無いと、心を強くした孫一だったのでした。

PS:因みに「雪国」の有名な冒頭「国境の長いトンネルを抜けると…」は 、英訳版では "The train came out of the long tunnel into the snow country." で有る…この翻訳をどう思われるだろうか?