心優しき人々への謝辞。

数日前に、香港出張から戻った。

しかし筆者の香港滞在中に強行された、「秘密保全法」の採決は余りに酷い…これで安倍首相と自民党が「戦前に回帰」を目指して居る事がハッキリしたが、平和ボケの日本国民よ、本当にこれで良いのか?全く以ってイライラする。

そして到着した日本では、もう1つ吃驚するニュースが…堤清二氏の死去で有る。

堤氏に関して詳しい説明は要らないと思うが、自身も谷崎潤一郎賞高見順賞等を受賞した文学者で有った氏のアート分野での功績は、セゾン文化財団等の文化事業・メセナに為らず、一般人に取っての例えばファッションに於けるDCブランドの「パルコ」やオリジナル・ブランド「無印良品」、アートに於ける「西武美術館」「セゾン美術館」、舞台芸術の「パルコ劇場」や「銀座セゾン劇場」、オーディオ&ヴィジュアルの「六本木WAVE」や本屋の「リブロ」、出版の「パルコ出版」や「リブロポート」迄、アートの数寄者なら、直接・間接的に堤氏にお世話に為った事の無い者等、居ないのでは無いか。

個人的にお会いした事も有るが、堤氏は全く偉ぶらない、知的で穏やかな方で有った。そして氏の逝去を知った後の、余りの喪失感の大きさに我ながら驚いて居るが、堤氏のご冥福を心よりお祈りすると共に、氏の様に文化教養豊かでチャレンジ精神旺盛な、若き財界人の登場を切望する。

さて、そんなイライラと旅の疲れや喪失感を癒し、助けて呉れたのが、ここ数日間会って居た、筆者に取って大事な「心優しき人々」で有った。

暖かかった香港からの帰国便は、寒空の羽田に夜7時過ぎに到着…そしてダッシュで自宅に荷物を置きに帰った後向かった先は、「おーい、M君」、もとい、かいちやうの茶室。

前回お会いしてから3ヶ月も経って居る事にお互い驚きつつも、早速茶室に入ると、灯りが落とされた茶室には燭台が灯され、床にはご先祖様所縁の消息と花入が…。

温められた美味しい「お豆」の饅頭を頂くと、茶の緑が映える現代的なデザインの沓茶碗が運ばれる。その茶碗を掌に包み込み、美味しいお茶を頂くと、未だ中国に少し残っていた意識がグイッと日本に引き戻され、ホッとした。

もう一服頂き、目を疑う渡来大名品を拝見しながら語らった「茶碗」の展覧会(拙ダイアリー:「『パブロフの犬』的名碗観賞」参照)や業界四方山話は、その後の代官山での食事でも続き深夜に至ったが、非常にリラックスした一夜と為った。

その翌日、オフィスに顔を出した後向かったのは「箱根」…先月開館したばかりの岡田美術館の館長に為られた、日本美術史家小林忠先生を訪ねる為で有った。

新幹線を小田原駅で降り、紅葉が見える山間をバスに揺られる事45分…「小涌園」のバス停の真ん前に位置する岡田美術館は、「ユニバーサル・エンターテイメント」会長の岡田和生氏が光琳の屏風との出逢いを切っ掛けに蒐集を始めた、日本・中国・韓国の名品を展示する、近年では稀に見る大規模な私立美術館で有る。

相変わらずお元気そうな小林先生に迎えられ、一緒に展示室を歩き始めたが、先ず驚くのは建仁寺宗達風神雷神図」を再現した、福井江太郎作大壁画「風・刻」だ!この「12 x 30m」と云う恐るべき大きさの画面に、「真鍮箔ウレタン塗装地アクリル彩」で描かれた風神雷神は、しかし良く描けて居てそのクオリティにも驚く。

展示は埴輪と中国陶磁器から始まるが、何しろ広大な展示場に並ぶ名品に目が泳ぐ。1Fの中国陶磁器 セクションは、香港帰りの筆者も目を見張るラインナップで、例えば個性的で魅力的な磁州窯の掻落や、美しい龍泉窯の青磁双耳瓶達、ピリッとした元明の景徳鎮染付、「今マーケットの出たら幾らだ?」と考えてしまう清朝の色鮮やかな陶磁器(特に雍正年製の「粉彩団蝶文碗」一対や、乾隆年製「豆彩八吉祥唐草文天球瓶」等!)は、日本橋の有名古美術店「K」の眼の証明でも有る。

朝鮮陶磁器は未だ数が少ない…が、今中国で人気の素文高麗青磁や掻落黒高麗、白磁大壺等が見処。そして階を上がり、日本セクションへと足を運ぶ。

土偶から始まる2Fの日本陶磁器セクションは、青手古九谷や鍋島の数々、柿右衛門の逸品、重文仁清や乾山等の観賞陶器が並ぶが、このフロアーで最も目を惹くのは矢張り横山大観の大名品「霊峰一文字」だろう。

この文楽人形遣いの為の、約9mに及ぶ元「幕」の画巻に描かれた富士は、大阪文楽座の総座頭だった義太夫、三世竹本津太夫の病気快癒を祝っての復帰舞台を飾った作品だが、危うく大正15年の文楽座の火事で焼失する所、その直前に次の公演地に持ち出されて居て助かったと云うが、何しろ素晴らしい作品だ。

続く3F、4Fは掛軸や屏風等の日本絵画の展示室で、光琳を始めとする琳派文人画、北斎等が並ぶが、その中でも驚いた作品は狩野元信作「四季花鳥図屏風」や柳澤淇園の「彩竹図」…プラス、「修学院図屏風」や曾我直庵の「瀟湘八景図屏風」、酒井抱一の「調布玉川図」や歌川豊春の「隅田川納涼図」等、懐かしい作品に会えて、再び吃驚。

最上階は小さい仏教美術のセクションだが、重文「木造薬師如来坐像」や鎌倉期の四天王像等名品が有り、見終わった時には溜息が出る程見応え充分な展覧だったが、その名品の数々を館長と観ると云う、誠に贅沢な時間を過ごさせて頂き、ラッキー至極…この岡田美術館、必見の美術館なので、是非訪ねて下さい!

そして昨晩はと云うと、現代美術家氏とギャラリスト女史のお二人と、氏デザインのお洒落な和食店で夕食。

「世界の終焉」や、年末のカラオケ大会等を肴に美味しい料理を頂いた後、我々は氏の行き付けの超昭和な「スナックS」に場所を移し、常連客のシャンソン歌手や、自民党の石破幹事長そっくりの為、即席で「幹事長」と命名された(笑)、ムード歌謡にピッタリの歌声を持つ不動産屋氏等とカラオケ三昧。

そして日付も変わり、スナックSに入ってから凡そ2時間半後の事、「じゃあ、そろそろ…」と皆で席を立った時に、その事件は起きた…ワタクシの「印伝」の財布が見当たらないでは無いか!

真っ青に為り、ジャケットやコートのポケットを探し捲ったが、矢張り見つからない無い。こりゃ、タクシーの料金を払い降りた時に、車内か道に落としたに違いない。早速道に出て探したが、それから2ー3時間も経っている路上には、当然財布の影も形も無く、タクシー会社に連絡しても埒が明か無い。

それにしても大問題は、財布に入って居た些少の現金では無く、個人や会社のクレジット・カードや免許証、そして極め付けはアメリカの証明書類…筆者が青く為ったのも理解出来るだろう。

が、その時にマスターが発した一言、「この先100m位行った所に、交番が在るよ」に導かれ、項垂れた筆者は氏と女史に付き添われ、その交番へと向かった。

そして、恐る恐る夜勤の警官に「財布の落し物が届いて無いか?」と聞くと…何と、届いていたのだ!

残念ながら現金は抜かれて居たが、カード類は全て無事で一安心。不幸中の幸いとは当にこの事だったが、それから書類を制作し財布を返して貰う迄、氏と女史にはまるで迷子に為った子供の両親の様に付き添って頂き、その上タクシー代迄貸して頂いた…もう感謝の言葉も無い(涙)。

現代美術家氏とギャラリスト女史と別れ、深更に及んだ帰りのタクシーの中で戻って来た「印伝」を握り締めながら、ここ数日間に会った心優しい茶の湯者、美術史家、ギャラリスト、アーティストに、そしてこの「人の御縁」を与えてくれた神仏に、心からの謝辞を捧げた孫一なのでした。

それにしても…あぁ、助かった!