「価値の基準」。

今日のニューヨークは、再びマイナス7度…寒さも好い加減嫌にして欲しいが、昨日のハーレムのビル倒壊の被害に会った人の事を考えれば、文句は云えない。

さてこの間、朝起きて何時もの様にNBCの朝番組を見ていたら、いきなり佐村河内守氏が画面に出て来て驚いた。

この人(或いはゴースト・ライター氏)の交響曲「HIROSHIMA」は、ANA二ューヨーク便のオーディオ・プログラムにも長い間入って居て、 全編聞いた事も有るのだが、「機内で出会ったアート」に関して良く書いて居るのにも関わらず、この曲に関して書かなかった理由は、単に個人的に好きな曲で無かったと云うだけだ。

NBCの番組では、画面に「Faked Japanese Beethoven」と云うキャプションが付いて居たが、この話題はニューヨーク・タイムズと全米キー局で話題に為る程の、世界的「トンデモ話」なのだろう。

が、画面を見ていたらムズムズして来て、それは何故かと云うと、ネルソン・マンデラ氏の告別式イヴェントでの「インチキ手話通訳」と共通する、「そんな事が、何で分からなかったのか?」と呆れ嘲笑されて居る様な気分に陥ったからで、日本人として恥ずかしく為って仕舞った…。

それは情(耳が聞こえない)に流され、人や物事を冷静に見極める事の出来ない国の、特にメディアの質の低さ、そしてそのメディアを信用し切っている国民のリテラシーの低下に、「騙される」理由が有るからだろうと思う。

また「STAP細胞」の一件でも、「別の論文の画像と酷似して居る」、或いは「当事者の博士論文が、米国立衛生研究所の冒頭文のコピペだった」と云った後出の話は、如何に審査する側が徹底して居なかったかと云う事実を証明したに過ぎない。その点「ネイチャー」誌も悪いが、日本に「ネイチャー」を超える科学誌が有って欲しいとも思うし、理科研もその責任からは逃れられないだろう。

だが、この様に音楽界でも科学分野(未だ結論は出て居ないらしいが)でも、「大騒ぎして持て囃した末に、インチキだった」と云う結末が世界に報道される国とは、如何な物だろう?

さて時の流れに手立ては無く、「3.11」から早や3年が経った。

未だ26万人が避難生活を強いられているのに、アベノミクスもオリンピックと大企業の方だけを見て居て、金も人も復興に回されて居ない様だ。そしてそのアベノミクスの失速も甚だしく、相変わらずの「バラマキ・オンリー」の旧態依然とした遣り方で、未来を見つめる指針も見えない。

そして福島第一は未だフィックスされず、「undercontrol」の欠片も無い。序でに「武器輸出三原則」も撤廃され、今度は「防衛装備移転三原則:国際的平和と安全の維持を妨げる事が『明らかな場合』は輸出しない」と来た。

と云う事は、「明らかで無い場合は輸出する」訳だから、幾らでも「明らかではない」と総理お得意の「拡大解釈」が出来る訳で、これも当に佐村河内事件やSTAP細胞、そして福島のフィックスと共に、「大騒ぎした末に、実はインチキだった」と為る可能性が非常に高い。

序に、東京五輪組織委員会の理事に秋元康氏が就任とのニュースが…開会式のプロデューサーに決まった訳では無いらしいが、これで決まって仕舞ったら本当〜にガックリ。

全く以ってウンザリする話ばかりだが、此方は愈々明日から春の「Asian Art Week」の下見会が始まる。

「The Sublime and the Beautiful: Asian Masterpieces of Devotion」のカタログも漸く刷り上がって来たが、素晴らしい作品ラインナップと共に、各方面から賛辞の電話やメールを頂く程美しい出来映えで、我ながら鼻が高い。

美しく気高い、2-3世紀のガンダーラ菩薩像彫刻(その昔、銀座の某有名画廊のショウ・ウィンドウに、長い間飾って有ったのを覚えている方も居るだろう!)から始まり、インド、チベット、中国、韓国、そして日本の各地各年代からの、仏教・神道ヒンズー教チベット密教道教等の美しい彫刻、絵画、経典、工芸を経るこのセールの「最終ロット」は20世紀、1995年制作の「或る作品」で幕を閉じる。

その作品こそ、このカタログの冒頭に特別エッセイ「価値の基準」を寄稿して頂いた、現代美術家杉本博司氏に拠るユニーク・インスタレーション「Sea of Buddha」(エスティメイト:20万ー30万ドル、→http://christies.scene7.com/s7/brochure/flash_brochure.jsp?stateid=1394639457x205615)だ!

このインスタレーションは、リトグラフ1点と6点のシルバー・ゼラチン・プリントが横並びで構成されるが、その中央に置かれるのがリトグラフ作品の「Chuson」だ。

この「Chuson」とは、三十三間堂の「中尊」の事…そしてこの「中尊」作品は、世界にたった2枚しか存在しない。このインスタレーションに使用された個人蔵の物以外には、杉本氏本人が軸装した物しか無いと云う、非常に貴重な作品なので有る。

そしてインスタレーションは、この「中尊」の左右に「仏の海」シリーズからの3枚ずつが並ぶのだが、この「仏の海」シリーズも杉本氏自身が選んだ物で、実際の三十三間堂の観音像の並び方と同じ順番と為って居る、静謐で超美しい作品なのだ!

さてこの「Sublime」セールを企画した者として、最初から思って居た事が有る。

それは、我々がオリジンを持つアジアには、長い歴史の間異なる宗教が共存し、人々の深い信仰心が美しい「信仰の美術」を産んで来た。そして我々はそれ等を慈しみ、今迄大切に保存して来訳だが、その我々の代表として、世界的現代美術家、また現存する日本宗教美術の大コレクターとして名高い杉本氏に登場願え無いか、と云う事で有った。

そして、氏がコレクションする宗教美術品からインスパイアされて産まれた作品の中でも、この「Sea of Buddha」シリーズは、自身がコレクションした作品へのクオリティーでの挑戦で有ると共に、或る意味「再制作」でも有るのでは無いか…そんな考えを持って居た。

杉本博司氏は、上記エッセイ「価値の基準」で、こう述べて居る(全文はカタログ参照)。

「私のコレクションは私の師であり、また想像力の源泉でもあるのだ。」
「私は私の作品を私のコレクションのレベルにまで、少しでも近づけたいと思う。その思いが私を鼓舞し、切磋琢磨させ、作品を高みへと導いてくれるように思うのだ。」
「時に埋れてしまった『価値』、その『価値』を再び見出し、その『価値』を自作に体現するそれが私の現代美術なのだ。」

当にその通りなのだろう、と思う。そしてこのセールに出品されている全ての重要な古美術作品が、制作された当時は「現代美術」で有った様に、記念碑的な今回のセールの為に作られた、世界に1点しか無いこの気高いインスタレーション「Sea of Buddha」も、将来の「価値の基準」に為るに違いないと筆者は確信して居る。

このセールの下見会は金曜(14日)から、そしてセールは来週木曜20日(レギュラーの日本・韓国美術は18日)。

新しい「価値の基準」の誕生を、楽しみに待ちたい。