「秘宝」の様な喫茶店。

梅雨入りした日本での仕事も、関西や中部、関東とあっち行ったりこっち行ったり…そんな移動の為の新幹線に乗る前に、駅の売店で雑誌「BRUTUS」を買った。

それは何故なら、その号の特集が「喫茶店好き」だったからで、高校生の始め頃初めて友達と、或いは1人で「喫茶店」為る場所に行き始めて以来、「喫茶店好き」を自認して居るからだ。

僕の「喫茶店遍歴」を此処に少しクロノロジカルに挙げれば、通って居た高校の近所に在った「避難場所」(つまり「サボり場所」)だった飯田橋の「かんてら」、「喫煙所」だった代々木の「サンモリッツ」や、同じく代々木のデート・スポットだった「赤い三角定規」も懐かしい。

大学生時代だったら、1人暮らしを始めた御茶ノ水界隈の「LEMON」や「PAN」(此処のマスターは、何と「赤い三角定規」のマスターだった人だった!)、渋谷の「待ち合わせ場所」なら「人間関係」、「Ma Vie」や「バック・ページ」、デート・ケーキ用なら広尾の「ル・プロッテ」や「ドゥリエール」、六本木の「F」や「ストロベリー・ファーム」(通称「ストファー」)、青山の「フィガロ」や乃木坂「カプッチョ」、実家の近所なら国立の「ロージナ茶房」。

また大学生〜社会人になってからは、恵比寿の「パパス」や白金「ブルーポイント」(バブルの象徴だ!)等、もう枚挙に暇が無い。

が、それよりも何よりも、僕の青春期から50代に為った現在に居る迄、一貫して通っている喫茶店が有って、此処こそ僕の「喫茶店」なのだが、先ずこの店は喫茶店と呼ぶよりは「珈琲屋」と呼ぶべき店。

その珈琲屋は都心の片隅に在る、緑とテラスに囲まれた物凄く「味」の有る一軒家で、くすんだ壁の額絵やアール・デコの置物も、マスターが選んだ時にはジャズ、時には沢田研二、時にはAORと、店内に流れるバラエティに富んだ音楽も、吟味され尽くされた物ばかりだ。

そして、独特な雰囲気のマスターの淹れる拘りの珈琲の味も然る事ながら、デザートと食事の味も超素晴らしいのだから、堪らない。

そのデザートとは、可愛らしい女性店員が作るカリッサクッのシフォンケーキや、コッテリ南瓜のプリン、ブルーベリー・ソースの掛かったふわふわレアチーズ・ケーキや、出来立て熱々ココナッツ団子。

食事とは、コクの有るハヤシライスや、日本一旨いチキン・ドリア、定番クロックムッシュやお代わり必須のシナモン・トースト…どれもこれも素材から吟味され、驚嘆の唸り声を出さずに居られない程に、美味しい。

が、この店は今回の「BRUTUS」には出て居ない。

それはこの店が「電話禁止」「パソコン禁止」「インタビュー禁止」等の禁止事項が多く、序でにマスターが取材嫌いの偏屈だ(と思って居る人が多い)と云う事が大きな理由だと思うが、然し世の中には、公的に人の目に触れさせたく無い、触れさせるべきでは無い物が確実に存在して居て、それは喩えれば決して展覧会に出ない美術品の大名品、或いは「秘宝」の様な物。

その上、この店のマスターは只者では無い…客として来る人とその人の人生の紆余曲折、世の中の森羅万象を30年以上に渡って眺め続けて居る彼の眼差しと言葉は、或る時は厳しく、或る時は優しく、客を迎え、突き放す。

そしてこの珈琲屋に客としてやって来る、現役大リーガーや美人女優、カリスマ俳優やロック・ミュージシャン、有名演歌歌手、社長、親分、デザイナー等も一般客と同様に扱われ、時には彼のその厳しい言葉や眼差しを受け止めねば為らない。

「秘宝」の様な喫茶店…そう、此処は実在するにも関わらず、何処に在るか分からないユートピア、いやニルヴァーナで有り、知らされざるパラダイスなのだ。

明日僕は、再びその「楽園」を訪ねるに違いない…日々の疲れを忘れ、乾いた喉を潤し、空腹を充し、そして「秘宝」に触れる為に。