或る日本家庭料理店への謝辞。

此処の処、めっきり寒く為ったニューヨーク…と云いつつも、最近は28度有った日も有ったのだが、此方はと云うと、戻って来て以来坐骨神経痛が悪化し「鍼」に通う日々。

僕の坐骨神経痛は日本滞在中に酷くなったので、東京では大学病院に行ってMRIやらX線やらを撮って診察をして貰ったのだが、骨等には異常が無い上にヘルニアでも無く、医者からはストレッチの勧めと鎮痛剤を頂いて帰って来た。

が、西洋医学にも限界は有る…そこで、以前にも診て貰った鍼の先生を訪ねた。その先生はミャンマー生まれだが日本に帰化したK先生で、エディ・マーフィーが主演した映画「ゴールデン・チャイルド」のチャイルドがそのまま大人に為った様な人(笑)。

お坊さんの様な風貌で非常に小柄なK先生は、かなり大柄な僕の顔や背中、手首や足首、腰やお尻に鍼を刺して「ヘルレイザー」状態にした後、電気を通して部屋を暗くして安静にと寝かせて呉れるのだが、通電中の合間には何時も様子を見に来ては「大丈夫ですか?」と抑揚の無い静かな声で僕に尋ねて呉れる。

そんなK先生のこの抑揚の無い冷静な話し方は、何時も僕を安心させて呉れるのだが、今回のK先生の治療も日に日に効果を発揮し、坐骨神経痛も少しずつ良く為って来た気がするのだが、実はそれはK先生だけのお陰では無い。もう2人、経絡マッサージのEさんと、最強アロマを注文して呉れた友人の彼女Rさんの力も大きい…皆んな、有難う!

そんな中、余りにショックなニュースが2つ飛び込んで来た…先ず僕のヒーロー、平尾誠二氏が亡く為って仕舞った。

僕はラグビーをやった事も無いが、2人とも明大出身だった親譲りで、若い頃から生でもテレビでも試合を観るのは大好きだった。そんな僕の大学生当時、同志社大に居た平尾選手と大八木選手は僕の密かなヒーローで、それ迄早明戦に代表される様に関東が独占的に強かった中で、関西の大学が3連覇を成し遂げた所等、同じ様に大好きだった阪神タイガースと被って居た。

若い時から平尾選手は何しろカッコ良くて、爽やかでクレヴァーで、神戸製鋼に入ってからも強くて、とても僕と同い年とは思えず、「世の中には、本当に強くてカッコ良い人が居るものだなぁ!」と思ったものだ。然し53歳での死は早過ぎる…「Mr. Rugby」のご冥福を心より祈りたい。

そしてもう一つの悲しいニュース…此方が今日の本題。

さて、僕の住む街ニューヨークが世界の他の都市と比べて何が良いかって、それは「食」では無かろうか。然も日本食レストランと日本食料品店のレヴェルの高さと種類の豊富さは、恐らく日本以外では最も優れて居る、と云って良いと思う。

そんな街ニューヨークに僕が「今回」住み始めたのは、丁度2000年…なので、もう16年半も住んで居る事に為るが、実は今から四半世紀程前に、1年間のロンドン生活を挟んで2年弱ニューヨークに居た事が有る。

そしてその頃、食事や「ピアノ・バー」のお供として僕を誘い出して呉れて居たのが、当時国連に勤めて居て、いつもバッチリ決まったスーツのポケット・チーフがダンディーだったM氏で、そのM氏に偶に連れて行って貰ったのが、当時49丁目の1番街と2番街の間に在った、2階建ての日本家庭料理店「つくし」と云う店だった。

富良野出身の店主、通称「彦ちゃん」が作る「つくし」の料理は、素朴だが他の店とは一味違って美味しく、前菜からお刺身、魚、肉料理迄のお任せのコースのみで、〆だけカレーやラーメン、炒飯、煮麺等のご飯物から選べる。

然し当時の彦ちゃんは、カウンター割烹のシェフの癖に全くその用を為して居なくて、何故なら自分の真ん前に座る客とすら殆ど口を利かず、時には「何しに来た」感をも漂わせ、外人が入って来たりすると(ニューヨークで開店して居るにも拘らず!)、途端に不機嫌に為る様な厄介な店主だったからだ。

そんな人見知りの彦ちゃんとは、偶然にも僕と同い年だった事が後で判明したのだが、お互いが顔見知りに為った切っ掛けは、或る日M氏とお店に行った時、当時未だ20代で大食いだった僕がお任せコースの上、追加の料理をも散々食べた後、何時もは無口な彦ちゃんが「お客さん、まさかこの後『カツカレー』なんか食べられませんよね?」と、非常に挑戦的な口調で僕に尋ねた事だった。

負けず嫌いな僕が「勿論食べられますよ!」と応えると、彦ちゃんは苦笑いをしながら、でも嬉しそうにカツカレーを作って呉れ、そして僕はそれを平らげた…これが僕らの友情の切っ掛けと為った。

その後僕は東京勤務と為り、6年近くこのニューヨークを離れたのだが、上に書いた通り今から16年前にこの街に戻って来た。そして再び住み始めて1ヶ月位経った頃だったろうか…昔のニューヨークの知人に会った時、その人が「孫一さん、『つくし』って知ってる?美味しいんだけど、行ってみない?」と云うでは無いか。

「あぁ、昔行った事有りますよ…確か49丁目でしたっけ?」と応えると、知人は「あれからあの店移転して、今は41丁目と2番街の辺ですよ」と云う。そうして僕は「つくし」と彦ちゃんとの再会を果たしたのだった。

当時独り者だった僕は、それから毎週末「つくし」に通い、日本の店にも負けない彦ちゃんの美味しい家庭料理と、其処に集まる、今でも付き合いの有る例えばロックフェラー大学アルツハイマーの研究をして居たH氏(今は東京の某医大で准教授をして居る)を始め、スローン・ケタリングに留学中の研究員達、グラフィック・デザイナーやコレオグラファー、ジュリアードの学生達や他店の優秀なる料理人等の、個性の強い常連達との邂逅を楽しんで居た。

また今から思う大切な想い出の1つは、或る年彦ちゃんがアルバイトで入って居たYさんと結婚する事に為り、郊外の有名牧場&レストランで行われた披露宴で、僕がスピーチをした事だ。僕が今迄人生で結婚式スピーチをした10組近くのカップルは、何を隠そう全員幸せに為って居て、1組も離婚して居ない。勿論彦ちゃん達も子宝に恵まれ、幸せだ。

然し、これ位しか彦ちゃんと「つくし」に恩返しが出来て居ない侭、「つくし」は昨日閉店して仕舞った。

僕は想い出す…ニューヨークに来た頃、ホームシックに掛かったり、日本食や日本語が恋しかった時、どれだけ「つくし」に救われた事か!どれ程「つくし」で友人達と朝まで食べ、時には歌い、仕事や恋、科学や音楽に就いて語り明かした事か!

そしてその「つくし」の歴史や思い出は、例えばミシュランを取って居る銀座の有名寿司店オーナーシェフや、サンフランシスコの有名日本料理店店主、恵比寿の知る人ぞ知る居酒屋のスタッフ、某大リーガーの口からも僕に語られた。其れ程「つくし」と彦ちゃんの人柄は、世界に轟いて居るのだ。

昨日の「つくし」最後の夜は、別れを惜しむ長年の常連客や、昔は殆ど居なかった外人客で満員だった。が、そんなつくしの閉店も何も倒産したからでは無い…大家がビルを売る事にしたのが理由なのだから、次の場所が見つかれば、きっと「つくし」はこの街に帰って来るに違い無い。

彦ちゃん、今迄長い間本当にお疲れ様。そして有難う。「つくし」と彦ちゃんを待って居る大勢のニューヨーカーの為にも、身体を大切に。

再開と再会を心待ちにして居る、「つくし」ファンを代表して…。


−お知らせ−
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*12月14日(水)19:00より、青山の岡本太郎記念館にて開催される「舘鼻則孝 呪力の美学」展のアーティスト・トークに登壇します。詳しくは→http://www.taro-okamoto.or.jp/event/index.html

*12月16日(金)19:00-20:30、ワタリウム美術館での「2016 山田寅次郎研究会4:山田寅次郎著『土耳古画考』の再考」 に、ゲスト・コメンテーターとして登壇します。詳しくは→http://www.watarium.co.jp/lec_trajirou/Torajiro2016-SideAB_outline.pdf