作家と執事の物語。

素晴らしい気候のニューヨークに戻って来た。

此地ではサッカー・ワールドカップの人気はそれ程では無いが、ポルトガルと惜しくも引き分けたアメリカ・チームの決勝トーナメント進出の可能性が大と大健闘中なので、ESPN等でも試合を見る事が出来る。

そしてNYに到着した晩、日本−ギリシャ戦見たのだが、フィールドで1人多いと云うアドヴァンテージの有る中でも1点も取れず、引き分け…これが実力なのだろう。

さて帰紐育した先週末は、先ず髪を切りマッサージで身体を休める。が、今回も時差ボケが酷く、一寸油断すると、1日の予定が全て狂う程に気絶するかの様に寝て仕舞う。マシュー先生企画の「夏至ピクニック」も然り…マシュー、本当に申し訳無い!

が、昨日日曜は午後イチ迄何とか起き続けて、ブルックリンに赴きプロスペクト・パークでの友人Aちゃんの「お別れピクニック」に参加。

Aちゃんが日本に帰国する事と為った為、仲の良いアート系友人達10数名がポットラックで集まったフェアウェル・ピクニックだったが、素晴らしい天候に恵まれた、最高に楽しい1日と為った。

Aちゃん、日本に帰っても応援しています!そしてニューヨークと僕等は、Aちゃんのニューヨーク帰還を、何時でもウエルカムします!

と云う事で、此処からが今日の本題…ニューヨークへ帰る機内で観た、2本の映画に就いて。

先ず1本目は、第86回アカデミー賞最優秀外国語映画賞作品、パオロ・ソレンティーノ監督の「グレート・ビューティー/追憶のローマ」(原題:「La Grande Bellezza」)だ。

若くして成功した65歳の作家が、20代に出した処女作以来作品が書けない為、インタビュー記事の仕事をしながら、セレブ達とのパーティーや一夜のアヴァンチュールをする為夜のローマを徘徊し、「偉大なる美=人生の価値」を探し求めるストーリー。

大好きなフェリーニ作品で有る「甘い生活」へのオマージュ溢れる本作では、主人公に拠る「65を迎えた自分には、無駄な事をする時間はもう無い」と云う台詞に表される様に、全編を通して背後に流れる虚無感と失望感が重要なテーマと為って居るが、未だ50過ぎの自分が此処迄共感するのは、どう云う事だろう…。

そしてもう1本は、名優フォレスト・ウィテカー主演「大統領の執事の涙」。

原題の「The Butler」の方がナンボか良いタイトルだと思うが、然し大名作「プレシャス」を撮った黒人監督リー・ダニエルズの演出は光を失って居らず、ウィテカーとその妻役のオペラ・ウィンフリー(大アート・コレクターでも有るオペラ、見直したぞ!)の演技は流石!…因みに敬愛するミュージシャン、レニー・クラヴィッツが執事仲間役で出ているが、これは一寸如何な物か(笑)。

本作は貧しい中「執事」の教育を受け、人種差別社会時代の真っ只中に、最終的にホワイトハウスで7人の白人大統領に仕えた黒人執事の目を通して、20世紀から「今」迄のアメリカ迄を描いた秀作だ。

黒人俳優のオールスター・キャスト・フィルム的では有るが、特に人種差別撤廃運動をする息子との和解のシーンや、執事の人生の最後の最後でオバマ政権が誕生し、ホワイトハウスに栄誉有るゲストとして呼ばれた時のウィテカーの抑えた演技は、涙無くしては観れ無い。

そして本作を観て強く感じたのは、バラク・オバマと云う大統領は、その政策の是非や功罪は問われても、唯でさえ黒人差別が残るこのアメリカ、いや世界社会で、良くぞ米国大統領職を全うした(未だ終わって居ないが)と云う事だ…差別、暗殺の恐れ等さぞ困難が有ったろうに、人間として、男として、その勇気と実行力を心から尊敬したい。

さて、この日観た2本の作品の主人公は、云う迄も無く「作家」と「執事」…この2つの「職業」は、我々の実生活に於いては少々特殊な職業だが、然し物語性に溢れて居る為、映画芸術に登場する事も多い。

カポーティ」や「サガン」等の実在作家を主人公とした作品を除いて、「小説家」が主人公の映画で僕が真っ先に思い出すのは、矢張り「ベニスに死す」(拙ダイアリー:「『疫病』、或いは『美』と『芸術』の神が微笑む時」参照)だろう。

後は「第三の男」や「ミザリー」、「恋愛小説家」や「シャイニング」(ニコルソンは「小説家タイプ」なのだろうか?)、最近では秀作「ルビー・スパークス」や、オムニバスだが「ラブ・アクチュアリー」のコリン・ファース等が思い出されるが、主人公は何れも純粋で少し偏屈、変わり者で世間離れしたタイプ。

其れに引き換え「執事」映画は、実にリアルでシニカルな物が多い気がする。僕の「執事映画」1位は何と言ってもカズオ・イシグロ原作の「日の名残り」(アンソニー・ホプキンス)だが、執事が主人公の作品と云っても、後は「バーナード&ドリス」(レイフ・ファインズ)位しか思い出せない。

が、執事が劇中で素晴らしい役割を果たす作品は多々有って、其れは例えば「ザ・バトラー・アクター」、サー・ジョン・ギールグッドが「これぞ執事!」を演ずる「ミスター・アーサー」や「オリエント急行殺人事件」、「名探偵登場」でのアレック・ギネスや「バットマン」のマイケル・ケイン…「執事」と云えば、何れも誇り高くプロフェッショナルな英国人と相場は決まって居るのだ。

さて、ロンドンに住んで居た事や、20年以上英国の会社に勤めて居る事、結構なお金持ちの家に良く行く仕事な事も有って、僕は今迄「執事」なる人に何人も会った事が有るのだが、どうも僕には生来「執事」願望が有る様な気がする。

そう思うのは、若い頃意外と誰かの秘書的な仕事をするのが好きだった事と、若しかしたら大学生の頃、彼女と「『お嬢様と執事』ごっこ」をした事が有るからかも知れない(笑)。

其れは例えば、彼女が威丈高に「桂屋、街へ出ます…車を用意して!」と云うと、僕が「畏まりました、お嬢様」と答える。或いは「桂屋(この「苗字」で呼ぶ処がミソなので有る)、そんな事も分からないの?お前は何て役立たずの老いぼれなの!」と云われ、「申し訳御座いません、お嬢様…どうか、どうかお許し下さい」と答えると云った具合で、そんな擬似執事経験から云えば、或る程度マゾっ気が無ければ、執事等到底務まらないのでは無いかと思う(笑)。

そんな訳で「執事」と云う職業は、僕に取って夢に出て来る程興味深い訳だが(拙ダイアリー:「OMEN:前兆」参照)、こうなると観たいのは「小説家」と「執事」が主人公の人間ドラマ。

この2つの職業が織りなす物語は、絶対に濃密で悲喜交々に違いない…そして何時の日か、この愛すべき職業の2人を主人公としたドラマを読んで、観てみたい。