「道成寺」断想。

数日前にNYに戻って来た僕は、時差ボケのボーッとした頭をハッキリさせる為に、最近巷で流行って居る2つの事象を検証してみた。

先ずは、滔々機内で観た「君の名は」。物語は良く出来て居るが、「時をかける少女」と「転校生」の合成焼き直し感も有るし、正直このアニメ映画が100億円も稼いだ理由が、僕には未だに分からない。「シン・ゴジラ」の時もそうだったが、此れは日本人の芸術的リテラシーが下がった所為なのか、はたまた僕が年を取ったからなのか。

そしてピコ太郎の「PPAP」…初めて観た時は「これの何が面白いのだろう?」と思ったのだが、ビルボード・チャートに入ったりして世間が余りに騒ぐので、何度も観て居たら結局ハマって仕舞った。

このピコ太郎、リズム感が良くて、良く見るとダンスも何気に上手く、一寸MC・ハマーを彷彿とさせる(褒め過ぎか…笑)。また或る記事に因ると彼は自称53歳との事で、嘗てテクノバンドでキーボードを弾いて居た事も有るらしいから、年代的にもテクノやダンス・ミュージックの申し子で有っても不思議は無い。

其処でふと思いついたのが、ピコ太郎には自民党の「TPP」強行採決を揶揄した、「PPAP-TPP」を是非とも発表して貰いたい(笑)…「TPP」にはヒラリーも反対して居るのだから、シニカル・パロディ・ソングとして再びアメリカでもヒットするのでは無いか?

此処でそんなピコ太郎と同い年の僕の、今回の日本滞在終盤でのアート行動をメモして置こう。

先ずは展覧会…三井記念美術館での「松島 瑞巌寺伊達政宗」展では、作行きの良い平安初期の仏像群に眼が止まる。

また根津美術館の「円山応挙 写生を超えて」展では、個人蔵の掛物が多く出品されて居たが、流石「雪松図」と「藤花図」の両屏風と「七難七福図巻」が飛び抜けて素晴らしい。然し応挙は、色々な意味で難しい絵師だと再認識する。

現代美術関係では、SBIオークションの下見会を観に代官山ヒルサイド・フォーラムへ。最近ではシンワや毎日オークション等でも日本の現代美術を多く扱う様に為って来たが、SBIのラインナップは買い易い作品も多く、面白い。加藤泉元永定正の作品に惹かれるモノが有ったが、勿論財布は云う事を聞かない(涙)。

8階へと移ってから初めて訪れた、ギャラリー小柳で開催中の「かんらん舎(1980-1993):Daniel Buren/Tony Cragg/Imi Knoebel」展は、伝説の画廊とそのオーナー大谷芳久を、大谷が認めた当時未だ若手だった3人の現代美術家の作品を通して回顧する試みだが、その作品達は四半世紀前の作品とは思えない程新しい…これぞ目利きの眼の勝利。序でにギャラリー奥の居心地の良い「サロン」も拝見したが、此処で一杯傾けながらアートを観たら、思わず買って仕舞うコレクターも居るに相違ない。

そして岡本太郎記念館で始まった「舘鼻則孝 呪術の美学」では、舘鼻の工芸的作品と岡本作品との力強いコラボを堪能。特に2階の「橋」を挟んだ生と死の部屋の対比は、面白い。この辺に関しては、僕自身が12/14に「生」部屋でアーティストと話すので(下記「お知らせ」参照)、割愛…トーク、乞うご期待です。

さて此処からが今日の本題…「道成寺」で有る。

実は最近、僕は能の「道成寺」を2回観て居る…いや、正確には「1.2」回位、と云った方が良いかも知れない。それは何故かと云うと、その内の「0.2」回分が、最近DVDを入手した映画「天河伝説殺人事件」内での「道成寺」だからだ。

1991年市川崑監督の本作は、能の宗家の跡取り問題をフィーチャーした殺人事件で、吉野天川村で弁財天を祀る天河神社を舞台とする探偵モノ。その劇中、観世榮夫監修・銕仙会協力の下舞われるのが「二人静」や「羽衣」、「賀茂」(?だと思う)、そして「道成寺」だ。この「道成寺」の「鐘入」の最中に、シテを務めて居た宗家の息子が毒殺されるのだが、そのトリックは観てのお楽しみ。

そして残りの「1.0」回とは、この間の日曜日に宝生能楽堂で開催された、同銕仙会主催の「八世観世銕之丞静雪 十七回忌追善能」で、現銕之丞師ご子息の観世淳夫師が舞った「道成寺」。

祖父の追善で弱冠24歳の孫が「道成寺」を舞うプレッシャーは相当だと思うが、乱拍子を打った大倉源次郎師を始めとする一流の囃子方にもサポートされ、舞台は若々しく力強いものと為った。この「道成寺」は、「石橋」等を務め終えた能楽師が目出度い披きとして演じる大曲でも有るのだが、女の底なしの情念や未練を表現するこの能は、人生、いや恋愛経験の豊富さも必要とされるので、淳夫師が男性として成長した後にまた観てみたい、と云うのが本音だ。

さてこの「道成寺」は、「熊野」「恋重荷」「葵上」等と共に、僕が最も好きな能の1つ。そしてこの物語は、上に書いた女の情念のみならず、メタモルフォーゼの物語とも云えると思う。それは三島の「近代能楽集」内の「道成寺」でも明らかな様に、「鐘」(三島版では「巨大な衣裳箪笥」)と云う「『密室』での変身」が重要なテーマだからだ。

そして「道成寺」は、恐らくは「シテが『1人』で面と装束を替える」唯一の能で有ろう事から、この密室内での変身(と鐘内の準備)は、自分1人で行われる「秘儀」とでも呼びたく為る。

その意味で、「天河伝説」でも殺人動機が単なる宗家跡目争いでは無く、男女の報われぬ愛が故で有る事、また鐘の中での「秘儀」の最中の殺人と云う設定は、殺人者と死者との因果と未練を表現して居て、良く考えられて居ると云えよう。

云われてみれば、自己の意識無意識に関わらず、女性は一夜にしてグレゴール・ザムザ的変身をも遂げる…そして「乱拍子」に拠って表現される、人知れず行われる「秘儀」の直前の静寂と徐々に狂って行く姿は、不穏且つ不気味で有るが故に、秘儀を終え変貌した女を見た男に、激烈な恐怖とエロティシズムを感じさせるのだ。

と、分かった様な事を書いて来た僕だが、10回以上も「道成寺」を観ても、半世紀を生きても、未だ女性の事はサッパリ分からない…が、「道成寺」を観続けて来た僕は、今此処でこれだけは云える!

若い男性諸君には「女性は一瞬にして変貌する」、「女性の変貌前の静けさに気をつけろ」、序でに女性には「松のほかには花ばかり」と、過大な期待を持たせても危ない(笑)。

また女性諸君には、今話題に為って居る「電車内での化粧」問題に就て、「化粧と云う女性の『変貌の秘儀』は、公共の場で無く『密室』で行われるべきだ」と云う事だ(キリッ)。

が、秘儀を終え変貌した女性は、美しく妖しく、そして恐ろしい程にirresistible…「道成寺」とは、女性と云う生き物に就て、余りにも含蓄の多い能なので有る。


−お知らせ−
*12月14日(水)19:00より、青山の岡本太郎記念館にて開催される「舘鼻則孝 呪力の美学」展のアーティスト・トークに登壇します。詳しくは→http://www.taro-okamoto.or.jp/event/index.html

*12月16日(金)19:00-20:30、ワタリウム美術館での「2016 山田寅次郎研究会4:山田寅次郎著『土耳古画考』の再考」 に、ゲスト・コメンテーターとして登壇します。詳しくは→http://www.watarium.co.jp/lec_trajirou/Torajiro2016-SideAB_outline.pdf

*僕がエクゼクティヴ・プロデューサーを務め、「インドネシア世界人権映画祭」にて国際優秀賞とストーリー賞を受賞した映画、渡辺真也監督作品「Soul Oddysey–ユーラシアを探して」(→http://www.shinyawatanabe.net/soulodyssey/ja/)が、好評の為、来年1月21・24・30日の3日間、渋谷のアップリンクにてリヴァイヴァル上映されます。奮ってご来場下さい!