400年を隔てた「ファッショナブル・アート」。

それにつけても、もう日本はアウトでは無いか…。

「国家百年の計」を考えず、選挙制度改革すら出来ない首相と心中か、或いはこの際アメリカ市民にでも為るか、と思う(嘆)。

と落ち込みながらも、月曜日は辻井伸行君を含めた3組のピアニストが出演するコンサートを聴きに行く。が、前夜に物凄いポゴレリッチの演奏を聴いた所為なのか、演奏された数々の「イージー・リスニング・ミュージック」には正直ガックリ。辻井君は、矢張りクラシックを演奏する方が素晴らしい。

その翌日からは、関西出張。重要顧客達とのミーティングを幾つか重ねたのだが、某所で黒くて背が高くて、肌触りが最高で個性的な「自分自身」を観る様な茶碗(笑)を見せられ、ゴクリと唾を飲み込む。

序でに、僕の来年の課題で有る「聞く耳を持つ」為に購入した骨董品が漸く届き、舌舐めずり…あぁ神様、これからは聞く「耳」を持ちますので、どうか僕をお守り下さい(笑)。

と云ったここ数日だったが、夜も充実…昨晩は久し振りに、禅僧H住職とIT社長K氏との憂国の士我等3人で、ジョエル・ロブションをも傘下に入れる某デリバリー店が親会社の、銀座に在る料亭で食事。

政財界に近しいH住職は、最近雑誌やテレビでも姿を見掛けるが、新著も出して大活躍中…今回は「禅」と「美」の優劣に就いて激論と為る…お互いに譲らないこんな問答に答え等出る由も無いが(笑)、楽しいひと時で有った。

さて、此処からが今日の本題。最近新旧「ファッション」に関わる面白い展覧会を2つ見て来た。で、先ずは「旧」の方から…根津美術館で開催中の「誰が袖図ー描かれた着物」で有る。

この展覧会は、桃山期から江戸初期に流行した風俗画の一つで有る「誰が袖図」をフィーチャーした物で、「誰が袖図」とは、画面には人が誰も描かれて居ないのに人の気配を感じさせる、謂わば「面影」や「残り香」と云った日本固有の情感を醸し出す、優れた表現形式の作品だ。

この「誰が袖」と云う画題は、そもそも古今集春上巻の

「色よりも 香こそあはれと思ふゆれ 誰が袖ふれし 宿の梅ぞも」

と云う歌から取られて居るのだが、英訳は直訳な「Whose Sleeves ?」だから、味も素っ気も有りゃしない…流石この辺の日本語の粋感は違う。

そしてこの「誰が袖図屏風」は、衣桁に掛けられた制作当時流行して居たで有ろう「辻が花」等の着物を描き、その着物から持ち主を想像すると云う、イマジネイティヴで(「仏手」から仏像全体を想像するのに近いかも知れない…)ファッショナブルなアートなのだ。

本展では初期風俗図や肉筆浮世絵の美人画も展示され、当世ファッションとその着物を纏った女性に想いを馳せた。

そしてもう1つの「新」の展覧会とは、今度はグッと現代に移り、渋谷ヒカリエに在るTomio Koyama Galleryで始まった、シュー・メイカ舘鼻則孝の展覧会。

舘鼻氏の作品は、嘗て21_21 Design Sightで拝見した事が有るのだが(拙ダイアリー:「家族と友人、良きアートと旨い飯はじつは僕のハードコアである」参照)、何しろこの1985年生まれのアーティストの「靴」はスゴい。

舘鼻のシグナチャー・ワークで有る「ヒールレス・シューズ」が世に出たのは、レディー・ガガのスタイリストの眼に留まり、その専属シュー・メイカーに為った事が始まりだったと聞くが、今と為っては、伝統と革新を行き来するオブジェ作品等も制作され、本展にも「Frozen Boots」等の鋭く美しい「靴/アート」が展示されて居る。

個人的には、花魁の高下駄や簪をリヴァイスした作品よりも、矢張り「ヒールレス」作品の方が美しく斬新だと思うが、その実験的な制作活動は実に素晴らしい。

そしてファッションとアート、デザインとアートの境が消えつつ有る今、はたまた敬愛するアレキサンダー・マックイーン亡き今(拙ダイアリー:「『異端者』達への献杯」参照)、その間(あわい)を埋める第一人者は、舘鼻則孝なのかも知れないと思わせる展覧で有った。

17世紀と21世紀、400年と云う年月を挟んだ2つの「ファッショナブル・アート」…是非観比べて頂きたい!