大名品の「嫁入り」。

今日は節分。

今年も、もうひと月終わって仕舞った…時間は人を待って呉れない。

そしてその時間は残酷に過ぎ去り、ISILに人質として囚われていた後藤氏も処刑された…ご遺族の気持ちを思うと、言葉が無い。

本件は極めて残虐で許し難い行為だが、テロリストに我々の人道的論理等通用しないに決まって居るのだから、今後もしこう云った事態が起きた場合には、「金を払う」か「軍事攻撃」するしか無いのは明らか。

また安倍総理の常日頃の安全保障に関する強気な発言が、こう云った結果の一端を担って仕舞った事は否定出来ないだろう。昨日の与党連絡会議に於いても、総理は「(ISに)罪を必ず償わせる」と発言して居るが、これは一体どう云う意味なのだろう…有志軍と共に軍事的に報復する、と云う事なのだろうか?或いは軍事行動と犯人確保は他国に任せて、裁判だけを我が国でしようと云うのか?

大体日本人がテロの標的に為り得る事は、イラク戦争の時から分かって居たのだから、自民党政権に拠る長い間の「平和ボケテロ政策」のツケとも云える。

その上、数ヶ月前から湯川氏が拘束されて居た事を政府は把握して居た筈なのに、それを放置して居た事を鑑みれば、総理の一辺倒なコメントで有る「政府は全力を尽くした」とは到底言い難い。(怪しげな)軍事ビジネスマンの命と(真っ当な)ジャーナリストの命の重さは同じ筈だと思うが、如何だろう?

そしてISの処刑者がビデオで述べて居る様に、特に在外日本人と日本政府はこれからの「悪夢」を覚悟せねば為らない…それはニューヨークに於いても、で有る。

それと後藤氏が亡くなった今、僕がもう1点非常に気に為る事は、世界の事情通の云う「真の『イスラム教』や『ムスリム』は、あんな(IS)では無い」や、インタビューでイスラム国家の民が云う「イスラム教徒として恥ずかしい」と云った言説だ。

「だったら『良きイスラム国家・教徒』が先頭に立って、ISを説得或いは粛清すべきでは無いか?」と云うのが僕の意見…自浄出来ない宗教に未来は無いのだから。後藤氏と湯川氏のご冥福を、心よりお祈りしたい。

さて雪が降った翌日は新幹線に乗って、早朝から出張。

が、5時半起床の今回の出張は、単なる出張でも僕の一人旅でも無く、或る大名品と一緒の極めて重要な出張で有った。

僕がこの名品に出逢ったのは、数年前の事…実はその時、この作品の旧蔵者のお宅には全く別の作品を拝見しに行ったのだが、拝見後「そう云えば、こんなのもウチには有りますよ…」と云って見せられたのが、この作品だった。

床の間に所狭しと飾られたこの作品を見た時の衝撃を、今でも僕は忘れられない…こんなモノが未だ個人の許に在るなんて!

色鮮やかなこの作品は、状態も可なり素晴らしい。そして18世紀の作家に拠る本作は、某高貴なる所に保管される指定品と為って居る類品と、サイズやデザイン等非常に多くの共通点を持って居る重要作なのだ。

その邂逅から今迄の数年間、僕の頭からこの作品の事が消えた事は一瞬足りとも無く、「何時の日かあの作品を扱いたい!」と願って居たのだが、美の神は僕を見放さ無かったらしく、昨年奇跡が起き、顧客宅で再びこの作品を拝見出来た上に、滔々売却許可を受けたのだった。

今回の依頼には、1.プライヴェート・セールでの売却、2.購入後公開する所・人に売る事、と云った2つの条件が付いて居たのだが、僕の頭にはその時既に幾つかの売り先が浮かんで居て、時間を掛けた交渉の末、幸いにもその内の1箇所にこの作品は見事にハマり、この日無事納品と為った訳だが、その新しいオーナーの元に飾られた作品と別れを告げた時、特に名品を収めた時に毎回感じる一抹の寂しさと安堵を感じたのだった。

そして、その感覚とは「父親が娘を嫁がせる」のと同じなのでは無いかと、経験も無いのに何時も思う(笑)…が、こう云う気持ちに為るのは一体何故だろう?

それは、美術品愛好家以外の人には到底理解出来ないと思うが、出逢ってからの数年間に僕がこの名品に対して暖め育んだ、「愛」の為せる業なのだ!(キリッ)

さて僕が何年もやって来た様に、オークションで名品を高額売却するのは確かにエキサイティング…だがプライヴェート・セールは、作品との付き合いも価格設定もオークションより文字通り「プライヴェート」で、その極致は「売り先を選べる」処に有る。

時に美術品は「行くべき所」に行き、「在るべき場所」に在る。

僕が個人的に感じる、今回の大名品が1人のアーティストに拠って200年以上前に制作された以来の「歴史」に自分が係わった興奮や、重要作品を大切に保管して呉れる新しい持ち主を探せた歓び、元のオーナーの望みを叶えた充足感等は、優れた美術品のみが持つこの「行くべき所」や「在るべき場所」的運命論の前では、物の見事に霞んで仕舞うのだ。

が、この日雪化粧をした山道を「嫁入り前」の大名品と走った事を、またほんのひと時「娘の父親」だった事を、僕は一生忘れないに違い無い。

そして今から数ヶ月後に開催される某展覧会で、この「嫁がせた娘」と再会する事を、僕は心底楽しみにして居るのだ。