ウォーホルは「浮世絵師」で有る。

ジャンプの「レジェンド」葛西選手が、悲願の個人メダルを取った。

41歳、7度目のオリンピックで滔々メダリストに為った彼のあの笑顔、あの体全体で表現した歓びに感動した!

スノボーの平野選手の様に15歳でメダリストに為る人も居るが、こう云う人も居る所が、人生の面白さ。またこの四半世紀の間に、何度も経験したで有ろうルールやスキーの長さ、スーツの改正等を乗り越えて頑張って来たこの葛西選手の銀メダルは、正に「人生色々」を具現して居る。

そして、インタビューの最後に「本物のレジェンドに為る為に、此れからまた『金』を目指します!」と宣言した笑顔…「こう云う風に生きたい」と思わせる、最高の素晴らしい笑顔だった。団体戦も大期待したい。

さて先週の木曜日、猛吹雪だったニューヨークを3時間遅れた飛行機は、筆者を乗せて何とか飛び立った。そして着いた成田は雨模様だったが、機内のウェザー・リポートから聞かされた「雪」の欠片も見えず、拍子抜け…が、それは甘い考えだった。

重要な美術品をキャリーして居た為、タクシーで都心に向うすがら「ヤマタツ」の歌の様に雨は雪に変わって行き、首都高に入った頃にはもう大変な事に…。そう為ると、成田に雪が全く降って居なかった事が夢の様だが、ドライヴァーに拠ると何時もそうなのだそうだ。此れからは、筆者を「雪を運ぶ男」と呼んで欲しい(笑)…1万1000キロ掛けて、エラい目に会って仕舞った。

その翌朝、時差ボケの体で最初にした事は、近所の「VICTORIA」本店に行ってスノー・ブーツを買う事。そして人々が滑らない様に、水溜りに足を突っ込まない様に静々と歩くのを脇目に、颯爽と雪の上も水溜りも歩けるこの快感!

そして人気の少ない地下鉄に乗り、向かった先は国立新美術館…開催中の「第17回文化庁メディア芸術祭」を観る為だった。

本展では気に入った作品が2点有ったのだが、後で見れば何と両作品とも受賞作品では無く、「推薦作品」では無いか!一体自分に「メディア・アート」を観る目が有るのか、無いのか、複雑な気分に為った(笑)…のだが、その作品とは、和田永の「時折織成ー落下する記憶ー」と、河野通就・星貴之・筧康明のガジェット「lapillus bug」で有る。

「時折織成」は、上部に設置された複数のリールのテープ・レコーダーから交響曲が録音されたテープが降りて来て、不規則な文様を描いて下の容器に溜まる。そしてテープが降り切ると、一斉に早いスピードで巻き上げられながら「新しい交響曲」を奏でる、と云う作品。

また「lapillus bug」は、設置された食べ物の皿(作り物)の上を「蝿らしき物」が飛んでいるのだが、これも実は唯の極小の玉が制御されて空中に浮遊し、如何にも「蝿」の如く舞っている様に見える、と云う物…両作品とも意外にシンプルな作品だが、コンセプトが面白い作品だ。

しかしこの展覧会場の活気は、その日後に行った展覧会とは比較に為らない程熱くて、それは恐らくは「今、創って居る」学生や技術者等が沢山来ていた所為も有るだろうが、アイディア、技術、ニューメディアを駆使した新しいアートを誕生させたい、と云う「今」の情熱を感じるのに充分な展覧で有った。

その後、雨も上がりスッキリした空気の中、人気の少ない六本木を買ったばかりのスノーブーツで雪を踏み締めて向かったのは、森美術館で開催中の「アンディ・ウォーホル展 永遠の15分」。

高校生の時以来、アンディ・ウォーホルを知ってから、一体何れ位の数の作品を見て来ただろう…然しその大半は、大学生の頃ニューヨークに行き始め、ニューヨークに住んだ今の会社に入る前の1年と研修社員時代、そして再びニューヨークに住み始めたこの14年間に観た作品だ。

クリスティーズに居れば、ウォーホルの作品を山の様に眼にする。今出ている「CASA BRUTUS」に、日本の美術館で観れるウォーホル作品のリストが出ているが、他の戦後・現代美術作家に較べて日本の美術館収蔵が圧倒的に多いにしても、今回の展覧会の様に此れだけの数を一度に観る機会は貴重で有る。

が、実は日本では、ウォーホルは個人コレクターや業者の元に有る事が多い。

これは、筆者も昔(こんなに高くなる相当前の話だ)ウォーホルの写真等を買った事が有るから分かるのだが、このウォーホルと云う作家の作品は「持ちたくなる」&「持ち易い」(今では「夢」に為って仕舞ったが)アートだと云えるし、美術館よりも「『家』に在ってこそ分かる」アートの最右翼だからだろうと思う。

さて、「森美術館開館10周年記念」と題された本展は、ピッツバーグアンディ・ウォーホル美術館(エリック、元気かな?)の所蔵作品をメインにした、絵画・版画・写真・アーカイヴからの資料で構成され、作品も兎も角、ウォーホルの人生と人物に焦点を当てている事で実に成功している。

彼の生き様や後付けの「コンテクスト」は何処かで読んで貰うとして、本展で好きだった作品はと云うと、「反射」、「TDKのコマーシャル『イマ人』」(超懐かしい!)、「十字架」、そして映像作品の「ルペ」。

が、それ以上に本展で最も筆者の気を惹いたのは、2つのカテゴリー…先ずは、彼のイラストレーション作品群だ。

ウォーホルがデザイナー・イラストレーターだった事は衆知の事実だが、本展で観る彼のドローイングは、結構軽快で上手い…特に、「女性の足」を描いた作品の線の美しさは格別だった。

また、ジャズの名門レーベル「BLUE NOTE」のジャケットをウォーホル描いて居た事は、ストーンズやVUGのアルバムに比べて、余り知られて居ないかも知れない。筆者も好きだったギタリスト、ケニー・バレルのアルバムを3枚、確かもう1枚誰かのアルバム・ジャケットをウォーホルは描いて居たと思うが、何れも軽快なタッチで有る。

そして本展でのもう一つの驚きは、「捨てられない男」ウォーホルが持って居た「浮世絵」だ!

「世界で最も有名な日本絵画」、北斎の「神奈川沖浪裏(After Hokusai)」をウォーホルが模写した作品は知っていたが、彼が浮世絵を買って居たとは知らなかった。そしてその浮世絵は何と、と云うか、矢張りと云うか、全て「複製」だったので有る!

グラフィック・デザイナーとしては云うに及ばず、ポップ(大衆)&シンプリファイ・アーティストとして、更にコマーシャル・アーティスト、セレブ&フェイマスのポートレート作家、「大量消費社会の申し子」としてのウォーホルが「浮世絵」を、しかも当時もう金は十分に持って居た筈なのに「複製」浮世絵を買って持って居た事実は、余りに象徴的では無いか。

そして、文字通り「当世」絵師だったウォーホルは当に「浮世絵師」、而も或る意味大メディア・プランナーだった「蔦重」でも有った訳だ(蔦重:蔦屋重三郎歌麿写楽を抱えた版元で、「大首絵」等大衆向けの版画を考案し、大ヒットを飛ばした。今の「TSUTAYA」の名の由来でも有る)。

ポップな「浮世絵師+版元」だったウォーホル…このキャラクターへの興味は尽きない。